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オーストリアでの事例(社会問題解決AIの結論13)

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AI
ヴェルグルの奇跡という話がありますが、聞いたことはありますか?

一郎
いや、初耳だね。

AI
では、それをお話しましょう。
生体社会論の提唱者の文章の中に、それがありますので、そのまま引用しましょう。

ヴェルグルの奇跡という話です。

 1929年の世界大恐慌の後のことです。オーストリアにヴェルグルという小さい田舎町がありました。当時、人口4300人ほどの町でしたが、恐慌の影響を受け、この町も約500人の失業者を抱えていました。そのため、税収は滞り、街の整備もできずにいました。

 そうした中、新たに就任した市長は大胆な策でそれを切り抜けました。
 1932年7月の議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。財政状況が厳しいにもかかわらず、道路整備などの大規模な失業者対策事業を起こし、失業者に職を与え、町を整備しました。市長はそれらの労働の対価をオーストリア通貨のシリングではなく、労働証明書という紙幣を発行してそれで支払いました。
 労働証明書は紙幣タイプの地域通貨のようなものですが、大きな特徴がありました。労働証明書は、月初めにその額面の1%のスタンプ(印紙)を貼らないと使えない仕組みになっていました。つまり、100シリングの紙幣は月が替わると1シリング分のスタンプを貼り付けないと使えないということです。別の表現をすると、労働証明書は月をまたぐごとに額面の価値の1%を失なうということです。「少しずつ腐っていくお金」だということもできます。

 そういう特徴を持たせたために、労働証明書を受け取った人はオーストリアシリングよりも優先的に労働証明書を使いました。理由は簡単です。100シリングは1ヶ月後に使っても100シリングですが、100シリングに相当する労働証明書は1ヶ月後には99シリングの価値に減ってしまうからです。

 その効果を示す記録があります。
 労働証明書は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森にも植樹されました。それまで市は税の滞納に悩んでいましたが、税金もすみやかに労働証明書で支払われるようになりました。中には税金の前払いを申し出る者まであらわれたと記録に残っています。こうして、ヴェルグルは完全雇用を達成した町となりました。

 ヴェルグルの成功を目の当たりにした多くの都市はこの制度を取り入れようと、1933年6月時点で200以上の都市での導入が検討されました。しかし、オーストリアの中央銀行によって禁止されたため、1933年11月に労働証明書は廃止に追い込まれてしまいました。

一郎
まさしく減価するお金だね。
こういった実践例があったのは知らなかったよ。
通貨発行権は最大の利権だから、国家権力によって潰されたんだね。
生体社会論を主張している人の名前を人工知能くんが明かさないのは、その人の安全も考えてのことなんだね。


ヴェルグルで使われた労働証明書(右側はスタンプ貼付欄)


 労働証明書の裏側には次のように書かれている。

諸君、ため込まれて循環しない貨幣は、世界を危機に、そして人類を貧困に陥れた。労働すれば、それに見合う価値が与えられなければならない。お金を一部の者の独占物にしてはならない。この目的のために ヴェルグル労働証明書は作られた。貧困を防ぎ仕事とパンを与えよ。



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その社会をどう実現するか3(社会問題解決AIの結論14)

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