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育児戦争/家政夫と一緒。~3の38~

Interlude7-3:理不尽



 ────二週が過ぎた。


 月のきれいな初夏の晩。改修を終えてピカピカになった古屋敷の廊下に座る切嗣。

 今日はアイリスとの約束の日。
 けれども、森へ向かうこと無くここにいる。


「⋯⋯⋯⋯」

 灰色に濁り、枯れ果てた瞳は自らの欺瞞を直視していた。
 美しい月は、その虚飾を露わにする。
 お前は────魔術に逃げたのだろう、と。



 聖杯戦争。
 その報酬である第三魔法『天の杯』は第三魔法に届くものだという。
 人類の救済を謡うアインツベルンの大老アハト翁は第三魔法『魂の物質化』により、人の魂を高次生命へ転換することで、人の救済を叶えると約束した。

 だが────これは魔法に届く魔術。
 確たる儀式を成立させようと魔術は魔術、犠牲なくして叶う願いはない。
 魔術はその規模に応じて同様の犠牲を欲する。
 それは、儀式の確かさや想いの美しさに関わらず”そういうもの”だ。
 リソースなくして発動する魔術はなく、魔術とは命を糧に発動するもの。
 起こす魔術の規模に応じて犠牲の規模は跳ね上がっていく。

 英霊を召喚し、殺し合い、彼らをリソースに変換し大儀式を発動するという聖杯戦争。
 ならば英霊である彼らも理不尽な犠牲者であり、超人たる故に理不尽と化す。
 犠牲は犠牲を呼び、戦いは戦いを呼び、その果てには多くの死人が出る。
 大きな儀式は必ず、理不尽を呼ぶ。

 それを切嗣は誰よりも知っていた。
 彼は数多の魔術の破壊者、”魔術師殺し”なのだから。
 彼の瞳に焼き付いた灰色の空は、彼を呪縛すると同時に────彼を正した。


 魔術を────お前の標的を、見逃すのかと。



「⋯⋯⋯⋯」

 月は煌々と灰色を照らす。
 理想に倦み疲れた男の輪郭を露わにする。

 理想を追うため協会の手先として魔術師たちと敵対し、その殺害と魔術の廃絶に全てを賭けて生きた日々。
 魔術師の善性に関わらず、ただ人を苛む魔術であるというだけで殺意を向け、犠牲となる人々の為に殺し続けてきた。
 標的を愛しても殺し、愛されても殺した。

 その人生は狂人と蔑まれても何の申し開きもできない。
 嘘と欺瞞で己を鎧い、異常者であることを隠し、人々の間で牙を研ぎ澄ました。
 次に殺す人間の情報を集め、実行に移した。犠牲を最小限に標的を倒し、災害を食い止めた。
 射殺、爆殺、刺殺、毒殺。手段は選ばなかった。それが理不尽を起こさないための最善だと己に言い聞かせて速やかに対象を殺害した。
 そうして恨まれ、忌み嫌われた。魔術師たちからは蔑まれ、恐怖の対象となった。
 常に命を狙われ、心が休まる日など一日たりとてなかった。だれも信用できず、出会う人はいずれ敵に回った。
 逃げ隠れながら、それでも人々のためにと戦い続け、それでも────この世から理不尽が消えることはなかった。

 敵は次々現れた。彼らは皆『人々の為』と魔術(理不尽)を行使した。
 殺すべき彼らと自分、何も変わらなかった。誰にとっての理不尽であるか、違いはそれだけだ。
 理不尽の廃絶を求めた男の生は、ただ違う理不尽を生んだだけだった。
 そこに、”人々”の幸福はない。



 ならば、この理想はあってもなくても同じ。
 ────無価値である。



 疲れ切っていた、果てのない殺し合いの日々に。
 故に────逃げた。
 都合の良い救い、『聖杯』に。
 それが例え、忌むべき魔術であったとしても。

 殺し合いを終わりにするには、人が変わるしかなかった。
 人々が不老不死を得て、この世から理不尽な死が消え去れば、無為な戦いが起こることはない。
 人が変わることで、この世から悲しみを消し去ることができる。



 そうなれば────憎しみを生み出し続けるこの生を、終わりにできる。
 無価値な人生を終わりにできる。
 理想に捧げた救いのない役割を────終わりにできるかもしれない。



『────欺瞞だな』

 淀んだ灰色の瞳は、その眼窩に濃い疲労の色を浮かべながらも、なお自身の希望を欺瞞と断じた。
 それは自分以外に縁を持たず、孤独であるが故の偏執。
 偏執故の⋯⋯正しさだった。

 聖杯は、魔術は────無に帰さねばならない。
 それが空虚な人生でただ一つだけ信じられる、確かなものだった。



「⋯⋯⋯⋯」

 アインツベルンと関わり数年。
 聖杯に願いを託したその時から、自分の傍にあったアイリスフィール。
 自分を想うアイリスとイリヤ、聖杯と共に在る二つの命。
 聖杯に願いをかけることが欺瞞だというのならば────切嗣は、彼女たちと共にいることはできない。

 その面影を想う。
 雲一つない美しい空の下で、冬の聖女はいつものように俯いて待ち続けているのだろうか。
 切嗣が来るまで、じっと待ち続けるアイリス。
 彼女は曲げない、切嗣が慰めてくれるその時までその意思を絶対に曲げない。


「────────」


 顔を上げる。
 切嗣の背に走る嫌な予感。
 まさか、そんなことがあるはずが無い。
 それでも────切嗣の知るアイリスは、その強情さを一度として曲げたことは無かった。

『────っ。だが⋯⋯』

 今決めたばかりの、聖杯との決別。滅ぼすべき魔術の担い手、アイリスフィール。
 放っておけばいい、彼女がその命を落とすのは自業自得に過ぎない。
 魔術の廃絶に手段を選んだことはない、ならばいつもの通りに非情であればいいだけだ。


 だが⋯⋯切嗣の中に確かにある、胸の痛み。

 目を瞑れば容易に思い出せる、アイリスの俯いた顔。
 怒ったり拗ねたり、子供のように頬をむくれさせたり。
 いくら避けても犬のように傍に来て、切嗣を一人にはしなかった一人ぼっちのお姫様。
 その全ては⋯⋯切嗣の中に、消えないものとして焼きついていた。


「⋯⋯僕の負けだ、アイリス」

 切嗣は私室へ向かうといつものコートを羽織り、車の鍵を取り出した。

 気付いてしまった、だから否定することは出来ない。
 衛宮切嗣は、アイリスフィールという女性のことを放っておけない。
 何を決めようと、それだけは────間違いの無い事実だった。




 そうして、日が変わる前。
 切嗣はアインツベルン城の前にいた。

「な⋯⋯んとか⋯⋯約束⋯⋯を破らずに⋯⋯済みそうか⋯⋯」

 強化を駆使して森を踏破した切嗣。
 徒歩で4時間という長大な山道を1時間弱で駆け抜けたのだから、その健脚たるや凄まじいものであった。

 城のエントランスを抜けると迎えのホムンクルスがやってくる。
 その顔には怒気が登り、切嗣の予想が外れてはいなかったことを伺わせた。

「すまない。アイリスは無事かい?」
「本来ならば会わせたくも無いところですが。
 アイリスフィール様のたっての願いです。ご案内します」
「⋯⋯ご案内します」
「ありがとう、ラエヴィ、エンセータ」
「────!」「────!」

 自分の名前を呼ばれたことが意外なのか、目を見開いて振り返る二人のホムンクルス。

 アイリスの戦闘ホムンクルス、その一位と二位。
 まるで友人のように、忠実な従者のように主につき従う彼女達は、アイリスにとって最も頼りになる存在なのだろう。
 彼女達の名前もアイリスが自分でつけたと聞き及んでいる。
 ラエヴィガタとエンセータ、共にあやめ科の花で、杜若と花菖蒲の学名である。
 性格こそは全く違うが、同時期に鋳造されたため三人の体格はそっくりで、姉妹みたいですよね? とアイリスが笑っていたのを覚えている。

「どういう心境の変化なのかは理解できませんが。
 わたくし達は貴方のことを嫌悪しております」
「⋯⋯嫌いです」
「────構わない。
 それだけのことはしてきたつもりだ。
 謝罪が欲しいのならば謝ろう。すまなかった」
「⋯⋯⋯⋯」「⋯⋯⋯⋯」

 頭を下げて謝罪する切嗣を気味悪そうに見つめる二人。

 悪意も害意も好きなだけ向けてもらって構わない。
 彼女達の機嫌を損ねれば最悪、会わせてもらえないこともありうるのだから。

「⋯⋯似合わない事はお止めください。
 主の命だといったでしょう。わたくしの仕事は貴方をアイリスフィール様のところまで連れて行くことですから」
「助かる」

 やはり気味悪そうに肩を震わせると、ラエヴィとエンセータはどんどん先へ進んでゆく。痛む足を引きずり早足で行く彼女達を追いかける。


 そして、城の中央部。
 中庭扉に面したアイリスの部屋に到着する。
 廊下を行く途中、中庭側の窓全てに目張りがしてあることに不審を覚えた切嗣だったが、口には出さなかった。

「アイリスフィール様。衛宮様をお連れしました」
「⋯⋯え?
 あ、あ⋯⋯だ、駄目です」
「⋯⋯アイリスフィール様?」
「よく考えたらこんな格好で切嗣に会えません。
あと一時間いただけますか?」
「────あと一時間待ったら、僕は約束破りになってしまうよ、
 アイリス」

 二人の制止を振り切り、扉を開け放つ切嗣。
 部屋の中央にある天蓋付きの大きなベッド。
 その上に、大きなクッションを背にしてアイリスが座っていた。

「女性の部屋に了承も無しに入るのは失礼でしょう、切嗣!」
「これは失礼。
 とはいえ、我侭姫に付き合っていたら万事が万事回らないのでね」
「⋯⋯もう」

 困ったように小首をかしげ、眉を寄せるアイリス。
 いつも通りの上品な仕草。けれど、その体調は一目見て酷いものだとわかる。
 食事もろくにとっていないのか、柔らかく美しいカーブを描いていた頬はやせて削げ落ち、顔色も良くない。
 細くしなやかだった腕は、病的な程に細くなり静脈が目立っている。

 それは、あの日見たアイリスの状態を酷くしたもの。
 彼女を放置し、定期の眠りを放棄させたときに陥った衰弱の症状だった。



 ────ギリ。



 奥歯を、強くかみ締める。
 彼女をこんなにまで衰弱させてしまったのは、間違いなく切嗣のせいだ。
 この城でアイリスに逆らえるホムンクルスはいない。だからアイリスが待つといえば彼女を止める手段は無い。
 きっと体力の限界まで、いつものように俯いて切嗣をまっていたのだろう。
 必ず慰めに来てくれると、そう信じて。


「来てくれると思っていました、切嗣」
「そうか」
「⋯⋯でも。
 来てくれないかとも思っていました」
「どっちなんだ」
「だって⋯⋯貴方は。
 私のことを嫌っているのでしょうから」

 儚げな笑顔を浮かべてそういうアイリスを苦々しく見つめる。
 胸の奥の真意に、一体いつから気付いていたのだろう。
 聡い彼女のことだ、嘘を見破る前からうすうすと感じていたに違いない。

「だから、本当は不安でした。
 私はきっと、男性にとって迷惑な女なのでしょう?」
「自覚はあるのか」
「⋯⋯今日の切嗣は厳しいです」

 肩を落とし俯いてしまったアイリスに苦笑いしながら、切嗣はベッドの脇の椅子に腰を下ろす。

「⋯⋯君にはもう、僕の嘘は通用しないだろうからね。
 下手な誤魔化しはしないよ」
「では今日の切嗣は正直者なのですか?」
「そう、正直者だ。
 だから正直者らしく、正直な気持ちを君に伝えるよ」
「⋯⋯はい」

 切嗣はアイリスの手をとり、優しく握る。
 これ以上の誤魔化しは無理だろう。
 アイリスを見捨てることが出来ない以上、彼女を傷つけないためには和解か、それとも────別れかしか、残されてはいない。


 覚悟を決めろ。
 切嗣は彼女に対して抱く、全ての想いを告白しようと決意した。



 家政夫と一緒編第三部その38。Interlude7-3。
 その人生に救いはない。
 それ故に男は願った。願いの成就と引き換えに、自らの生が終わることを。

 目的の為だけに生まれた幼い女は、男との関わりの中でそれを悲しく感じるようになった。
 そして、二人は対峙する。

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