18歳で上京、毎晩泣いてた
もう入学式&新学期シーズンかあ。
春の匂いっていいよね、クラス替えや入学でドキドキと不安が入り乱れていた時期を思い出す。
わたしは根っからの陰キャなので不安の方が大きかったけど。
今となっては貴重な経験だった!
あとこの時期になると思い出すことがもうひとつ。
タイトル通り、18歳で上京して一人暮らしを始めた頃のことだ。
私は九州出身で、大学進学を機に上京し、一人暮らしもさせてもらった。
学費から何から親のお金なので、「させてもらった。」という表現にしてる。
中学のときから東京に憧れがあって、高校生になってもその思いは消えず、1年生のときから大学は東京の大学を志望していた。
親はそんな贅沢な希望をする私にも協力的で、母親は特に賛成し、「1度は九州を出た方がいい!」と言ってくれていた。
高校2年生まで、目指していた大学は模試ではF判定だった(笑)
でも絶対に東京へ行きたい気持ちから、3年生になって勉強を頑張って、第1志望に合格することが出来た。
私大だけどそれなりに名の知れた大学だったので、親や親戚、友達からも「すごいね!頭いいね!」ともてはやされ、合格後の私はウハウハだったw
準備期間にゆとりを持っていなかったので、家電屋さんも不動産屋さんも多忙な時期に部屋を決めて家具家電の買い物や荷物を送る手配を済ませ、バタバタで母親と東京へ向かった。
この部屋で新生活が始まるんだ!!と、着いた時はワクワクが止まらなかった。
入学式の前から大学では学部ごとにオリエンテーションがあって、母親と部屋を整理しつつ1人で大学のオリエンテーションに向かう日々だった。
東京には友達も知り合いも0だし、大学でも友達が作れるかとても不安で、オリエンテーションで近くにいた子に話しかけたりしたけど、仲良くなることは出来なかった。
今思えば気が早すぎるけど、何回か大学に1人で行き1人で部屋に帰るうちに、このままで本当に大丈夫かな?ずっと1人なのかな?と、私は段々不安になってきた。
母親が入学式までは部屋に居てくれることが救いだった。
でも、母親も地元に帰る時期が近づいてきていた。
今も覚えてる。母親と家電屋さんでドライヤーやアイロンを買って帰りの電車の中で、母親が帰る日までのスケジュールの話になった時、不安な気持ちが抑えられなくなり、電車の中で泣いてしまった。
母親も泣きそうな声で励ましてくれたけど、優しい言葉が余計に染みてさらに泣いた。
今思うとめちゃくちゃ心配させてしまって申し訳なかったな(笑)
入学式の翌日だったかな、母親が地元に帰るけど私は大学へ行く予定があって、部屋で別れることに。
涙を堪えるのに必死だったけど、母親も同じ様子で、「早く行きなさい!」と涙目で送り出された。
大学から部屋に帰るまでは我慢したけど、部屋に帰ってから1人でわんわん大泣きした。
自分がワガママを言ってお金を出してもらったのに、いざとなったら不安で泣いてる自分も不甲斐ないし、寂しいし不安だし、、
それから5月中頃までは枕を濡らす日々が続いた(笑)
ゴールデンウィークは父親が来てくれて、部屋の片付けとか必要なものの買い出しを手伝ってくれて、まだ遊べる友達もいなかったので父親と一緒に過ごした。
なんでゴールデンウィークずっとこっちにいてくれたんだろうと思ってたけど、父親なりに心配してたんだと思う。
ゴールデンウィークに父親が帰ってしまってからも少し泣いた。
でも、枕を濡らす日々はそんなに続かなかった(笑)
サークルにも入って同級生の知り合いが増えて、授業にも慣れてきた夏頃になると、もう自分の部屋は俺の城状態で、自由な生活を謳歌し始めていた。
夏に実家に帰った時は母親の方が寂しがるくらいには、数ヶ月で私は逞しくなっていた。
枕を濡らした日々も、今となってはこうやって振り返ることができるくらい愛おしい思い出に変わった。
いま上京したてや、1人になって不安で毎晩泣いている人が見ていたら強く伝えたい。
私が大丈夫だったんだから、あなたも絶対に大丈夫!!!!絶対楽しくなる!!!
根拠は、とんでもなくポンコツで陰キャな私でも大丈夫だった!
その一つだけ(笑)
伝えたいことの前置きが異常に長くなったけど、上京8年生の経験談でした。
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