ハイロー(ヅカロー)カナへ募らせた激重感情がスゥーっと昇華したはなし

小4のときのおばあちゃん先生が短歌好きでたびたび有名な短歌を詠みあげては解説をしてくれたことがあった。

影響を受けたわたしは短歌に魅力を見つけて、その年のクリスマスプレゼントに短歌集をリクエストした。

それから長らくそんな言葉の世界との出会いはなかったんだけど、久しぶりによんで忘れられない詩に出会った。

最初にみたときはカナへのあてがきに感じて衝撃的だったけど、今はその詩自体が忘れられない。

最果タヒさんの恒星の詩。

素敵な詩だな。素敵でかっこいいのよ。

ヅカローのカナを思っているときに、たまたまtwitterでタヒさんの詩が落ちてきて、それがちょうど思いを巡らせていたカナにピタリとハマるような詩だった。

とてもとても感動した。

(恒星の詩はタヒさんのツイートで知ったのだけど、リンクを張っていいのかわからないので張っていません。とても素敵なので、twitterでワード検索してみたら見つかると思います。ぜひよんでみてください)

恒星の詩は短命な星のかがやきと重ね合わせた、命の終わりを知っている女の子の詩(と私は解釈した詩)なのだけれど、ラスト4行に出てくる言葉がちょうど私の思い描いていたカナと重なるように感じた。

”短命ってなんかロマンチックだねって そうやって生まれる映画があるなら”

 …って。

本当にたまたまのタイミングで、まさにカナのことに思えてしまって。

もうここからはカナの話にからめて、詩への私の感想を書きます。ぜひ詩を読んでから読み進めてください。

私は余命の短いカナを(あえてこう言いますが)勝手に憐れんでいるけど、カナはそうやってある意味エンタメとして消費されること含めて、堂々と呪えるって、たしかに思ったかもな。

それくらい、ひとは他人に興味はないし、興味があるとしたらそれは興味本位かもしれなくて、その感情はいやらしいものかも。
だからカナは勝手にエンタメとして消費するわたしのような観客側を全力で無視していいし、逆に全力で受け止めようとしてくれるコブラの胸には、飛び込んでいけた。

カナは残された時間で自分が見たいものを自力で探し出して見ていたし、見なくていいものは見ずに生きた。

カナが星だとしたら、その星の光は他と比べて薄かったとしても、短命だったとしても、星自身は気持ちいいくらいに光っていたんだろうな。

わたしが憐れもうと、カナは気にも留めない。そしてカナは自分の道を生きた。

ひとは人を勝手に決められないし、当人は当人を生きた。

その詩を見て、そう思った。
恒星の詩をよんで、ヅカローのカナへの思いに一つ納得ができた。

そして実は、この詩が出来上がる過程もスクショのような形でツイートされていたのだけど、それをみると”私たちが愛し合っているんだと伝えたら・・・”からはじまる一文を書き、途中で今書いたこの文を消し、そして生みだされたのが”短命ってなんかロマンチックだねって”、から始まる第三者の無邪気な言葉だったんだよね。

それは、まるでカナを客席でみていた一人ひとりまで、言われているようだった。短命ってなんかロマンチックだねって言ってのける図々しさ。星の命の話なら、なんでもない話で確かにロマンチックかもしれない。でもそれがひとりのいのちの話なら?

これを読んだ時、コブラとカナのアレコレを勝手に慮る第三者を痛感させられた。わたしはもしかしなくても、カナの短命を勝手に憐れんでかわいそうがっていたのかもしれない。そしてカナはそんな第三者の視点に気づいていた。知っていた。

”そうやって生まれる映画があるなら 喜んで呪えるから”

ヅカローじゃん。

そして喜んで呪えるってなんて強くて悟ったことばなんだろう。

きっとカナは自分の道を脇目も振らず歩いた。それが支えだなと思った。

ヅカローのカナを演じたのは潤花さん。かわいくてお茶目でポジティブで、でもコブラにはとうとう胸の内を伝えられた、潤花さんのカナ。みていて大好きになった、潤花さんのカナ。
そしてタヒさんの詩をよんだ私の脳内映像には、柴咲コウさんがうかぶ。喜んで呪えるからって不敵で気持ちのいい笑顔で立ち上がってくる。ヅカローのカナも、そんな一面、きっと持ち合わせていたと思う。イメージ上の柴咲コウさんに象徴されるような、サバっと強いカナ。

ほんとにあの詩に出会えてよかったし、カナを思ってあれこれ思っていたじくじくした気持ちに、踏ん切りがついた。カナはきっと私が思っているより強くてかっこいい女の子だ。

追記 言及していないけど恒星の星の前半部分も、とても心に残っています。もっと明るい星を見たいとこどもがせがむ。それは純粋な子どもごころだし、こどもだけじゃなくて大人も同じだと思う。どうせ見るなら、もっとわかりやすくてキラキラしてる星をみたいのよ。でも、ひかりの薄い星も、眩しい星も、そばによって見れば同じように燃えていて。それを離れたところから眺めてあっちがいいこっちが見たいと勝手に話すさまは、先に言及した第三者の外側の視点だなぁって。
こう思えた導入部分があって、短命ってなんか…のくだりに繋がったからこそ、詩を読んだわたしにカミナリがおちたと、思っています。

めちゃくちゃ勝手なわたしの解釈でした。


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