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育児戦争/家政夫と一緒。~3の40~

Interlude7-5:花



「これは、君が?」

 切嗣の目前に広がるのは、色とりどりの花で満ちた美しい庭園だった。
 中庭は外灯の明かりによって照らし出され、豪奢な城をバックにして咲く花々は妖精の園のように幻想的で美しい。

「さすがに私一人では。
 ラエヴィやエンセータ、そして他の子たちも一生懸命手伝ってくれました。
 皆、魔術管理の知識は与えられているのですが、花の知識というとあまりにも乏しくて。
 本当はもっと早く見せたかったのですが、こんなにも遅くなってしまいました」

 ラエヴィが言っていたのはこの事なのだろう。
 なるほど、これだけの庭園を嫌いな切嗣の為に作ったのだとすれば、文句の一つも言いたくなる。

「その、切嗣?」
「⋯⋯なんだい?」
「和みましたか?」
「⋯⋯ああ。すばらしい庭園だ」

 思わず優しい笑顔を浮かべてしまう切嗣。
 どれだけの努力と根気が必要だったのか。
 霊地の影響か気温が低く、花が育つのは難しい常冬のアインツベルン城において、一生懸命に作り上げた庭園。
 人の手で叶えた花の園。
 切嗣には勿体無いほどにすばらしいものだった。

「⋯⋯良かった」
「⋯⋯⋯⋯?」
「切嗣、笑ってくれました」
「⋯⋯え」
「ふふ⋯⋯嘘ばかりではありませんね、切嗣。
 いつか私に言いました。
 花は見るものを和ませる、魔術や魔法より上等な素晴らしいものだと」
「────────!」

 そう言って柔らかい笑顔を浮かべるアイリス。
 切嗣は言いようも無い何かが胸を貫くのを感じた。


 ────そんなことを。
 そんな昔に言った何気ない一言を信じて、こんなところまで来たと言うのか。
 ただ笑顔にしたい為だけに、命を賭して戦地に来たというのか。

 魔術ではなく、人の温もりで切嗣を救うために────命を懸けたのか。


「君は⋯⋯馬鹿だ」
「馬鹿⋯⋯ですか?」
「ああ、馬鹿だ。大馬鹿だ⋯⋯」
「⋯⋯そうですね。私はきっと愚かなのでしょう。
 “私たち”が目指した理想、聖杯の奇跡は、きっと多くの人々を救うのでしょう。
 でも⋯⋯それでは」
「⋯⋯⋯⋯」
「今、こうして触れられる貴方を救えない。
 今も苦しむ、ただひとりのあなたを⋯⋯救えないのです」
「⋯⋯⋯⋯」

 そう言って少しだけ目を伏せるアイリスだったが、意を取り直して切嗣に微笑みかける。
 その笑顔が、その優しさが、切嗣には痛いほどに眩しい。

 遠い星を目指し、理想を追い求め、無辜の人々を救うために走り続けた彼女達(ユスティーツァ)。
 願いの重さもその価値も、切嗣には想像できない程尊いものであることは理解できる。

 それでも、アイリスは微笑む。
 切嗣(ただひとり)を救えるのならば、本当に大切な思いも、自身の命すらも投げ打つ事を覚悟して。

「だから、いいのです。
 何を思い悩むことなく、そうあれと定義された使命に殉じ、奇跡に”私”の想いを委ねるよりも。
 貴方を守れるなら⋯⋯それでいいのです」
「⋯⋯⋯⋯!」
「⋯⋯だから、お願いです切嗣。
 私ともう少しだけ一緒にいてくれませんか⋯⋯?
 一緒に花を見て回りましょう。鳥を見て過ごしましょう。
 もう、あまり時間はないけれど⋯⋯それでも、切嗣の心が暖かくなれるように、頑張りますから。
 そうしたら⋯⋯そうしたらね。
 この戦いが終わって⋯⋯切嗣(あなた)が生きてくれたなら。
 イリヤの傍で、イリヤと生きて⋯⋯欲しいのです」

 美しい眉を悲しげに寄せて一生懸命訴える。
 脆く、儚く、一人では生きていけないアイリスフィール。
 けれど⋯⋯手の届く誰かを絶対に放すまいと決めたその意思は、何よりも強い力を秘めていた。

「イリヤは貴方のことが本当に大好きだから、戻ればきっと許してくれます。
 あの子は甘えん坊だから、きっとたくさん我侭を言うだろうけど⋯⋯」
「⋯⋯本当に君は⋯⋯馬鹿だ」
「⋯⋯⋯⋯え?」


 歯をかみ締める。
 アイリスの言葉には未来が無い、彼女がいる未来が無い。
 切嗣のことばかりに一生懸命で、自分の幸せなど⋯⋯何処にも無い。

 それはなんて、辛い生き方。
 優しくて、辛い生き方なのか。

 こんなにも誰かに対して一生懸命になれる優しい人を。
 こんなにも心を暖かくしてくれる⋯⋯優しい女性を。
 お前は────救えないのか。


 ────否⋯⋯!



「⋯⋯⋯⋯え? あ⋯⋯切嗣⋯⋯っ?」

 アイリスの体を抱きしめる切嗣。
 突然のことに顔を真っ赤にして慌てる彼女を黙らせるかのように、強く強く抱きしめる。

「え⋯⋯えっ⋯⋯。切嗣、どうしたのですか⋯⋯?」
「⋯⋯アイリス。
 男はね、困っている女の子がいたら無条件で助けるものなんだよ」
「え⋯⋯助け⋯⋯る?」


 アイリスに顔を見られないように彼女を強く抱きしめる切嗣。
 その顔は強い後悔と怒りに満ちている。
 魔術に対する憎悪、自身に対する絶望に囚われ、大切な事を見失っていた────自らへの怒りに満ちている。

 腕の中のアイリスは────ただの女の子は。
 切嗣の為に命を賭けた。
 そんな彼女の前で、自身の業に押し潰され、身動きできなかった自分自身が恥ずかしい。


「もう一つ付け足そう。
 男はね、女の子を一人で戦わすなんてみっともない真似は出来ない生き物なんだ」


 どれだけ重い業を背負おうとも、どんな理由があろうとも。
 理不尽に苦しむ誰かを救う、その理想を追いかけ始めたのは切嗣自身。
 その業に押し潰されて、助けを求める誰かを救えないなどという無様は、許されない。


「だから、アイリス」
「⋯⋯は、はい⋯⋯」
「君を⋯⋯守らせて欲しい」
「────────え」


 そうして、何よりも大事なこと。
 ────男は、愛する誰かを命を賭けて守るもの。
 そんな当たり前のことを⋯⋯何故否定し続けていたのか。


『馬鹿は⋯⋯僕だ』

 自分の為に必死になってくれる誰か。
 自分のことを愛してくれる誰か。
 自分が愛する────誰か。

 そんな人たちを理不尽に憎んで、そんな人達の為に戦えずして、何を以って。

 “正義の味方”で在ろうと────思うのか。


「⋯⋯きり⋯⋯つぐ⋯⋯」
「一緒に帰ろう、アイリス。
 聖杯戦争に勝利し、君を連れてアインツベルンに帰る。
 僕の依頼は“聖杯戦争の勝利”と“聖杯の回収”。細かいことは知ったことじゃない、文句があるなら叩き潰すさ。
 僕は悪名高き────魔術師殺し、だからね」

 そう言って、優しい微笑をアイリスに向ける切嗣。
 その瞳に嘘は無い。
 目の前の女性がいとおしくてしょうがない、そんな笑顔。
 その笑顔の意味に気付いたアイリスは、涙を溢れさせて切嗣の胸に顔をうずめる。

「あ⋯⋯あうぅ⋯⋯ぅっ。
 きり⋯⋯つぐ⋯⋯きりつぐ⋯⋯っ」
「⋯⋯なんだい?」。
「わたしのことを⋯⋯まもってくださいますか⋯⋯?」
「ああ、絶対に守る」
「うそは、いやですよ⋯⋯? 切嗣も死んでは駄目です⋯⋯!」
「死なないさ。君を連れてイリヤに会うまでは絶対に死なない。
 だから君も、使命に殉じるなんて言わないで欲しい。
 二人でイリヤの元へ⋯⋯帰ろう」
「⋯⋯あ⋯⋯。
 はい⋯⋯はいっ!
 帰りましょう、二人で⋯⋯一緒に⋯⋯!」


 月の光に照らされて強く強く抱き合う二人。
 固く交わした約束は、絶望の果てに冬木にやってきた衛宮切嗣に生きる意味を与えた。

 戦いに勝ち残り、三人で生きてゆく。
 愛する人を守り────生きていこう、と。


 ────Interlude out



 家政夫と一緒編第三部その40。Interlude7-5。
 誰かを守り、生きてゆく。
 それが、灰色に呪われた男の救い。
 守っていくと決めた”はず”の、答え。

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