育児戦争/家政夫と一緒。~3の39~
Interlude7-4:笑顔
部屋の前から二つの気配が遠ざかるのを感じる。
切嗣たちに気を利かせたのだろう。
心のうちで礼を一つ、切嗣はアイリスと向かい合う。
「⋯⋯アイリス。
僕は君を愛してはいない」
「⋯⋯⋯⋯っ」
「そも僕には誰かを愛したり、守るなどという大層な主張を掲げることは出来ない。
知っているかい、アイリス? 僕がなんと呼ばれているのかを」
「⋯⋯魔術師、殺し」
「その通り。
僕は人殺しが生業の下種な男。全ての魔術師の敵だ。
そして、その標的は君達すらも例外じゃない。
僕は魔術を憎む者。魔術を扱うものにとって脅威となる存在だ」
「⋯⋯⋯⋯」
そこで言葉を区切り、アイリスを見つめる。
さしたる動揺も無く、切嗣を見つめる紅玉の瞳。
揺らがない二つの眼はただ粛々と灰色の言葉を待っている。
「だからね、アイリス。
僕は君達と共に生きることは出来ない。
僕には殺すことしかできない。
だから────」
聖杯とも────君達ともお別れだ。
そう言葉を継ごうとした切嗣の手を、細くて折れてしまいそうな小さな手がぎゅう、と握る。
「⋯⋯だから、共にはいられないと。
イリヤも私も捨てて、戦いの中で果てると。
そう言うのですか?」
「そうだ」
「⋯⋯切嗣、先ほど正直でいてくれると答えてくれましたね?
だから⋯⋯私の問いにも正直に答えてください」
「⋯⋯なんだい?」
「貴方は魔術を憎むといいました。
では、イリヤも、そして⋯⋯私のことも。
憎んでいるのですか?」
悲しそうに眉を下げ、切嗣を見つめながら言葉を紡ぐアイリス。
何もかも見透かすような美しい瞳に気圧され、息を呑む。
「⋯⋯憎んで、いるよ」
「⋯⋯嘘。
嘘はつかないと言った筈ではないですか」
とてもとても、悲しい声。悲痛な声色が切嗣の胸に突き刺さる。
ああ、憎んでいるはずが無い、彼女達には罪など無い。
冷酷でいたずら好きなイリヤ、強情で子供っぽいアイリス。
良いところばかりとはいえないけれど、純粋で優しい二人のことを憎めるはずが無い。
だが、切嗣にとって魔術は担い手の善悪でその是非を判断するものではない。
魔術が理不尽と化した時、その照準を決して外さないために。
愛していても憎む。どんなに欲していても、滅ぼす。
それが衛宮切嗣の”魔術師殺し”。
彼にとっての正義の味方────だった。
「切嗣、私は⋯⋯」
切嗣の手を握る力を強めて、アイリスは振り絞るように言葉を紡ぐ。
その声色は、まるで泣いているかのよう。
「愛して、もらえなくてもいい。
好きになって、もらえなくても良いのです。
私はただ、貴方を笑顔にしたかった」
「⋯⋯僕、を?」
「初めて会ったときから、貴方は何処か悲しそうな笑顔を浮かべていました。
自分のことで精いっぱいだというのに、それでも、自分を殺して私の為に一生懸命笑ってくれました。
イリヤが生まれてからも、あなたは誰かの為に戦い続けていましたね。
疲れ果て、苦しんでいても⋯⋯それでも私たちに微笑んでくれた」
「⋯⋯⋯⋯」
「私たちは魔術として生まれ、その機能を果たすだけの者です。
ただ生きて、その因に殉じれば⋯⋯切嗣の夢をかなえることができた。
貴方にはそれで事足りたはずなのに⋯⋯私たちを傷つけまいと、微笑んでくれた」
「それは────。
そんな上等なものじゃ⋯⋯ない」
美しい瞳を見続けられず、灰色の瞳を伏せる。
「僕は、ただ君たちを利用した。
この世全ての救済という、都合のいい魔術を利用した。
僕は⋯⋯その夢を叶えさせるために君たちに近づいた、卑劣な男に過ぎない」
叶わぬ夢に倦み、空虚な人生に疲れ果て、その先に現れた⋯⋯都合のいい奇跡。
男はアインツベルンの申し出を受けたとき────逃げたのだ。
他人の手段に依存し、憎むべき魔術に逃げ、己が意思を捨て、ただの武器であろうとした。
彼女が言う笑顔は⋯⋯男の欺瞞に過ぎない。
誰かを犠牲にして願いを叶えるという”理不尽”を覆い隠す欺瞞。
故に、戻らねばならなかった。
灰色の空の下で誓った、全ての理不尽から人々を救う何者かになるという理想。
正義の味方────”魔術師殺し”に。
「切嗣⋯⋯」
アイリスの声に、びくりと肩を震わせる。その瞳を見つめる。
罵倒されてもおかしくない告白のはずだった。
しかし────項垂れた男を見つめる紅玉の瞳には⋯⋯ただ切嗣を想う、優しい色だけが浮かんでいた。
「⋯⋯何故だ。
君は怒ってもいいはずだ、裏切り者と蔑んだっていい。
なのに何故⋯⋯君は」
「怒りなど、感じるはずがありません。
だって私は⋯⋯私とイリヤは」
細く痩せた両の手が、切嗣の手をそっと包む。
まるで感謝を伝えるかのように────やさしく握る。
「貴方がいたから────笑顔を知った。
必要がないと、不要なものだと与えられなかった、”人”の幸福を知ることができた。
何のために生まれ、誰の為に成すのかを、知ることができた。
生まれた意味を────知ることができたのですから」
「────────」
あまりにも意外な答えに呆然とする切嗣。
呆けた切嗣は、彼女の優しいてのひらをただ受け入れる。
「あなたが来るまで、私には何もなかった。
この機能を、何のために使えばいいのかそれすらもわからなかった。
貴方がいなければ私は何を想うこともなく、御館様が言う通りに聖杯戦争に赴き、機能を果たしたか、死んでいたでしょう。
私は⋯⋯その程度のものでしかありませんでした」
「⋯⋯⋯⋯」
「でも、貴方が私の前に現れた。
人の言葉で⋯⋯人の在り方を、人の笑顔を教えてくれた。
貴方の生き方が、願いに賭けて生きる人の姿を教えてくれた。
貴方が教えてくれたから⋯⋯イリヤにも伝えることができた。
私たちが生きる────その意味を。
切嗣、私は、私たちは貴方がいたから⋯⋯人間になれたのです」
アイリスは唇を甘く噛んで、美しく微笑む。
あなたに会えて本当に嬉しかったのだと────その感謝を、言の葉に乗せて切嗣に伝える。
それが眩しくて、切嗣は魅入られたように彼女の瞳から目が離せない。
「だから、私も返したかった。
いつも辛そうな貴方に⋯⋯私が得た幸福を、笑顔を返したかった」
「⋯⋯⋯⋯」
「けれど貴方は魔術師殺し⋯⋯魔術を憎む人。
魔術では⋯⋯聖杯では、貴方を笑顔にすることはできない。
だから────貴方が冬木に向かうと聞いたとき。
私もついていこうと思ったのです」
「────────?」
話が繋がらない。
今の話だと────この冬木にならば切嗣を笑わすことの出来る何かがあるという事になる。
「⋯⋯待て。
アイリス、君は⋯⋯聖杯戦争に参加するために、ここに来たのだろう?」
「いいえ、違います。
言ったでしょう切嗣、私は貴方を救いたい。
その為に────ここに来たのだと」
それは、ありえない返答だった。
大儀礼遂行────第三魔法の成就による人類救済。使命に殉じ、アインツベルンの悲願を叶えることで、同様の目的を持つ切嗣を救う。
魔術によって人を救う、それが彼女の言う『切嗣を救う』事ではないのかと思っていた。
けれども、アイリスは『聖杯戦争に参加するために来たのではない』と言った。
使命のためにここに来たのではないと────そう言ったのだ。
「馬鹿な────では君は、何のために。
何のために、命を危険にさらしてまでこんなところに来た。
君の体は戦いには耐えられない、戦いに晒されれば命を落とす。
そんなことはわかっているはずだ」
「⋯⋯私は、貴方に生きて欲しくて。
そうして、イリヤと一緒に幸せになって欲しかった。
でも、ようやく叶いそうです。貴方の為に────頑張りました」
「⋯⋯⋯⋯え?」
そう言うとベッドの上のアイリスは切嗣に向かって両手を広げる。
抱きしめて欲しい、ということなのだろうか?
無視するのもどうかと思うのでその背中をぎゅうと抱きしめる。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「あ、ち、違います。
そういうことではなくて、抱えてくれませんか、と思って⋯⋯その」
「⋯⋯これは失礼」
背中と両足に手を通してお姫様抱っこの形でアイリスを抱えあげる。
あまりの軽さに罪悪感を抱くが、表には出さない。
「⋯⋯それで何処へ行きたいのかな?」
「中庭までよろしいですか」
アイリスを抱えて部屋を出る。
切嗣が中庭の扉の前に辿り着くと、廊下に控えていたのだろうか、ラエヴィとエンセータ、二人のホムンクルスが現れる。
「⋯⋯別段、貴方の為にやったわけではないことを承知の上でご覧ください」
「⋯⋯ください」
「⋯⋯⋯⋯?」
「ラエヴィ、エンセータっ」
眉を寄せて二人を睨むアイリス。
二人のホムンクルスは一礼すると、手が塞がり扉を開けられない切嗣に変わって、中庭への重い扉を開いた。
ゴゴゴゴン⋯⋯ザアッ⋯⋯。
吹き込む初夏の風。
風に乗り運ばれてくる芳しい香り。
「────これは」
そこには、美しい庭園が広がっていた。
家政夫と一緒編第三部その39。Interlude7-4。
そこにあったのはアイリスの気持ち、その全てだった。
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