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ヒラメキとモノローグを書き留め続けるのに最適な、Obsidian

1日1デイリーが用意されるObsidianなら、それこそタイトル代わりに時間だけ書いて、その後に、どんどん書ける。

時間を記した後に、たらたらたらたら書いて、ふう、と、一息つくと、一纏めの文章、っていうか、カケラ、断片、できてる。中途で切れても気にしない。
その場所、その時間。そこでしか書けない内容なのだから。

途中で書いてる内容が変化したな、と思ったら、その上に時間を書くことで一旦区切る。後は、そのままの勢いで書き続ける。たらたらたらたら。
だから、幾らでも書いていられる。話題が変わっても。途中で風景スケッチに変わっても、気にせず、時間だけ書いて区切ってく。
この日の、その時間に、私はこんなことをモノローグしてた。ってことで。

ただ、一日の途中でも終わりでも、それらを分配してく時間は必ず作る。
私は、元は残しつつ、アウトライナーへ分配する。メモをとるのがObsidianに代わる前から、ずっとこの方法。
分配せず、そのままの塊もあるにはあるけど、ほとんど分配されいく。
noteに投稿の内容だけは、Obsidianのnoteフォルダに次々切り出す。

分配を必ずその日のうちにするから、小説のネタも、noteに書きたいことも、AIイラスト生成したい思いつきも、全部ゴチャゴチャと続けて書くことが可能(これは溜め込むと辛い作業に早変わりするから、かならず当日に)。
分配するときには、分配先に日付を足す。新たにサブタイトルつけるなり、すでにあるサブタイトルに断片として放り込むなり。
その時も、放り込むだけで別に読んだり、書き足したりしない(たまに、ヒラメキが来ちゃったら、その場に、日時書いて書き足すこともある)。

作業は分けたほうがいい。書くときは、書くに専念したほうがいい。


調子がよければ、幾らでも書いていられる。頭のなかのモノローグ(思考)を拾うだけだから。
思考は止まらない。くだらないことも考えるけど、そのまま書く。
別に誰にも見せないし。
拙いこと書いてたら、分配しなければいい。
でも、案外、そういう所に、大事な言葉が眠っている。何にも考えずに書き続けると、無意識のなかにあるとんでもないものが、書けていることがある。それが面白くて。

面白いのよ。楽しいのよ。モノローグは幾らでも拾い続けられちゃうの。

でも、小説のネタは、ちょっと違うかなぁ。
ヒラメキの瞬間は、いつか予想が付かない。
歩いているときにヒラメキやすいけど、歩き続けると忘れる。
なので足を止める。その場所、ってのが大事。
とにかく、ヒラメキを書き留める。
これは、さっと迅速に。
だいたい、数歩歩くとヒラメキは逃げるからね。時間は、書き留めてから書き足す。

その場、その時。だからこそのヒラメキ。

だから、タイトルなんて考えてる暇ないから、時間、って決めてる。
何を書こうかなんて決めずにすむから、とにかく書ける。


サブタイトルとか、項目とか、見出しとか考える頭って、別のところにあると思う。それは抽象化の能力だから、メモを書くのと同時に使うには、たぶん訓練がいる。私には無理。

逆に、タイトルが、ポン、と閃く時もある。内容なんか、何もない。
けど、それは、そのまま時間の下に書く。
で、また、時間書いて、別のことを書く。その場でしか、その瞬間でしか、思いつけないことは絶対ある。その場や時間を離れたら、言葉の続きは消える。だから、できるだけ急いで書く。直してる暇はない。直すのなんて、あとでできるけど、ヒラメキは、二度と戻ってこないから(たまに、再度閃くこともあるけど、内容は微妙に違ってるかな)

ヒラメキを書き留めていると、書いている時には分かっていないかもしれない。でも、夢中で書いているときに無意識に記した内容のなかには、後でみるとヒラメキが含まれているものだと思う。


書くのと、直す(推敲)のも、頭の使う場所が違う。書きながら直すのはアクセルとブレーキを同時に踏むようなもの、と、良く言われるけど、本当にそう。同時にやると効率悪いのよ。
あ。途中で消すのも無しで。勿体ないよ~
メモを書いてる時に(何書いてるんだろうなぁ)的な自分への突っ込みは無視。客観視はいらない。


AIイラストはPixAIで生成。

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