今やってること、役に立つ?
以下、「#想像していなかった未来」の短編小説です。
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「韓国語なんか役に立たないから、英語を勉強しなさい」
父親の声が脳裏によみがえる。
その時、私は大学生だった。
入学初日のガイダンス、隣の席に座っていた女の子が、緊張する私に話しかけてくれた。
「私、ナヨンって言います。韓国人です。友達になりましょう」
韓国人と話したのはこの時が初めてだった。
韓国という国について考えたことはそれまでの人生でほとんどなかったが、目の前の女の子は突然私に「韓国」という世界を教えたのだった。
ナヨンは日本語が堪能で、会話には全く困らなかった。
彼女のイントネーションは、テレビで見るアイドルが話す片言の日本語に似ているが、それよりもずっと上手で違和感がない。
「なんでそんなに日本語うまいの?」
「韓国で日本のドラマ見たり、曲聞いたりして勉強してたから」
「なんで日本に来ようと思ったの?」
「違う国に行ってみたくて」
同い年なのに、なんという違いだろう。
違う国に行ってみたいなんて、考えたこともなかった。
ましてや受験勉強以外で語学を勉強するなんて、私には考えられなかった。
ナヨンの生きる力のようなものはとても眩しく、かっこいい。
彼女が生きてきた、韓国という国に近づきたいと思うようになった私は、違う学部で開講していた韓国語の授業を受けることにした。
韓国人の先生が教えるそのクラスは、受講生が5人しかおらず、アットホームな雰囲気だ。
数字や簡単なハングルから始まり、韓国の歌や文化も学ぶ。
ある日の授業中、なぜ韓国語を学んでいるのか?という話になった。
私の一つ上、二年生の女の子が言った。
「韓国ドラマが好きなんです」
ほう、韓国ドラマか。
韓国ドラマを見れば、もっと韓国のことが理解できるに違いない。韓国に興味を持ったというのに、今まで思いつかなかったとは、自分の間抜けさに嫌になる。
私は早速韓国ドラマを見始め、すぐその面白さにとりこになっていった。
ある日、韓国語のテキストを食卓で広げていると、コーヒーを飲んでいた父親が言った。
「韓国語なんか役に立たないから、英語を勉強しなさい」
私は、言い返せなかった。
確かに、特に役には立たないだろう。就職活動で韓国語が理解できるからと言って採用する会社は少ないだろうし、韓国語を話すのは世界で韓国人しかいない。ナヨンと韓国語で話せるようになったり、韓国ドラマを字幕なしで見られるようになるくらいだろうか。
役に立たなくても、やりたいからやるんだ、と言いたい気持ちもあった。しかし、こんなの無駄なんじゃないか、という気持ちも少なからずあった。英語を勉強するほうがずっと将来のためになる。それは自分でもどこか感じていたことだった。だから父親にそう言われたとき、何も反論できなかったのだ。
でも、今なら言える。
韓国語の勉強は、役に立つよ。
私は現在、韓国に住み、日本人に大人気の美容医療に携わっている。
どう携わっているかと言うと、韓国語が分からない日本人のために、クリニックで通訳の業務をしているのだ。
「ありがとうございました、日本人の方がいてとっても心強かったです」
「いえいえ、また肌管理したくなったら、来てくださいね」
「そうします。そうだ、この辺りでお薦めのカフェありませんか?ちょっと時間が余っちゃって」
「右に出て少し歩いたところに、地元で人気のパン屋さんがあります。カフェラテと塩パンの組み合わせ、最高ですよ」
「嬉しい!行ってみます!」
韓国語を勉強し始めたころ、想像もしていなかった未来。
父の言葉に流され、韓国から離れてしまった時期もあった。
一度は日本のグローバル企業に就職し、苦手な英語で苦労したことで、
「やっぱり韓国語じゃなくて英語を勉強してればよかったんだ」
と情けない気持ちになったあの頃。
「ナヨン、今どこ?」
「仁川空港ついたとこ!」
「迎えに行くね」
「ありがと。韓国にあんたが住んで、私は日本に住んでるの、なんか不思議だよね」
「ほんと。ナヨン、韓国を私に教えてくれて、ありがとね」
「どういたしまして」
人生、どうなるかわからない。
役に立たなさそうに思えることが、役に立つこともある。
未来のことなんて考えず、今、やりたいことをやるんだ。