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育児戦争/家政夫と一緒。~2の18~

Interlude2-1:貸し


「⋯⋯ん」

 怒りつかれて寝てしまった姉さんの体を、アーチャーさんが優しく抱きとめる。
 少しだけ悲しそうな顔をして、アーチャーさんは膝で寝ていたわたしの体も抱えあげます。

 アーチャーさんが立ち上がると、抱かれた私たちの目線はとってもとっても高くなって。
 いつもは見えない、いろんなものがいっぱい見えるようになる。
 それはすごく気持ちが良くて、わたしの胸はドキドキで一杯になります。

 でも今は。
 わたしの知りたいことは、なんにも見えなくて。
 わたしの胸は悲しくて、痛いばかり。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



「⋯⋯ごちそうさま」

 ────朝の居間。
 そう言ってナイフとフォークをテーブルに置くと、姉さんは椅子から飛び降りて居間の出口へ向かう。
 お皿には手をつけていないご飯が、まだいっぱい。
「凛? どうした、体調でも悪いのか?」
 アーチャーさんはむずかしい顔をすると姉さんの背中に声をかける。
 その声に、姉さんは肩を震わせると恐る恐る振り返り、
「⋯⋯なんでもない」
 そう呟いて居間から出て行ってしまいます。

「⋯⋯」
 眉根を寄せて、姉さんの出て行ったドアを見る。

 ここ数日、姉さんの様子がおかしい。
 ううん、おかしいといえばアーチャーさんの様子もおかしいのだけれど、いつもとちがう、っていうのなら⋯⋯姉さんの方が様子が変です。



 ────いつも元気で、まっすぐな姉さん。
 なんでも出来ちゃうのに、わたしのことも良く見てくれて、とっても優しい姉さん。
 一人なら、もっといろんなことができるようになっていただろう眩しい姿を前にして。
 わたしの心にはいつも、いっぱいの幸せと、少しだけの罪悪感がありました。

 そんな汚い気持ちを姉さんに悟られるのが嫌で、一生懸命我慢して隠しているんだけれど、姉さんはまるで魔法使いみたいにわたしの心を見抜いてしまいます。

「ばかさくら。つまんないこときにしないの」

 姉さんは怒りながらも、優しく私の頭をなでてくれます。
「わたしはよくばりだから、とれるものはぜんぶとらないときがすまないの。
 だから、かわいいさくらといっしょにいるのはあたりまえのことなのよ」
「⋯⋯でも、ねーさん。
 わたしといるじかんがあれば⋯⋯もっといろんなこと、できるはずです。
 わたしのことなんてほうっておけば、もっといっぱいおともだちとあそべるはずです」

 そんなこと言ったら嫌われちゃうって判ってるのに、馬鹿な私はいつもいつも姉さんにつまらないことを言っちゃいます。
 でも姉さんはそうやって弱音を吐く私を見るとその度に、

「じゃ、かし1ね」

 と言って、意地悪だけどそれ以上に優しい目でわたしを見つめます。

「さくらがおっきくなって、いろんなこといっぱいできるようになったら。
 じぶんのできることでわたしをまんぞくさせなさい。
 そしたらいっこずつ、たまったかしちょうけしにしてあげるから」
「かし、ですか?」
「そ。さくらがばかなこというたびにふえるのよ?
 ちなみにりんちゃんバンクのねんりはたかいから、さくらがおっきくなるころにはとんでもないがくになってるかもねー」
「わわわ!
 そ、そんなにいっぱいむりですよ!」
「うふふ。だったらつまんないこといわないの!」
 そう言って姉さんは笑います。明るく笑います。

「わたしはさくらといれてしあわせ。
 いっぱい、い~~っぱい、しあわせ。
 そんないまが、すごくしあわせなの。
 ⋯⋯さくらは、ちがう? もんくが、ある?」

「⋯⋯いいえっ!」
「よろしい。じゃ、てんさいりんちゃんのとなりにいられるこうふくをかみしめながら、しょうらいのかしへんさいのためにスキルをみがくのよ」
 照れ隠しなのか、顔だけは明後日の方を見てびしっと指を突きつけてくる姉さん。

 姉さんはそうやってずっとずっと、弱いわたしと一緒にいてくれて、励ましてくれて。
 その度にちょっぴり泣きながら、わたしは答えます。

「⋯⋯はいっ!」

 いつか優しくて、強い姉さんのこと。
 守ってあげられるようになるんだって、願いながら。



 そんな姉さんに、元気が無い。
 数日前から突発的な行動が多かったけれど、怒ったりしているだけでいつもの姉さんだったのに。
 今朝なんて、挨拶しても答えてくれなかった。
 どうしたんですかって尋ねても上の空だった。
 喧嘩しても悩んでても、ずっとずっと、わたしのことみててくれた姉さんが⋯⋯。
 初めて、わたしの目を見てくれなかった。


 それは。
 わたしにとって衝撃で、とても不安になることだった。


『どうしたら、いいのかな』
 わたしは考える。鈍い頭をフル回転させて、一生懸命考える。
 今こそ、姉さんに”貸し”を返せる時なんだろう。
 でも、いつもいつも助けてもらってばかりのわたしにはなんにも思い浮かばなくて。
 どうしたらいいのか、わからなかった。


 ────出て行った姉さんのこと追いかけても。
 頼るばかりだった私に、悩みを打ち明けてくれるのかな?

 ────姉さんが私にいつもしてくれるみたいに、「きにしないことですよっ!」って励ましたら、元気になってくれるかな?
 うう、馬鹿馬鹿、そんなの悩んでる人に失礼です。

 ────おいしいお菓子作れば元気になってくれるかな?
 ⋯⋯あ、でも、ご飯こんなに残してるんじゃ食欲なんてないですよね。


 考えは堂々巡りで。
 結局、椅子から立ち上がることも出来ずに俯いてしまう。
 やっぱり⋯⋯わたしなんて。

「桜」

 その時、テーブルの対面に座っていたアーチャーさんが声をかけてきた。
 姉さんと同じように⋯⋯私を安心させてくれる、優しい瞳。
「はい?」
 顔を上げて答える。
 いつだって私たちを守ってくれた、大好きな人。
 どんなことでも何とかしてくれる、頼もしい人。
 アーチャーさんなら⋯⋯きっと。そんな気持ちで見つめ返す。

「行って来る」

 ああ。アーチャーさんはやっぱり、すごい。
 帰ってきた言葉は期待通りのもので、私は胸に広がるいっぱいの安堵に心地よく浸かりながら、答えた。

「⋯⋯はい!」



 家政夫と一緒編第二部その18。Interlude2-1。
 ────運命は残酷で。
 生まれた家は、彼女を必要としない世界だった。

 魔術師の家に二子は要らぬ。
 刻印を継承できない不要な血は、政争の道具に使われるか、嫡子の予備として扱われる。
 それは、その世界では当然の理であり、あたりまえのように守られる決まりごと。

 魔道の大家シュバインオーグの系譜に連なる遠坂家。
 その看板を背負って立つ父は厳しい人で、魔術師の理を守り、ただただ寡黙に成すべきことを貫いていく、そんな人だった。

 その世界の理通りに、遠坂桜はまるで空気のように扱われた。
 愛情がなかったのか、不器用だったのか。
 父が発する数少ない言葉は長女だけに向けられたものであり、幼い少女にかけられる言葉は何もなかった。

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