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育児戦争/家政夫と一緒。~2の42~

笑顔の世界


「ここをこうして⋯⋯おっし! できたぞ!」

 処置が終わったのか、少年が顔を輝かせてVサインをする。
 手当ては完璧だ。
 抉れた傷跡に対する保護処置、折れた指に対する手当て、セイバーから受けた斬撃に対する処置。
 どれも応急処置の域を出ないが、動く事を前提に頑丈な保護が行われており安心感がある。
 これならば魔力を回してどこか一部位、修復してしまう余裕もありそうだ。

「世話になったな少年。この恩、いつか返すとしよう」
「んじゃにくまんかってよにくまん。
 さっきサッカーしてたし、もうおそいからおなかペコペコだよー」

 一仕事を終え空腹を意識したのか、眉をハの字に曲げながらお腹を押さえる少年。無理もない、夕日も落ちる時間である。

「────む。今は拙い」

 だが少年の提案はアーチャーのみならず少年にとっても危険なことだった。
 宵闇が迫る頃、それは戦いの始まりの時刻。
 アーチャーと共に行動すれば少年を無用な危険に巻き込むだろう。

「あ、そっか⋯⋯おじさんいま、ひみつにんむちゅうだっけ⋯⋯」
「────すまない」
「ううん、いいよ!
 そのかわりこんどあったらちゃんとおごってくれよな!」
「ああ、約束しよう」
「へへ、やくそくだぞ!
 んじゃおれかえるな! はやくかえんないとかーさんがしんぱいするし」

 慌てて救急箱を片付け始める少年。
 通りまで送っていこうかというアーチャーの提案を断ると、忙しなく動く中、傷の手当ての詳細や船の構造などをアーチャーに伝えた。
 『なにかあったら役立ててよ』、と。

 世話焼きと言うべきか⋯⋯子供ながらに苦労症の少年を見て、つい苦笑してしまう。
 この調子だと先が思いやられる。

「んじゃーな!
 きず⋯⋯だいじょうぶか? いたくない?」
「ああ、心配には及ばんよ。君の腕は悪くない」
「うん! にひひ⋯⋯。
 それじゃおじさん⋯⋯がんばってな!」

 そう言って手を振ると、少年は桟橋を駆け帰っていった。
 その姿を見送るアーチャー。
 駆ける元気な後姿が見えなくなるまで、見つめ続けた。



 そうして、3F客室デッキ。夕日が射す船室でベッドに横になりながら、少年────士郎の事を思う。
 何をする事もなく、別れた。
 それだけ。ただそれだけの事がこんなにも────大きい。


『理想、か』

 ただがむしゃらに、夢を追い続けた頃。
 乾いた空の下、強い風の中を歩き続けた日々を追憶していく。

 裏切られ、騙され、利用され、攻撃され、追放され、見捨てられた。
 けれど、全てに裏切られたわけではなかった。
 守れた人もいた、好きになった土地もあった。
 何よりも、この理想を信じていた。
 その意味から────何故、目を背けていたのか。

『ク⋯⋯どうしようもない。
 本当に救いようの無い⋯⋯阿呆だな、私は』

 失われたものの価値を尊ぶのならば。
 守れたモノも、未来に繋げることの出来たモノの価値も────この心に留めなくてはならなかったのだ。

 失うばかりで、奪うばかりで。
 その悲しみと後悔が大きすぎて、判らなくなってしまっていた。
 信じることの────尊さを。


「凛、桜────」

 声に出して呟く。
 守って、守られて。与える事の何倍も何かを貰った、かけがえの無い一年間。
 大切な、二人のマスター。

「────私は」

 何を、返せるだろう。
 どうしたら二人の心を守れるだろう。

 二人の為に剣になると決めた。
 けれど、そうしてがむしゃらに誰かを傷つけ、滅ぼす。
 そのやり方が二人を救えるのか? 二人の涙を止められるのか?
 聖杯戦争に勝利するため、二人の未来を守るため、他の全てを滅ぼす。
 そのやり方で、いいのか?

 山中、アサシンとの戦い。
 二人が見た自分の姿はきっと⋯⋯恐ろしいものであったろう。
 子供たちが味わった思いは────地獄の中で意思の無い己を見続け、その行為に苛まれてきた哀れな守護者と────きっと同じ。

 誰かを救うためと、迷い無く誰かを殺害する人間。
 ただそれだけを、正しい手段と、正しい事だと妄信する在り方は────間違っている。
 守り、尊ぶべきは『手段』ではないのだから。

 この身には────意思がある、希望がある、尊ぶべき理想がある。
 だとすれば、今のアーチャーに取れる手段はなんだろうか?

「────────」

 考えろ、“ただひとつだけ”という正解はありえない。
 道筋が違うならば出る答えは無限にあるハズだ。

 ────例えば戦い。
 戦いの果てに滅びしかないのなら、人間はとっくの昔に絶滅している。
 その先に手をとって和解する道もあれば、妥協の末に結ばれるものもあるだろうし、戦争そのものを無かった事にする手段すら存在する。

「────?
 ⋯⋯戦争そのものを、無かった事にする────?」

 その考えに何かが引っかかる。
 聖杯戦争、聖杯を追い求める戦い。
 ────この戦いの発端。

「⋯⋯なんだ? 何に引っかかっている?」

 この数日、あまりにいろいろな事がありすぎて情報の整理が追いついていない。
 幸い、今は落ち着ける時間がある。
 身体を休め、コンディションを整え、次なる戦いに備えよう。
 そうして情報を整理したときに、まだ見ぬ道が見つかるかもしれない。

 そうと決まれば善は急げである。
 念の為退路の確保を行い、緊急用の武装を投影する。
 廃船同然とはいえ持ち主が居ないわけではないだろう、見つかれば事である。
 武器を枕元に忍ばせると、体内魔力の活動を極力押さえ虚の状態に入る。
 意識は外に、何かあれば即座に対応できる体勢だけは維持しつつアーチャーは埃っぽい毛布を被り、目を瞑った。
 疲れた身体を横たえると途端に、眠りの甘美さが意識を支配していく。


『そういえば⋯⋯セイバーも魔力の消耗を避けるために⋯⋯こうしてよく寝ていたな⋯⋯』

 傍から見れば食っては寝て、食っては寝てを繰り返していた美しい少女を思い出し、苦笑する。

 皆が集まる食卓で、食事を楽しそうに待っていたセイバー。
 道場での稽古で、厳しくも生き生きとしていたセイバー。
 戦いの中で、傷つくことも省みず剣を振るう────セイバー。

『⋯⋯セイバー⋯⋯』

 ポートサイドビルで出会ったセイバーの顔は⋯⋯未だに迷いの中にあった。
 全てを救えるわけではないだろう。
 全てを取れるわけでもないだろう。


 それでも────救いたいと、思う。


『せめて、目に見える世界を笑顔で満たす。
 その願いの価値を、意思ある身で思い出せた。
 それを成せる可能性は────この手が届く先に、きっと在るハズだ』

 ありえない確率の中、この世界にたどり着いたのだ。
 ありえない確率の中、この答えにたどり着けたのだ。
 ならば────諦めるな、エミヤ。

 目を閉じれば確かにある、胸の中の灯火を抱き。
 アーチャーは眠りへと落ちていった。



 家政夫と一緒編第二部その42。
 取り戻したものは弓兵にいくつかの試練を再び課す。
 この理想を守るため、二人の笑顔を守るため。
 自分に何が出来るだろう。

 取り戻した理想は強く、戦うための力を弓兵に与える。
 ────けれど。

 試練は続く。
 未遠川に浮かぶ朽ちた船。まるで運命に招きよせられるようにたどり着いた箱舟で────。
 弓兵はもう一つの始まりと、対峙する事になる。

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