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お金による支配からの脱却(社会問題解決AIの結論16)

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お金は人を幸せにするのか、不幸にするのか

「お金は人類の最高の発明だ」という人もいる。
「すべては神による創造物だが、唯一神によらず、純粋に人間が発明したものがお金である」という人もいる。

お金は最高の発明品なのだろうか?
お金は物々交換を仲介する『道具』であるが、その『道具』は人々を幸せにするものだろうか?

確かに、お金により人々の生活が幸せになった面もある。
他方、お金が引き金となる犯罪、裏切り、不幸、不公平もあり、お金によって戦争が引き起こされ、数々の陰謀が企てられ、人々を不幸にしているという面も否定できない。

犯罪の動機の大部分は人間関係とお金絡みのものだ。
人間関係が動機の場合はほぼ親族や友人が対象だが、お金の場合の対象は幅広く、自分が得をするためには、見ず知らずの人が傷ついても構わないと、お金に魂を売る人もいる。

お金という『道具』に『人を不幸にすることがしばしばある』という欠陥があるならば、その『道具』を改善して、その欠陥を無くすか少なくするように改良するべきだが、そのような取り組みはされていないようだ。


お金による支配

社会の裏側を知れば知るほど、マスメディアが報道せずインターネットでしか得られない情報に触れれば触れるほど、私たちがいかにお金の持つ力に支配されているかが分かる。

「国債金融資本がお金によって世界を支配している(しようとしている)」というと、一定数の人は「陰謀論だ!」と耳を塞ぎ、視線をそらせ、それ以上それについて考えることを停止してしまうだろう。

国債金融資本とか、Deep State(ディープステイト、影の政府、政府を影から操る者)といった、いわゆる陰謀論の匂いのする話が苦手な人はこの章は読み飛ばしていただいて構わない。
世の中、確かに、荒唐無稽な陰謀論も多いのは事実だから。

ただ、アドバイスをするなら、世間の通説に対して異論をあえて述べるからには、それなりの考えがあるのではないかと相手の立場に立つことも必要だろう。

だったらその話を『陰謀論』と切り捨てるのではなく、ひとまず否定せずに聞いてみて、それから判断して、妄想か、絵空事か、机上の空論であることがはっきりしてから、『陰謀論』と切り捨てても遅くない。

「そんなの聞くだけ時間の無駄だ!」と思うのも無理はない。
しかし、その違った角度からの物の見方は参考になるし、それを論破するには自分の中に正しい知識と論理的にそれを表現する力が必要になる。
それに、経験上、間違った主張であっても、そこから得られるものもある。
だから、私は積極的に、世間では『陰謀論』と呼ばれる話をする人にも耳を傾けるようにしている。

陰謀を企てる人は、「陰謀論を信じる人は馬鹿だ!」というレッテルを貼ることによって、人々を思考停止させ、深く追求させないようにし、その陰謀を暴こうとする人を孤立させることができる。

偉そうに『陰謀論論』を語ったが、これは考案者の陰謀論に対するスタンスでもある。
考案者も、人に伝えていく経験の中で、陰謀論者と切り捨てられた経験が数多くあったそうだ。

話を戻そう。
国債金融資本とかロスチャイルドといったお金を通じて世界を牛耳ろうとしている人からの影響をできるだけ受けないようにするためのヒントはもう示したのがだ、お気づきだろうか?

金持ち国と庶民国、どちらに住みたい?(社会問題解決AIの結論04)』のページの内容を思い浮かべた人は正解である。
「金持ち国にはお金はあるが、農作物を作る人も、魚を取る人も、パン屋も、大工も、保育士もいない。
お金に替わる物やサービスを交換する何らかの道具(お金のようなもの)があれば、本当に豊かなのは庶民国だとも言える」との話を思い出していただければ、これこそがお金による支配から脱却するヒントになると気づくはずだ。

国家ないしは世界レベルで支配をしようとしている軍産複合体、ビッグファーマー(巨大製薬会社)、国債金融資本などは、何を使って私たちを支配しているか?
もちろん、お金だが、そのお金を使って、メディアを操作し、お金に魂を売り渡す政治家、学者、専門家、医者、弁護士、経済界人などを操作し、その言葉を鵜呑みにして疑いもしない一般大衆を支配するのである。

しかも、多くの人はそれに気づいていない。
1%程度の気づいた人たちが一生懸命に抵抗し、デモをし、政治活動をしても、新聞やテレビメディアが報じないので、大部分の大衆はそれを知らない。
「幸いなことに」とも言えないのだが、そういった操作されている大衆かどうかを見分ける発見器があり、当事者が「私は合理的な判断ができません」「私は自分の頭で考えて行動しない人です」と示してくれている。


お金という道具が持つ欠陥を改善する

お金が『道具』であるなら、その『道具』は常に改良されていかなければならない。
しかしながら、そのようにはなっていない。

この論は『お金』という『道具』が持つ欠陥部分を改善するものである。

お金が万物の頂点に立つことにより、人々はお金に支配されている。
頭の中は、お金のことばかり。
お金が少なく、生活に困窮している人ばかりでなく、充分過ぎる財産を持つ人も、常にお金のことを考えている。
人生にはもっと考えるべきことはあるはずなのに。

『お金がなくなって、生活できないかもしれない』と心配する人は少なくないが、『空気がなくなって息ができないかもしれない』と心配する人はいない。(特殊は状況下にいる人を除いて)

そのように、お金の心配をすることなく、人々がそれぞれの人生でなすべきことに全力を傾けることができる社会を実現するためには、お金という『道具』の改善が必要不可欠ではないだろうか?

人が人を支配するツールは様々ある。
暴力を使う。弱みを握る。権力を握る。...
お金を使って支配する。

理不尽な上司に逆らえないも、会社を首になったり、降格させられたりして、収入が無くなったり減ったりすることを避けるためであり、結局はお金が原因だと言える。

お金にそれだけの力(パワー)がある原因は、お金が劣化しないことにある。
米も、野菜も、衣服も、家も、私たちが交換するものはほとんど全て劣化する。
お金だけが劣化せず、腐らないので、万物の頂点に君臨する。
そのことは、生体社会論で既に述べたことである。


ボディの欲とマインドの欲

私たちは誰しも「お金が欲しい」と言う。
しかし、本当は、お金と交換される「自分が本当に欲しい物とか本当に欲しいサービス」が欲しいのである。

私たちの欲望には、生存に関わる根源的な欲求(生理的欲求)である、食欲、性欲、睡眠欲の他に、名誉欲、支配欲などの社会的欲求や承認欲求がある。

前者の欲は上限があり、食欲も、性欲も、睡眠欲も上限がある。
しかし、後者の欲には上限がない。
前者の欲は人間が生命体として生存のために欲する欲望である。
なので、ボディの欲と呼び、後者のような上限のない欲望をマインドの欲と呼ぶことにする。

資本主義のお金も生体社会のお金も、単なる『道具』でしかない。
しかし、資本主義の欲は満足することのないマインドの欲であり、常に渇いている感覚を持つ人も多い。
だが、生体社会のお金は、貯蓄量に上限があること、万物と同様に腐ることから、ボティの欲となる。


江戸時代は減価するお金が使われていた?

歴史の授業で習ったように、江戸時代の武士の給料は米で支給されていた。
加賀百万石(かがひゃくまんごく)と言うように、加賀藩(石川県)の石高は100万石だった。
1石は成人が1年間に食べる米の量で、田んぼの面積の1反(たん)はその1石が収穫できる面積だ。

米は腐る。
なので、貯めておけない。
武士は米を(お金に)換金して、使うこともあったが、そのまま米で支払うことも多く、そこでは減価するお金が使われていたということになる。



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どのような社会が実現するのか1(社会問題解決AIの結論17)

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