また誰かを愛すよ#1
「夏を感じますね」
ある平凡な日に,主任は言った。まるで“月が綺麗ですね”のような,写実的な言葉を突然こぼした,あの瞬間を忘れない。彼はいつも日陰にいるような人で,でも私にとっては心地の良い陽向のような存在であった。あの一言が,私に対する気遣いの塊であったとしても,こんなに,“ここに居て,良かった”という安堵感を与えてくれたことは感謝以外の何物でもない。
最初から心を許せる人は,早々に居ない。そういう人には必ず,と言っていいほど,私の心に恋の一色(ひといろ)が滲み出す。
あの一言に,どんな意味を込めたのか,込めていないのか,今となっては知る由も無い。根詰める私の力を解そうと,笑わせようと放ったのか。大抵,私が考え込むことには,実際には中身が無いことのほうが多い。だから,考えるほど,後になって,なぜあんなに時間をいっぱい使って考えていたのだろうか,と馬鹿らしくなるオチがほとんどである。
心配,というのもそうだろう。あんなに不安一色だった心は,その物事が過ぎ去った後には,まるで雨上がりのように,爽やかに一掃されている。それならば,あんなに心配しなくても良かったのではないか,と。もっとパフォーマンスを高めるための努力が出来たのではないか,と。いつだってそう思う。それなのに,なぜか私は学べないでいる。批判を恐れ,恥を恐れ,失敗を恐れている。私は他の人とは違う。考え込んでしまうよう,何かが組み込まれている。何度目の誕生日を迎えても,組み込まれたものは,誰も取り出してはくれない。一番欲しいプレゼントは,“それがなくなること”。悲しい物語(フィクション)であってくれたらいいのに。
しかし,現実には同じようなことで悩んでいる人たちが,何千万と存在する。私だけじゃない,と頭では分かっていても,厚い仲間意識など簡単には生まれないし,それぞれが困難と向き合っている以上,常に皆,孤独なのだと感じる。部屋で一人,涙を流してみても,明日になっても“それ”は消えて無くならない。不思議なもので,“それ”は何も,特別な人間だけに備わっているものではない。あのように呟いた彼にだって埋め込まれているものである。彼の家族にも,私が毎朝出会う,同じ電車に乗り込む人たちにだって,存在するものなのである。だが,いつからかそれは不公平になっていた。“それ”に苦しむ人と,苦しまずに一生を終える人と。
どうして私は,こっち側の人間になってしまったのか。そんな遺伝子を憎みたくなる。母親もこっち側の人間だし,父親にもそんな気質があるのではないかと思う。どうして父と母は交わしてしまったのか。詳しいことまで分からないが,私がこうしたことで悩んで,時折,死にたい気持ちに襲われていることなんて分からないだろう。一度も口にしたこともない。書いて見せたこともない。
人は,呆気なく死ぬ。年齢を重ねるごとに,それをひしひしと感じている。誰かが亡くなるのを見ては,自分もいつかは,と。分かって,悟っているいるはずだが,同時に恐怖が滲み出る。先程,“時折死にたくなる”と綴ったが,死ぬことは恐いと思う自分もいる。その相反する気持ちを,どうやら一緒に同居させることが出来るらしい,心っていうのは。ブラックボックスは,宇宙の果てに行くまでもなく,ごく身近にあったんだ。
そんなブラックボックスに,私は最近,あるものを置き出した。それは,ある日現実を知り,手元に置くのをやめたはずだった。しかし,巡り巡って,私の近くに現れ,私の心に風を送り,目を背けても,もう1人の私が引きずり,目の前に持ってきて,魅力をプレゼンしてくる。それを手にすることに,どんなメリットがあるのか?私はもう1人の私に尋ねた。すると,「ときめきが得られる」と言った。<ときめき?>それはあるかもしれないが,率直に言うと,もう1人の私が提示しているのは,“叶わぬ恋”である。ただただ,虚しさを感じるだけではないか。しかし,言う。「だから何さ」と。叶わぬ恋だとしても,日々にときめきが溢れ,私の生きる糧になるはずだ,と。でもそれは,虚しさ,という副作用がつきものだ。
そんなこと,分かっている。私だって,叶わなかった恋を経験した。それは,今はここから離れた遠くに居て,こちらが掘り返さなければ甦りはしないもの。甦らせると,それは自分を見失うほどの大きな波に飲み込まれる感覚に襲われる。だから,むやみに掘り返さない。
そう。そこにはもう,ときめきの欠片もない。副作用しかない。でも,どうだろう。「今ここにあるものは,副作用はあるが,世界が色づくものだ。目にするだけで,体温が上がり,生きる気力が湧き出るもの。それを再び味わうことができる。どんな抗うつ薬よりも,効果的だ。費用もかからない。効果があるのかよく分からない薬を飲んでいるよりもマシだと思わないかい?」
もう1人の私が熱く推してくる。それはそれは今すぐ飛びつきたいさ。でも…。
何をためらっている?想うだけなら,タダ!私のことだから,彼に直接告白だなんて,する訳がないだろう。自分で灯を消すような,馬鹿な真似なんてしない。私に,真の相手が現れるまでの,”代機”だと思って。
”代機”って…。
そんなことない。その間,私にとってはちゃんと,”本気”なのだ。だからこそ,これから起こるであろう,副作用に対して私が耐えられるのか,心配しているのだ。
…。
もう1人の私が,それを持ったまま,こちらを見つめて黙り込んだ。
「私を心配しているの?」
<…そう。また潰れてしまわないか,副作用しか残らない結果になってしまわないか,心配しているの>
私は,真っ直ぐ,私を見て,そう言った。すると,もう1人の私は,表情を崩して,笑いだした。
「えっ,待ってよ。あなた,これまでに何回“叶わぬ恋”を経験してきたの?忘れちゃったの?」
そう言われて,頭に図太い矢が刺さった気がした。
「なのに,毎回,誰か好きな人が現れる度に,そんな心配をして生きて来たの?違うでしょ?どうして,そんなに慎重になってるの?」
私は床を見下ろした。何故だ。言われた通りだ。何故,今になって急に慎重になり出した?今まで,衝動的に恋を始め,続けてきたではないか。
彼は楽し気に,家族の話をする。そんなことまで教えてくれていいのか,と思うことまで,教えてくれる。それは,私に対して,ある程度まで心を許してくれているからだろう。私自身も,自分を開いて見せているから,返報性が働いて,そうしてくれているのであろう。それ以外,何も無い。
そう。彼には既に家庭がある。幸せを手に入れているのである。
それが,今までとは違う恋なのである。
ただ,彼が既婚者だと最初から知っていたわけではない。
初めて会った時から,“これは私がときめく人だ”と感じていた。そこから,会う度に,付き合っている相手はいるのか,とか,左手の薬指に指輪はあるかどうか,とか。そもそも,この人は何歳なんだ,と色々なことを確認したい衝動に駆られた。しかし,直接聞くまでもなく,いつしか事実に辿り着いてしまった。
私は,彼に出会ったことを後悔している…なんというか,後悔というより,なぜ出会ってしまったのか?疑問である。誰かと出会うことの意味を考えるのは,何よりも無意味かもしれないが,何かを得るために,出会ったのだとするならば,一体これから何を得るというのだろう。今のところ,彼がふと呟くひと言に笑わせてもらったり,面白い話を聞かせてもらったり,美味しいお菓子を時折,餌付けのようにくれることに,喜びを感じる日もあれば,先ほどのような現実を突きつけられる場面にぶち当たり,一人で勝手に落ち込んだりすることもある。数直線上で,点Pが正負の方向を行ったり来たりしている。そんな日々である。
でも,それは別の言い方をするならば,それほど心が確かに動いている証拠である。ゼロ地点で点Pが動き出さなければ,それは無感動な状態,心が動いていないことを意味する。気持ちに波があるということは,現実から色んな刺激,彼が確かにそこにいてくれて,彼が言うこと成すことを,この五感でしっかりと認識しているからこそ,生まれる奇跡なのである。そして,その奇跡たちは,質問紙で測定できないほどの効果を私にもたらしてくれる。そのことを思い知ってしまった私は,ある日,彼を介して再び生まれてきた感情に,見て見ぬふりをすることは出来なかった。もちろん,葛藤もあった。
また私は,誰かを愛そうとしている,と。誰かを愛するということは,これまで感じなかった様々な感情を味わうことだ,と。
人は,幸せと不幸せを絶対に避けられない運命にある。大きさに違いはあるかもしれないが,そんな運命にあるのだ。そんなこと,いちいち意識などしないが,改めて自分の人生を振り返った時,それはちゃんと当てはまっていると思う。それはこれからも,変わらない。
あと何万回生まれ変わったら あなたと手をつなげるだろう?
物理的な距離が近くなるタイミングがある。その度に,時が止まる感覚がある。何気なく,彼は何も考えず,ただ私の近くにある扇風機の電源スイッチを切ったり入れたりしているだけなのだが。
手をつなぎたい,と時折思うことはあるが,それ以上の触れ合いは特に望んでいないことが,自分でも大変不思議である。性的な魅力が皆無,という訳ではないのだが。しかし,今の私が夢見ることは,今よりももっと近い距離に居てみたい,その手に触れてみたい。それだけだ。どうしてこんなに,真面目で清楚ぶっているのか。そんなつもりは無いのだけれど。しかし,一体どうすれば触れるタイミングは訪れるのだろうか。きっと,温かいのだろう。一瞬だけでも,それを感じる出来事があると嬉しいのだが。
だけど今は,現実で,上司と部下,という立場で,他愛もないことで笑い合ったり,尊敬という情熱を仲に注いでいられるだけ,幸せだと思う。
彼には帰る家庭(ばしょ)がある。それを,何百回と自分自身に言い聞かせないと,当時の私の熱は冷めなかった。
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