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「自由に行こう」(ヨハネ8:31~38)

 今日の聖書のテーマは「自由」です。私は中学生の時この「自由」という言葉にとても憧れました。というのも当時の私は制服がイヤ、髪の毛の規則がイヤ、偏差値教育への疑問などなどまあ「俺を縛り付けるなよ!」という心の叫びを抱えていた頃でした。今でいう「中二病」ってヤツです。だから高校生の時は長髪のロック少年になってしまったのでしょうねえ。

 けれど自由というのはなかなか難しいものなのです。「俺は自由だ。何事にも束縛されないぞ」と思っていた時の私は、実は周囲の色んな存在を否定していただけで、色んなものに囚われていた…人は自分を正当化すればするほど、気づかないうちに何かに囚われてしまうものなのかもしれません。

 イエス様とイスラエルの指導者(ユダヤ人)とが自由について応戦しています。イエス様に「わたしの言葉に留まるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」こう言われたユダヤ人たちはカチンときます。「いや、俺たちは誰の奴隷にもなったことなどない。由緒正しきアブラハムの子孫だ。それがなぜお前のような男になど従わなければ…」つまり、俺たちは正しき信仰の血筋に属し、常に正しく行動し、判断している…心からそう信じている彼らには許し難い発言だったことでしょう。でもイエス様から見れば、イスラエルの民はそうではなかったのです。彼らは旧約聖書の律法を守ることを信仰の中心としていました。でも気が付けば律法の本来の主旨から外れ、一人ひとりの人間の痛みが見えなくなっていたのです。

 ところでこの「真理はあなたたちを(我らを)自由にする」という言葉が国会図書館本館に刻まれていることを皆様ご存じでしょうか。これは昭和23年2月4日の参議院本会議での説明によりますと「従来の政治が真理に基づかなかった結果、悲惨な状況に至った。日本国憲法の下で国会が国民の安全と幸福のため任務を果たしていくためには調査機関を完備しなければならない」(羽仁五郎参院議員)の言葉だそうです。羽仁議員がドイツ留学中に見た大学の銘文に由来するそうで、ギリシャ語版まで刻印されています。彼は自由学園の創始者である羽仁もとこさんの娘婿さんなのですね。ご存じの通り、先の大戦では「日本は天皇を中心とした国であり、アジアを欧米列強から守るために正しい戦争をしているのだ」と喧伝し侵略国となり、結果多くの犠牲を国内外に出すこととなりました。

 本当に自由であるということは、人間の都合を優先させるのではなく、聖書の真理に立つことです。自らの存在や行為・思想を絶対化することなく、「神様はどのようにいまこの私を、この世界を見つめておられるだろうか」と聖書に絶えず問うことなのです。実はこの時イスラエルの指導者たちは自分たちを知らず知らずに絶対化するあまりに、イエス様の命を狙っていたのです。深い罪に捕らわれていました。
 対してイエス様が大切に伝えられたことは、人が神に受け入れられるのは人間の努力によるのではなく、神様の一方的な愛によるのだということでした。神に愛され、受け入れられていることを知った人は、それに応える形で自ら進んで喜びをもって他者に仕えることが出来るのです。今日の使徒書のテキストに書かれているように「キリストの愛のうちに留まる続ける」ことによってね。

 2011年3月16日、あの東日本大震災の5日後、私は名古屋のコンサートホールにいました。震災直後はどのコンサートも中止・自粛。来日予定のミュージシャンも軒並み来日キャンセル。そんな中でただ一人来日公演を予定通り行った人がいます。アメリカ人の女性歌手、シンディ・ローパーでした。実は当日の朝、名古屋の友人から「チケットあるんだけど…」と誘われてまるで気が進まない中で行ったわけです。
 ところが日本中が自粛ムードの中、彼女はいつものノリでステージに寝転がり、客席にまで来て椅子の上に登って大暴れで2時間半歌いまくりました。私は「なんて自由で強い人なんだ。力の限り生きるってこういうことか…」と心から感動したのでした。さらに翌日の東京公演では終演後に募金箱を持って終了後のファンに募金を呼びかけたといいます。

 彼女は売れない時代にロスで日本人が経営するレストランで働き、とてもお世話になったのです。だからその感謝の気持ちを忘れていなかった。今度は私が日本人を励ます時なのよ、と感じたのでしょう。来日したことに関してインタビューで「神様はたとえ道端の石ころひとつだって、決して見捨てはしないのよ」と仰っていました。泣けましたね。

 この時のシンディ・ローパーはこの世の常識に捕らわれず、神様からの自由な風に吹かれて生きている。誰が味方で誰が敵か…空気を読んで…私たちはいつもそんなことばかり考えているけれど、イエス様はそんなことはどうでもよくて、まず隣人になる方でした。誰かれ構わず愛を示される方でした。あの震災の後の寒さの中、この国では誰かれ構わず隣人になろうとしていました。そう、まるでイエス様がそうされたように。

 それから13年の時が過ぎました。私自身がそうですけれど、あの時の心を忘れてしまってはいないか。そして世間にはなんだか変な同調圧力が強まってはいないでしょうか。イエス様がなされたように自由に関わり、自由に仕えていくことをもう一度思い起こしたいと思うのです。

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