見出し画像

『わたしの開高健』by 細川布久子

先日の『最強の二人』からの開高健シリーズ。
『輝ける闇』や『夏の闇』も手元にあるのだけど、簡単に読めそうなこちらから読んでみた。

著者は元々は熱烈な開高健ファンであり、関西から東京へ出て開高健へのつながりを求める中で幸いにも縁を得る。そして、一時は私設秘書的な役割を務めていたこともあったという。布久子という名前は、本当は福子のところ、開高の命名でこの漢字に変えたそうだ。

『面白半分』という半年ごとに著名作家が編集長を務める雑誌で、編集者として開高健の知己を得た著者は、世に出た開高作品はすべて読み込み、そんなものまで読んでいたのか?と開高健自身が驚くほど、雑誌に寄せられた小文なども目を通していたという。

美人でもなく、さして才能があったわけでもない彼女は、なぜか開高に気に入られる。個人的に預金通帳まで預かっていたというからすごい。
この著書は、開高健へのいわばラブレターだと思う。もうとにかく、尊敬し尽くしている感じが伝わってくる。
可愛がってもらい、就職の世話もしてもらい、過分な贈り物をいただき・・・ただ、気が利かない彼女は、それにあまり応えることができない。
あまり、才気煥発なようにも思えないというと言い過ぎかも知れないが、編集者になりたいというより、開高健のそばにいて功績を知らしめたいという思いが強いひとだったのだと思う。それだけは、とても伝わってくる。

『最強の二人』を先に読んでいたので、特に新しい発見はなかった。
逆に、北康利がなぜか彼女には取材していなかったなと思ったが、開高が亡くなる前からフランスに居を移していたようなのでそのせいかも知れない。
『エチケット1994』というワインに関する著書で、開高健賞奨励賞を受賞。
その際に設けられた晩餐会で、佐治敬三氏の厚意によりなんとロマネ・コンティ1989年を供されたという。ただ、このときはまだ5年ということで若く、あまり開いていない印象だったと記されている。

開高健の著書に『ロマネ・コンティ1935年』という著書がある。
1997年、日本でワインブームだった頃に雑誌Brutusの取材で、ドメーヌ・ド・ロマネ・コンティを訪問する機会を得た彼女。インタビューの最後に、思いがけずオーナー二人の口から開高の『ロマネ・コンティ1935年』に関する賛辞を聞くことになり、思わず開高が師であったことを告げるとなんとオーナーからカーヴを案内しましょうと申し出を受けるのだ。なんという役得!
ここでのテイスティングで、エシェゾー、グラン・エシェゾー、ロマネ・コンティ1997年を味わうことができたという。この蔵出しのロマネ・コンティが素晴らしかったらしく、将来の開花が非常に楽しみだとあった。

開高健は大変な美食家であり、健啖家であったそうだが、ワインにもとても造詣が深かったという。知人がコレクションを手放したとき、すべて自宅カーヴに引き取ったというからすごい。まだまだ、庶民はワインなど身近でなかった時代に、だ。
ちなみにお気に入りのシャンパーニュの銘柄は『クリュッグ』。そのことから、著者は『エチケット1994』が受賞したときにクリュッグのヴィンテージもの『グランダネ』(フランス語で偉大な年の意)を奮発している。

いわば、いちばん傍にいた開高健ファンが、自分が見聞きした等身大の開高健を書き留めた一冊。なかなか面白かった。
装丁が、アンクルトリスの柳原良平氏。このことからも、著者が開高健にいかに可愛がられたかが推し量られる。



日々のよしなしごと、好きな音楽のことなどを書いています。 楽しんでいただけたら、サポートしてくださると嬉しいです。