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アーティスト・チャイルドの存在と名前

ジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読んだとき、アーティスト・チャイルドの存在については理解した。自分のなかにもいるのだろう、と想定した。だが、だからといってコンタクトがとれるわけでもないし、姿もわからない。
それでも大事に育てようと、誓った。

その後、以前にnoteに書いたように私のなかにはアーティスト・チャイルドが2人いると判ったのだが。
その直前、名前が必要なのかな? と、なんとなく思い、それは同意されたので、小を私の愛称につけたもので呼んでみた。ちょっと違和感がある。なにより、アーティスト・チャイルドは不満そうだ。

その後、歩いているときに双子だと感情的な接触で明かされた。名前はふたつ必要だったのだ。そりゃあ不満よね。
名前教えて? って訊くけど言葉ではコミュニケーションできない。
不満を訴えられた私の愛称に小をつけた愛称の末尾はナ。小○○○ナ、みたいな感じ。方向性は悪くないらしい。

そしてアーティスト・チャイルドからあふれてくる感情の波の中、ハッと名前が閃いた、というか、分かった。
コ○○、と、○ナ。
うわ、最初と末尾、あってたじゃん!
名前が近かったことで余計に、ふたり一緒にされてたのが不満で、思わずバラしてくれたようだ。
まぁ、心当たりはある。
文章系と画像系、私の創作は両方へと向かって安定しなかった。
絵にできないものを書きたい文章系創作、この世に存在していない物を描きたい画像系創作。互いの接点は少ないのだ。
だから私が半ば絵の方向性を諦め、文章に夢中になっていくとコ○○は沈黙した。ずっとコ○○が優位で生きてきて、二十歳の頃の転換だった。

以来、でも、時々、画像系というか、手芸というか、そっち方面をやろうとする自分がいた。樹脂粘土細工に、カラーの切り絵。Photoshopによるエアブラシ風のイラスト。ネットの素材屋。
だけど、アファンタジアの悲しさ。心の眼のない、しかし奥底には大量の画像ではないイメージが澱みのように存在する。それを形にするには、私自身の技術があまりにつたなかった。

AIイラスト生成に手をつけたのは今年の前半の終わり頃。
それまで眠るように潜んでいた○ナが、息を吹き返した。ジュリアの本を読み、アーティスト・チャイルドを慈しむようになっていたから、甦りやすかったのかも。
なんか、ファンタジー小説ばかり書くけど、ファンタジーとは縁のないような私個人。けれど、よくよく考えれば、私の体験はファンタジーに満ちていたかも?

アーティスト・チャイルドがもたらしてくれる、さまざまなシンクロ。これは創作において強烈な快感を伴う瞬間だ。
ヒラメキを拾い書き留めるのも。
創作自体も。
快感であり快楽なのだ。


AIイラストはPixAIで生成。

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