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新学期と決意

こんばんは。

あけましておめでとうございます。相変わらずスロバキアは寒いです。

新学期も始まってからあっという間に4週間が経過しました。スロバキアの生活もすっかり慣れ、時間が経つのも早く感じるようになってきました。最初はビクビクしながら受けていた授業、慌てて読んでいたリーディングの課題も、今となっては日常としてうまく消化できるようになりました。

ヨーロッパで政治学を学ぶことの重要性を本当に実感する毎日です。アウシュビッツ収容所でのユダヤ人ホロコースト、ユーゴスラビア内戦、プラハの春、難民問題、これらは全てここヨーロッパで起きたこと、そして起きていることです。ずっと離れた日本の教室で学ぶのではなく、その地域で育ち、背景を持った同級生から話を聞いたり、実際に事件が起こった場所に足を運ぶことが重要だと感じます。

そして、私たちだけが学ぶのではなく、私たちもまた、彼らに日本で起きたことを語ることに、私のスロバキア留学の意味があるように感じます。日本の歴史や政治を代表して話せる立場ではないかもしれませんが、授業でそれらについて話すと、彼らはとても感謝してくれます。それこそが授業を通じた、意義のある国際交流の場であると実感します。そして、彼らから教わったことを日本に帰って友達や家族と共有するのが、私の帰国後の楽しみでもあります。

さて、少し前置きが長くなりましたが、「帰国後」といえば、最近は自分の将来についてよく考えます。

私は大学4年生です。”常識”から考えれば就職先が決まってほしい日本の大学の最終学年に当たります。では、そんな私が、どのように就活と向き合って行こうと考えているのか、今日は書いていこうと思います。

先日、「何者」という映画を鑑賞しました。日本の大学生が就活という日本社会の荒波に飲まれていく中で、主人公の拓人は自分ではない「何か(他者)」に取り憑かれてしまいます。

拓人は、就活をせずに自分の劇団を立ち上げた親友を蔑んだり、拓人自身が演劇が好きだったにも関わらず、自分が無謀な演劇の道に行くことについては痛々しく感じて、就活の道を選びます。そのため、いくら演劇が好きでも、「演劇なんかで食っていけない」、「大学を出たら就活することが普通だ」、「そう考えない人は遅れていて、自分に酔いしれているどこか痛いやつだ」と言った、主体性のない「他者」からの言説に無意識に支配されてしまうのです。

このように、人は「主体性」を持たずに、どこからか聞いたり見た言葉に基づいて、「見えない他者」を自分の中に持ち続け、その無意識の支配から逃れることはできなくなってしまうのです。これはどんな人にも当てはまると思います。

私も似たような感覚を持っていました。帰国後は他の帰国生と同じように、すぐに就活をして卒業したら新卒の社会人になろうと思っていたし、なるのが当たり前だと思っていました。

しかし、現地の子達を見てると、卒業後はすぐに働かずにギャップイヤーを取ったり、他の国の大学院に入学したり、ヨーロッパの他の国で働く準備をしたりなど、もっと柔軟に落ち着いて考えてもいいんだということを教えてくれます。

実際、留学中は慣れない環境の変化や、課題の量に苦しんだり、就活のセミナーに出席しようにも時差があったりと、なかなか就活に時間を割くことができませんでした。

そこで、もう一度自分の将来と向き合うために、卒業をもう一年伸ばしてみようと決意しました。早く就職先を見つけて、働いて稼ぐことが目的にならないように焦らずに、自分の一番後悔がないと思える就活をするのが良いと考えるようになりました。それが、残りの留学生活や卒業論文にもきっちりと向き会える唯一の方法だともまた思いました。

友人や家族、そしてバイト先の尊敬している塾長とじっくり話して得た決断です。どうせ自分の人生なので悔いが残らないように生きてやろうと思います。

それでは今日はこの辺で。

ブラティスラヴァ旧市街にて


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