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一杯の想い

 はじめての家庭科の調理実習は『お茶のいれ方』だった。
 先生が用意した緑茶の葉をつかうか、家から好きな茶葉を持ってくるか。割合はだいたい半々くらいだったと覚えている。お茶を持参してきたクラスメートは緑茶か麦茶がほとんどを占めていて、調子にのった何人かはドリップコーヒーを持ち込んだ。
 紅茶を持ってきたのは意外にも僕だけだった。
 スーパーに売っているような紅茶ならまだしも、根っからの紅茶党の親にむりやり持たされたのは本格的なフレーバーティーだ。可愛らしくゴージャスな茶缶に、クラスメートにかわかわれて『姫』とあだ名をつけられたのはずいぶんと苦い思い出だ。
 凝り性の先生がウンチクを長々と語りながら緑茶で実演してみせ、いざ実習という段階になった。
 紅茶はまず、ポットとカップを事前に温めておく。これが大事だ。それからくみたての水道水でお湯をわかす。茶葉はティースプーンにすり切れ一杯を人数分。あつあつの熱湯を注いで三分蒸らす。複数のカップに注ぐときは、味わいに差がでないよう均等に。
 最後の一滴まで注ぐように。慎重に、丁寧に、美味しくなれと願いながら。
 手順通りフレーバーティーをいれた僕は、同じグループにカップを配った。緑茶でもコーヒーでもない、花のようなふわりとした香りに「薄めた香水みたい」と反発があった。
 その気持ちはわかる。
 親に勧められて何回か口にしたことはあるが、香りのあるお湯を飲んでいるようで、どうも好きになれなかった。親は暇さえあれば紅茶を飲むものだから、僕は香りに慣れきっているが。そうでなければ日常では縁遠いものだろう。
 誰もが、いれた自分でさえ尻込みした。カップからゆらゆら漂う湯気。初心者のわりには上手くいれられたと思う。このまま冷めてしまうのかと、場違いにも寂しく感じた、その瞬間。
 脇から伸びてきた手がカップをかっさらった。ぎょっとして見れば、犯人は隣のグループの女子だった。驚く僕のことなんか気にも留めずに、ごくりと一口。
「とっても美味しい!」
 上気した頬。上擦った声。きらきらと輝く瞳。
 強烈な笑顔だった。横っ面を、がつんとやられたような。まるで磁石に引き寄せられるように、グループのメンバーが次々とカップを手に取った。上機嫌の笑顔につられて一口。
「う、うーん。うまいような気がする……?」
「俺はやっぱりダメだな。このニオイ」
「あたしは好きかも」
「思ったよりはうまいよ」
 感想はそれぞれ違う。それが当たり前だ。一人の女子が他グループのお茶を勝手に飲んだことで、それからは、グループ分けなど関係なく飲み比べ合戦に発展した。
 僕のフレーバーティーはおおむね好評だった。クラスメートがあちらこちらと入り乱れ、その中心にはあの子がいる。僕はひっそりとフレーバーティーをいれなおし、じっくりと味わってみた。
 紅茶は熱く胸に落ち、ほのかに甘い味がした。



 上野綾子。
 親の仕事の都合で小学五年生という微妙な時期に引っ越してきた僕だが、すぐ隣が彼女の家だった。綾子とは小学校から高校卒業まで一緒だった、いわゆる幼馴染だ。
 幼いころから責任感が強かった綾子は学級委員長などに就いていて、クラスの垣根をこえてあれこれと世話を焼く、折り紙つきのイイヤツだった。
 引っ越してきたばかりではまだ帰り道がわからないだろうと、率先して一緒に下校してくれた。あまりにも熱心に迎えにくるものだから、僕の『姫』というあだ名にあやかって『王子様』と命名されたほどだ。否定すればいいものを、ノリがいい綾子は「王子様のお通りよ」とふんぞり返っていた。堂々とした姿に、ほんのばかり憧れを抱いたこともあった。
 一緒に登下校していたのは小学校までだ。年齢を重ねるごとに会話も減り、綾子は大学受験、僕は就職活動と、別々の道を歩むことになった。
 奇跡的に道が交差したのは十数年後。営業回りの最中。照りつける真夏の太陽にギブアップして、自動販売機でスマホ決済をし、さてどのドリンクにしようかと迷っていた、そんな時だった。
「久しぶり!」
 元気一杯の声とともに肩を押された。完璧な不意打ちだったので、自動販売機に正面衝突することになってしまった。鼻が折れなくて本当によかったと思う。がたん、と少々まぬけな音で取出し口からでてきたのは、狙ったかのようにホットティーだった。

 久々の再開はもんくを言う隙もなく、あれよあれよという内にSNSの連絡先と名刺交換まで終わっていた。それからというもの、交流は途切れることなく続いている。
 一、二ヶ月に一回は綾子と会う。落ち合う場所はいつも同じ、オフィスビルにあるお茶の専門店だ。茶葉や茶器を販売しているほか、ティールームではお茶の飲み放題をやっている。料金は一時間で二千円。茶葉は五十数種類。軽食なら持ち込みは自由。満席ということはないが、いつ行っても半分くらいは席が埋まっているので、そこそこ繁盛しているらしい。
 いつも通り綾子は席取りに、僕は紅茶を選びにカウンターへ向かった。ずらりと並ぶポットとカップから綾子が好きそうなデザインを選んでレンタルする。
 茶器を選べば店員が適温に温めてくれるので、次は茶葉選びだ。
 季節にあうものはどれか。すでに食後だから甘めがいいのか。今の気分にマッチするお茶の色は、香りは。はじめの一杯はどれがふさわしいだろうか。
 茶葉選びは難しいが、同時に楽しさもある。店員に声をかければアドバイスをくれたり、実際にお茶をいれたりしてくれるが、僕はできるだけ自分でやりたかった。
 お茶をいれるときは基本に忠実、今日も美味しくなれと願いながら。カフェカートにポットとカップを乗せて、綾子のところまで運ぶ。綾子のお気に入りは、街並みが一望できる窓際の席だ。
 お茶は注ぎきる最後の一滴まで丁寧に。相手に渡してはじめて任務完了だ。綾子は昔と同じように笑顔で受け取ってくれた。
「お待たせいましました、王子様」
「ありがとう、お姫様」
 僕たちは時々こうやって、小学校時代のあだ名でからかいあう。当時も現在もそれなりに恥ずかしいが、相手が綾子なら、まあいいかとおおらかな気持ちになるから不思議だ。
 紅茶担当は僕。軽食担当は綾子。なにを持ってくるのか、お互いにわからないサプライズがまた面白い。
 机に広げてあった今日のおともは、アーモンドとクルミ、マンゴーとリンゴのドライフルーツだった。狙い通り。僕がセレクトしたお茶にもあう。
 あつあつのお茶にナッツやドライフルーツをつまみながら話すのは、日常のくだらないこと、SNSで流行したこと、最新のドラマのこと。それから、仕事のグチをほんの時々こぼす。
 カップにお茶をいれるとあふれるように、キャパシティをこえてこぼれるものがある。
 僕がそうだった。綾子はときおり相槌をうちながら、黙って聞いてくれた。すっかり話し終わったころ、ふがいなさが頭をもたげて謝れば、綾子は「なんで謝るの?」と当然のように口にした。気がさっぱりしているところが綾子のいいところでもある。
「グチってのは、あんまり言っていいものじゃないからな」
「今のはグチじゃなくてお悩み相談」
「はは。心強いよ、お前がいてくれると」
「そうでしょ?」
 自信満々に言う綾子は、ふと、視線をそらした。僕はなにげなくその視線を追う。いっぺんの曇りもなく磨かれた窓ガラス。向こう側では、いつものように高層ビルがクリスマスツリーのように光っている。
 ガラス面に映る綾子と視線があった。まるで、導かれたように自然と。
「一緒にいてあげる。この先もね」
 綾子は言った。らしくもないささやくような声だったが、たしかに聞こえた。
 彼女の顔は、見たことがないくらい真っ赤だった。いや、中学生時代に、風邪をひいた彼女のお見舞いに行った時はこのくらい赤かったかもしれない。あの日はあとでインフルエンザだと判明して大変だった。
 自分で顔が熱くなっていくのがわかる。頭も、高熱にやられたような高揚感があった。いつもと同じ都会のビル群が、なぜかよりいっそう輝いてみえる。星のようにきらきらと。
 カップを持つ手が震える。こぼれそうになる紅茶に、慌てて口をつけた。
 花のように香る熱が落ちていく。紅茶はいつか飲んだような、ほのかに甘い味がした。

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