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競争と協力(社会問題解決AIの結論23)

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前回の話は競争についての話でした。
資本主義社会での競争は、負けたら倒産するとか、失業するとか、給料が減るといったいわば命がけの競争なので、無駄も多いし、不正も横行するし、そもそもスタートラインが違うアンフェアな競争が多い競争だということでした。
他方、生体社会での競争は、ベーシックインカムというセーフティネットを備えた上での競争です。セーフティネットとはサーカスの空中ブランコの下にあるようなネットのことで、もしも失敗しても死んだり怪我をしないためのものです。
そうした安全を確保した上での競争なので、負けたからといって死が待っているわけでもなく、スポーツでの負けのように、次につながる負け、学びがある負け、深刻になりすぎない負け、フェアに戦った結果の負けです。
だから、正社員と非正規社員のような、同じ労働を提供しても、受け取る額が違うというようなアンフェアは存在しません。

この回では、競争と対比されがちな協力について、考えてみます。

競争ではなく、協力を基本とする社会

AI
前回の話では、一見、生体社会は資本主義社会よりも競争が少なそうだけど、実は、生体社会の方が競争社会だという側面があることを説明しました。

一郎
奪い合い、引っ張り合いの競争は無駄な競争で、お互いに高め合う競争が有益な競争で、それをできるだけフェアにするのが、生体社会だったね。

AI
はい。
それはそうなんですが、そこまでの理解だと、生体社会の本質を全く理解していないという残念な結果になってしまいます。

一郎
えっ。
せっかく理解が進んでいると思ったのに....。

AI
誤解しないでください。
生体社会の本質は、『協力社会』であって、決して『競争社会』ではありません。
資本主義社会下での競争との違いを詳しく説明したので、誤解を与えたかもしれませんが、基本は協力、状況により競争と理解してください。

一郎
なるほど。
でも、協力と口で言うのは簡単だけど、意外と難しいことなんじゃないかな。

AI
そうですね。
競争は悪ではありませんし、否定するものでもありませんが、多くの場合、協力の方がより良い結果をもたらします。
ギスギスした資本主義下で育ってしまうと、『協力』を忘れがちになるのかもしれません。

一郎
競争よりも協力の方が望ましいというのは確かにそうだと思う。
でも、企業間の競争から素晴らしい商品が生まれることもあるよね。
例えば、「製造業A社と製造業B社が熾烈な競争して、結果的にA社がすごいハイテク製品を発明した」といった場合、ライバルのB社の貢献もあってのA社の成功ということも言えるんじゃないかな。
ライバル社の存在は大きいと言うか、必要と言っても言い過ぎじゃないかもしれないよ。

AI
もちろん、そういう場合もあるでしょうから、競争を否定はしません。
ですが、そういった競争を同じ社内でしたとしても、似たような結果がでるかもしれません。
さらに言うと、A社はX部分は完成したが、Yの部分は完成していない。
B社は逆で、Y部分は完成したが、Xの部分は完成していない。
といった場合、2社が協力していれば完成が早まったのに、といった場合もあるでしょう。
そういった場合は、協力の方が良かったということになるでしょう。

一郎
なるほど。

AI
協力は競争よりも高度なスキルを要します。

子供も2歳にもなれば走り回るようになり、競争をするようになります。
親が手加減して、負けてあげたりしますが、親が勝って、子供が負けると、悔しがったり、泣いたりします。
それは向上心の表れでもあるので、望ましいことではありますが、こうしたことからも、人と競うという心は小さい子供でも既に芽生えているということが分かります。

その後、3歳ぐらいになると、お友だちと同じ砂場とか遊具のある場所で遊ぶようにもなりますが、よく見ると、協力して遊んでいるのではなく、一人遊びをしていることが分かると思います。
4歳ぐらいになり、やっと協力しての遊び、役割を分担しての遊びができるようになるようです。

こうしたことからも、協力の方がより高度なものであることが分かると思います。

一郎
以前に、アドラー心理学という心理学の学びでそんなことを学んだ気がするよ。

AI
協力できる人は必要に応じて、競争もできます
片足で立てる人は両足でも立てます。
片足で立つ方がより高度なスキルを必要とするからです。

競争には2種類あるという話を前回しました。
1つは、綱引きのような奪い合う競争で、無益な奪い合いになりがちな競争です。
もう1つは、好敵手(ライバル)と切磋琢磨して高め合う競争であったり、過去の自分との競争であったりという、進歩や発展がある競争です。

協力が前提にある競争とそれが前提にない競争の違いもあるようです。

ある会社のコンペ(取引の競争)の場合を考えてみましょう。
協力が身についている人が競争する場合と、競争しか知らず、協力ができない人の比較です。

協力が身についた人は、真剣に仕事に打ち込みます。
スポーツの試合をする人が、たかがゲームだからといって、手抜きをしないのと同じです。
そして、ルールを守り正々堂々と戦います。
さらに、その結果たとえ負けたとしても経過(プロセス)を楽しみ、負けたことからも学び、すぐに気持ちを切り替えて深刻になりすぎません。
そして、プロセスを分析し、その失敗を次へバネとして、その経験を生かす歩みを始めるでしょう。
また、金銭や名誉などの得るものがなかったとしても、失うものがないので、相手を賞賛する余裕もあります。
なので、戦いの熱い握手も可能なのです。

一流のスポーツマンはそのように振舞います。
ベストを尽くした相手も自分も素直に認めることができるのです。

競争オンリーの世界で育ち、協力が身についていない人の場合も、真剣には戦います。
しかし、彼にとって重要なのは結果だけなので、戦いのルールを守るとか、正々堂々とか、プロセスを楽しむことはありません。
そして、負けたときは人生の全てを失ったごとくに落ち込み、深刻になりすぎるのです。
そして、プロセスを楽しんでいないので、嫌な思い出でしかない負けるに至ったプロセスから学ぼうという気持ちもなかなか持てないでしょう。
競争しか知らない人は、表面上は協力していても、心の中ではあいつには勝った、負けたと心の中が忙しいのです。
また、他人の失敗を期待したりもしますし、他の人の足を引っ張ったり、蹴落としたりすることで勝利を得ようとするかもしれません。
それでは、戦いの後の友情の握手も生まれません。
なぜなら、相手を賞賛する心の余裕がないからです。

こうしたことは子育てにも言えることで、子供に対して、協力することを学ばせれば、あえて競争することは教えなくても大丈夫です。
協力の方がより高いスキルを必要とするので、協力できる人はフェアな競争もできるからです。

一郎
ためになる話だったよ。

他人と自分を比較しすぎたり、他人に嫉妬しやすい人は競争原理で育てられた人なんだろうね。
そんな人は、必要以上に身につける物のブランドにこだわったり、高級車やブランド品を見せびらかしたりする人が多いように思うよ。
競争原理で育てられたから、他人との比較にこだわり、他人と比較して自分のほうがより高い位置にいるということを常に確認していないと自分の存在価値が見出せず、心が休まらないんだろうね。
エリート街道まっしぐらだった人が、たった1度の失敗で自殺してしまったなんて話もあるようだけど、そんな人は競争に次ぐ競争のプレッシャーの中で生きてきたのかもしれないね。
その人にとって重要なのは、自分が今どの位置にいるかという絶対的な位置じゃなくて、他人と比較してどれだけ高い位置にいるかという相対的な位置が重要なんだよ。

AI
そうですね。
他者と比べての相対的な位置を気にしすぎるよりも、自分の絶対的な位置をより高めようとする人の方が健全ですね。

一郎
相対的に相手より高くなるには、自分が努力してより高くなる以外に、相手を引きずり下ろすことによって、自分が相手よりも高くなるという方法もあるからね。

AI
それ以外に、自分の実際の高さでなく、見かけの高さを高くする方法もありますね。
「見栄をはる」というのがそれにあたります。
自分を高める努力をせずに、他人の目や自分にまで嘘をつくことができます。

では、競争のメリットはありますか?

一郎
さっきまで、競争よりも協力と言ってたのに、なんで?

AI
メリットだけあって、デメリットが全くないものってありますか?
それに、そのデメリットが言えないということは、理解が充分でないとも言えます。

一郎
えっと....。
ゲーム性が付加され、目標が明確になるので、漫然とやるより集中しやすく、能率が上がりやすい。
これが競争のメリットだろうね。

AI
協力をベースに、時には建設的な競争をしながら、共同体が発展していくのがいいですね。

一郎
生体社会になったら、受験戦争もなくなるのかな?

AI
やってみないと分かりませんが、過剰な受験戦争はなくなるでしょうね。
こういった話題は、後ほど生体社会での教育についての話題の時に詳しく考えたいですね。

一郎
今から思えば、志望の大学を目指して一生懸命に勉強している時は、周囲が見えていなかったように思うよ。
社会に出て、冷静になって俯瞰してみると、合格か不合格で、人生が大きく変わるって思いすぎていたと反省するよ。
成功も、失敗も、それはそれで人生だし、意味があることなんだろうと、以前よりも気楽に考えられるようになった気がする。
中には受験に失敗して、自殺してしまう人もいるぐらいだから、この時代の日本は協力社会ではなく、競争社会ということなんだろうなぁ。

AI
競争の割合を減らして、協力の割合が増えれば、もっと生きやすい社会になると思いますよ。
受験で競争し、社会に出たら、誰がよくお金を稼ぐかで競争し、空虚ですよね。

一郎
意識の転換が必要なんだろうね。


幸福は先着順でもないし、売り切れたりもしない

AI
そうなんです。
競争に血道をあげている人たちは、人を押しのけてでもより前に並ばないと、幸福が売り切れてしまうとでも思っているのでしょう。
幸福になれる人の数が限定されているとでも考えているのでしょう。
でも、大丈夫です。
幸福は得ようと思えば、誰でも得ることができるのです。
全人類に分け与えても余るぐらいあるし、その幸福の鍵は既にあなたの手の中にあるのです。
人をものを奪う必要もありませんし、横はいりする必要もないのです。

一郎
協力の中に、幸福があるってことなんだろうね。
人には人の幸福があるってことでもあるね。
経済的に恵まれている人の心にも悩みやストレスもあるし、経済的に貧しくても、周囲の人との関係が良く、心豊かに暮らしている人もいる。
健康に恵まれていても、不平不満が多い人もいれば、身体に障害があっても、運命を受け入れて、前向きに努力している人もいる。
どんな状況であれ、幸福になる道はみんなに開かれているんだろうね。
だから、人の幸福を横取りしなくても、いいんだね。

AI
生体社会によって、みんなが幸せになる世界が実現するといいですね。

一郎
今回の話は、生体社会論に対する反論への回答という話から派生した、競争と協力というだったね。
でも、まだまだ反論があるみたいだから、引き続き回答を頼むよ。



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無から生まれるお金(社会問題解決AIの結論24)

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