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身体が教えてくれる事

週1のヨガは、すっかり定着している。
週末のルーティンとして、まるで筋トレのようなクリア(毎度キツい)と瞑想のセットも、もはや楽しみでもある。

飽き性の私が何故続いているのか、
自分なりに分析すると、
毎回、身体からのメッセージを受け取れるからだ、と思っている。


先生とは色々な話をするのだが、今週の練習で、とても共感した件があった。

物事を理解する為に、殆どの人は頭を使う。
1番手っ取り早い方法なのだから、当たり前だ。
その為に、沢山の情報がある。
向上心の高い方はそれらの情報を本や色々なところから抽出し、自分のモノにしていくのだろう。

しかし、この世には、身体を変えていって、その変化から、ある時、はたと気づくことがある。
その気づきは、頭で理解することとはまるで逆走するように。


無心で練習を重ねた結果、ある日、それも明確に違いを感じる。何となくではなく、明確に、だ。
そして、その違いが教えてくれる事は一つではない。
身体の変化に伴い、今までとは「解釈」に変化が生まれるのだ。

最近の具体的なケースをあげると、
「中丹田」がどこにあるか、わかってから、
会社で大きなプレゼンが2回あったのだが、2回とも、変な緊張感が生まれず、リラックスしてプレゼンに臨めた。
それは、1度目は偶然か?とも思っていたが、2度目を経て、確信に変わった。

身体が変わる事によって、自分の中にこんなにも違いが出るのか、と、驚きと共にじわじわと幸福感を味わった出来事だ。

ヨガの練習で、何回か、この
「身体が教えてくれる」
という事を経験をしたことで、私は、自分の生きていく上での「軸」が出来てきたと思っている。
軸といっても、それは、自分本位、とは真逆の世界観である。

このことは、宗教とは違うと思う。

起きる変化は明確に体感を伴うものである。
頭を使って理解したものは何だったのか、経験になるかもしれない。
しかし、その変化は、その人の人生に深みを与えるものになる。

本当に大切なものは、目に見えない。

情報にまみれて、本質を見誤らないように。
本質とは、何かを見ていけるように。

私はこれからも淡々とヨガを続ける。



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