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青空に向かって

勤務校は明日から生徒が登校するけど、仕事は一週間前から始まった。
補習、美術科の出張と少しずつ通常の生活に戻っていく。最後の木・金は職員出勤日だった。会議が鮨詰め。
そしてこの時期、授業がない分、早めに退勤もできるので、同僚たちとお茶やご飯にお声がけいただいた。

8月はかなり長めに夏休みをとった。
教員になって初めてこんなに長く休んだ。
毎日絵を描いて、のんびりと過ごした。いくら描いても描いても、描きたいものはどんどん出てくる。これほど幸せな日々はない。

学校から早く帰れるなら、本音では早く帰って絵を描きたかった。
でもなんとなく断り辛く、同僚たちのお声がけに従ってお茶やご飯に行った。
けど、これは間違いだったということに、行ってから気づいた。

そこにいない人の悪口大会になっていた。
確かに、悪口を言われている人はそれなりに嫌な思いを周囲の人にさせている人かもしれなかった。職員室では自慢話と相手を見下したような発言の多い人だ。
でも個人的にはその人の良い面も知っていた。吹奏楽部の顧問として活動しているときは、ピカピカと笑顔が輝いているし、指導も熱心だった。
だからその人に対してひどい言いように気分が悪くなった。

次の日、別のグループに誘われてご飯に行ったけど、今度は昨日のグループの中にいた人の悪口大会になっていた。考え方の違いから激突しているらしいけど、どちらも一歩も譲らない。私にはどちらにも非があるように思えたが、言えない。
苦しかった。

行くべきじゃなかった。
私自身の思いを大切にすべきだった。
その証拠に、土曜日の朝、起きてみたら久しぶりに手首に腫れが起こり、一部、蕁麻疹が出ていた。なんて体は正直なんだろう。

今年の春、顔から首、腕にかけてひどく腫れ、蕁麻疹が出た。
そのときはなぜそんなことが起こるのかわからず、病院に行って検査をしても原因不明で、結局「ストレス」に落ち着いたが、今回ははっきりと自分でわかった。

自分の意に沿わないことを我慢してやっていたから。
自分の気持ちに背いたから。

もうここには長くはいられないんだなあとしみじみ思った。
辞める話をするのは周囲にどう思われるか怖かったけど、もうするしかなかった。
いいことなのかそうでないのかわからないけど、自分に背くことがもうできなくなっている。

少しずつ、正規職員を辞める話を周囲にし始めた。まずは家族に。
母は最初、驚いたけど、「自分がやりたいことをするのが人生だもんね。」と理解してはくれた。心配をかけるから、父にはまだ言ってない。
他校にいる仲間にも、市の仕事を一部、請け負っていることもあって、辞める話をした。「その気持ち、すごくわかる・・・。」と深く共感してくれ、次に引き継ぐ人を探すと約束してくださった。「非常勤の仕事、いくらでもあるから。いつでもあるから。」そんなふうにも言ってくれた。
職場の同僚にも、信頼できる人にだけ辞める話をした。「辞めてもみんなでご飯行こうね!」と言ってくれた。

そんなに怖がらなくてもよかったのかもしれない。
私の本音を言って、離れていかない人とだけ付き合っていければいいのかもしれない。
組織を離れるって本当に怖いけど仕方ない、ここは私の場所じゃないんだろう。

土曜日、夢を見た。雲ひとつない晴れ渡った青空を見上げる夢だった。
青空はあまりに広大でもう怖いくらいだったけど、ものすごく美しかった。
それは私の求めるものに近い気がした。










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