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私の住む「竹田」で若者が生き生きとしてる理由

最近よく思う

私は大阪から大分に移住して30年

ここ竹田に来て15年

もう半分か

その前は別府に少しと

清川村にいたんだわ

ここが長い生活の場になって来た

竹田に来た頃はもう「駅前は」シャッター街だった

そこでたった一人の「地域協力隊」の功績は大きい

みんな覚えてるかな

真面目で素敵な「人だ」

その彼女が協力隊になったのは何年前だったのかな

素敵なブログも書いて「発信してたし」何よりすごいのは「月一」通信も出していて

お店の紹介やら人物の紹介やら「実に丁寧な」取材だった

たった一人でさ

右も左も分からない「此処」で「たった一人の協力隊」彼女の功績があったから

それからのドドドーンと入って来た人たちは「生きやすかったんではないかな」見えてないかもだけど「明らかに」街を耕したんだよ


その功績は大きいよ

でその頃10歳くらいの子供たちがさ

大きくなってさ

やはり此処に「帰って来たり」此処で生活を決めたり

此処で夢を見たり

此処で「仕事を始めたり」って

街にさ

夢や希望がないと「いつかないよね」

それはさ

都会で生きてて

此処

竹田を「ワクワクする街にしよう」と頑張って来たこれまた素敵なお兄さんお姉さんがいてるからなんだよな

一度

崩壊していた街を

昔の竹田を知ってる若者が再生に力を貸して、それから今度は若者を応援する

なんて素敵な街なんだ

此処は

竹田「ラブ」が進んでいる

いつまでも繁栄していた昔を懐かしんでも仕方がない

新しい「今の街を」想像するんだ

本当に素敵な「大人がいる街だから」此処で「都会に出ないで」此処で生きてく

と決めた若者の多いことか

私はさ

竹田の町でなく

山の方に暮らしているのだけれど

山から見てても

街がどんどんワクワクして楽しくていいところならいいんよな

昔はどんどん「街というか」都会に出したよね親が・・・でさ

子供が帰ってこない

帰ってこないというんだよね

もうそんなことは「崩壊したよ」

今此処で「生きてこう」夢や希望が見出せるのは「田舎だよ」

都会ではないよ

0から作り出せるんだ

若者を応援する時だよね


それもひと世代前の若者が築き上げてくれたんだ

そのまた前の若者もね

竹田ってとこは「若者を暖かく見る街だと思う」

住んでいて思うんだわ

いいとこだ

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私はさ

この街から車で15分かかる

山奥に住んでいるけれど


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私は此処山奥から

応援して生きたい

若者がたくさんいてる


そう

思える

此処は最高だ


ぱたんこ屋は

宮砥工藝舎で「さをり織りを教えて」

最近は

糸を紡ぎ

それを販売したら

広島のももちゃんが素敵なマフラーにして

それを販売してはる

その名も

ぶっ飛びマフラー


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今まで自分のために「糸作ってきたけれど」

そういう思いを手放したら

倍の倍ですごくワクワクする

かぼすも

おかんハウスにあるんだけど

相方の草刈りやら選定

という

協力がないと何にもできてなかった

なんだかさ

歳をとるっていいね

いろんなものが見えてくる

繋がってて

広がって

手放して

膨らむ

まだまだ生きてくよ

死ぬまで

生きてくよ

ぱたんこ屋

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