読まれ理解されるために記しているのではないから夕方の吐息の数を消し続ける
誤解が生まれる、解釈が違う。そういうところ。
本人の被害妄想の強さもそれに比例して増減。
相手を理解する、相手の身になる、そんなことが可能なら平和しかない、豊かだ。
それを声高に主張する方がいる場合、そもそも私の身になって考えられているかどうかも壮絶に怪しい。ほぼ考えていない。結局は自分と似た人の身になって考えているのだから。そうでしょう?皆そうだと思います。性質の違う相手の身になって考えるなどという大層難しいことはできないだろうし、だからこそ孤立無縁に立たされたモノが煽って