見出し画像

「オットーという男」お年寄りにはお節介は過ぎるくらいで

「あさイチ」の映画紹介コーナーで紹介されていた「オットーという男」を8時50分の回、早起きして観に行きました。

トム・ハンクス主演だから観に行ったんですけれども、やっぱり期待を裏切らない。
小難しいことはなく、ちゃんとおもしろくて、泣けて、心が温かくなる。このちゃんとおもしろいというのが、トム・ハンクス作品のいいところではないかなと思っています。
トム・ハンクスはもともとコメディアンでコメディ映画を得意とする役者さん。
夫がトム・ハンクスファンで、これまでいろいろな作品を観ましたが「ビッグ」での子供が大人になるコミカルな演技は印象的でした。

妻を亡くして以来、不幸な日々を送るオットー。しかし、近くに引っ越してきた若い家族と出会い、機転の利くマリソルとの友情が、彼の人生を大きく変えることになる。

オットーのご近所さんとなるマリソルの演技がいい。というか、気難し屋のオットーとは対照的であり、妻を亡くして希望を失って過ごすオットーには必要な存在なんです。天真爛漫な子供たちもオットーの希望となります。
あとは、回想シーンで若いときのオットーをトム・ハンクスの実の息子が演じているんですね。
横顔が過去から現在に切り替わるシーンで、時を超えている感覚がリアルで不思議な感じでした。

私たちも歳を取っていつかこの社会の用なしの存在になってしまうんだろうけれど、それでも生かされている限りは何かやるべきこと、使命が与えられていると考えて、その意味を見つけて生き続ける努力をしないといけないのでしょう。
私の年齢では今はまだマリソル側で、オットーに両親や姑を重ねて見ていました。
特に姑とはこれまで二世帯暮らしの中でいろいろあって、嫌な思いや悔しい思いをしてきました。
今はお互い歳を取り、姑は透析を受けたり、足も不自由になって、身の回りのことは自分でしてもらっていてありがたいですが、食事の支度やこまごましたことはヘルパーさんや私の助けがないと多分暮らしてはいけません。
それは姑にとって情けなくて悔しいことだと思いますが、なるべくしてなったと思っています。
こんな思いをしてまで長生きしてつらいと本人は言うけれど、きっとまだ与えられた使命があるんでしょう。
私はお節介過ぎるマリソルのようにはなれないけれど、姑が何かを果たし終えるその日まで、見守ることだけはする覚悟で。

マリソルがお節介過ぎたことでオットーは救われます。
最近は近所づきあいも希薄になっているから、ちょっと気にかかる人がいたら、お節介は過ぎるくらいでちょうどいいかもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?