第2話・英語の授業のノートテイク
高校入学1日目、1時間目の英語の授業が始まりました。
先生が教科書を読みながら、黒板に英文を書き込みます。
私は、初めて会ったA君の隣で自分の教科書を広げ、先生が読んでいる教科書の文章を、緊張しながら鉛筆でなぞっていきました。
先生が黒板に書いた文書は、私のノートに書き写して、その下に日本語訳を書いて行きます。
A君は先生を見ていますが、ときどき私のノートに目をやりました。
少しでも見てくれると、こちらもホッとして、このとき素直に嬉しいと感じました。
私は、先生が強調して話す言葉や文章に、教科書やノートに目立つように丸印を囲ったり、二重線を引きました。ここまでは、普通の学校生活と変わりません。
ただ、先生の翻訳した言葉を取りこぼさないように、いつもより注意をしておりました。
私が先生の言葉を聞きそびれると、A君にもう伝わらなくなります。
こうなっては絶対にいけないと思い、このとき、自分自身に取りこぼしは絶対に起こさない!という決心をしました。
これが高校生活一日目、一時間目の出来事でした。
つづく‥‥‥‥
※※※※ 当時を振り返ってみた解説 ※※※※
このときの私の決心は間違っておりました。
先生の話は、全てノートに書ききれなくても、仕方のないことでした。
しかし、当時の私はこれをしなければならないと、完全に思い込んでおりました。
話の内容を短くまとめて記載していくのが「要約筆記」の考え方です。
人が話す言葉の速さは、手で書き写す速度には勝てません。
また、講演会などの筆記通訳の現場では、要約筆記者奉仕員が聞き漏らした言葉は、そのまま書けなくても『可』です。
講演会終了後に筆記者が、後から講師に聞き取れなかった部分を確認し、改めて通訳することもありません。それは、健聴者でも講演内容を聞き漏らすことがあることと、そこまですると健聴者への差別に繋がってしまうからだと、当時講師の先生から教わりました。
(※約20年前に受けた要約筆記講習会での話です、現在の基準は不明)
私は、社会人になった30代でこの講習を受けましたが、ここで初めて筆記通訳のルールを教わりました。
このことを高校時代に学んでいれば、もう少し楽しい高校生活が出来ていたのかも知れません。
少子化で、聾学校の統廃合が行われるとのニュースを見たのですが、これから統合教育を経験する方もおられると思います。この手記がお役に立てる場面があるかもしれません。
このようなお話を、少し続けてみようと思います。
テーマ的に、あまり楽しく書けない内容なのですが、
読んでいただき、ありがとうございました。
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