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日本という、このすばらしい国 その4

執筆:ラボラトリオ研究員 杉山 彰

縄文人は、単一の民族ではない

地理学的に見れば、かつて日本列島は中国大陸の沿岸部に位置していたわけです。中国大陸と陸続きであった頃に、現代人のミトコンドリアDNAをもった一人の女性を祖先とする人類の一部、つまりモンゴロイドに属する様々な人種が、北は北海道から南は沖縄までの日本列島の各地に分散して棲みついたというのが自然な摂理であると、私は考えています。特定の地域から特定の人類が移住してきたのではなく、広範な地域からナウマン象などの獲物を追い求めて移動するうちに日本列島、つまり豊かな魚貝類が生息する中国大陸の沿岸部にたどり着いたのではないでしょうか。いつあらわれるともしれない獲物を追い続ける狩猟生活に比べ、居を構え、定期的に河川に遡上してくる魚や、季節ごとに回遊してくる魚、そして照葉樹林や落葉広葉樹林から採取できる果樹や木の実を食料とする漁労採取生活の方が、あたりまえのように暮らしやすいと考えて、その土地に棲みつくようになったのではないでしょうか。

その後、中国大陸の沿岸部は、紀元前1万3,000年頃、氷河期の終わりと共に海面水位が上昇するにしたがって、日本海が海として形成され、徐々に日本列島として孤立していった。その時点で孤立していった日本列島に居住し続けていた人たちを、縄文式土器を利用していた人たちとして<縄文人>と特定し、その縄文人たちの時代を、”縄文時代” と呼称しているにすぎないのです。縄文人という民族が日本列島に棲んでいたのではなく、縄目の模様を施した土器を造り、その土器を食料保存や煮炊きなどに利用していた人たちを一括りにして縄文人として区分したにすぎないのです。縄文人は決して単一の人種ではなく、南方系、北方系、大陸系の、様々なモンゴロイド系の人種がそれぞれ独自の言葉を喋り、日本列島の各地域で、それぞれ固有の文明文化を築き上げて暮らしていたに違いありません。

しかし、ここで不思議なことがあります。中国大陸と陸続きであった頃の日本列島、つまり中国大陸の沿岸部に棲みついた人種は、様々なモンゴロイドに属する人種であったことは想像に難くないのですが、日本列島が中国大陸と分離して島国として孤立したときに、日本列島に残ったモンゴロイド種はATL(成人T細胞白血病)ウィルスキャリアに限られたのではないか、という説です。そして、このATLウィルスキャリアは、現在の中国大陸や朝鮮半島に暮らす人たちには皆無に近いという事実です。

この説は山本七平氏の著書「日本人とは何か」で、京大名誉教授・日沼頼夫博士の説を取り上げて紹介されています。ATLウィルスキャリア説は、この後に記述する弥生時代の頃の問題点につながるのですが、ここでは言及せずにおきます。とにもかくにも、日本列島が中国大陸と分離して島国として孤立したときに、日本列島に残ったモンゴロイド種がATLウィルスキャリアに限られたのではないかという説が、どうやら我々日本民族のルーツに大きく関係しているようです。

また、信じられないことですが、この縄文時代は、なんと1万年以上(紀元前11,000年~紀元前1,000年)の長期間にわたって争いごとのない平和で穏やかな時代だったようです。事実、縄文遺跡から発掘された頭蓋骨や骨などには、弥生時代に発掘された頭蓋骨や骨などに見られる、争いなどにより損傷したと思われる痕跡が極端に少なく、また、縄文時代の遺跡からは外部からの侵入者を防御するための堀や塀などの建造物も発掘できていません。むしろ外部との交流を積極的に行うために、海から一目で確認できる楼閣などの大規模な建物を建造し、翡翠や黒曜石や海産物などを海上交易によって物々交換していたと思われる遺跡や遺物が多く発掘されています。

地球上の歴史として、19世紀には世界規模の戦争が2度にわたって発生し何千万人もの人間が戦死したことを考えれば、1万年以上も争いごとがおこらなかったという歴史は希有なことであり、我々日本人は、この歴史を誇りにして、なぜ、我が国の縄文時代において、これほどの長期間、争いごとが起こらなかったのか、その原因を探り出し世界平和に貢献する民族として、もっと積極的な働きを興してもいいのではないかと思います。

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→その5に続く

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【杉山 彰(すぎやま あきら)プロフィール】

◎立命館大学 産業社会学部卒
 1974年、(株)タイムにコピーライターとして入社。
 以後(株)タイムに10年間勤務した後、杉山彰事務所を主宰。
 1990年、株式会社 JCN研究所を設立
 1993年、株式会社CSK関連会社 
 日本レジホンシステムズ(ナレッジモデリング株式会社の前身)と
 マーケティング顧問契約を締結
 ※この時期に、七沢先生との知遇を得て、現在に至る。
 1995年、松下電器産業(株)開発本部・映像音響情報研究所の
 コンセプトメーカーとして顧問契約(技術支援業務契約)を締結。
 2010年、株式会社 JCN研究所を休眠、現在に至る。

◎〈作成論文&レポート〉
 ・「マトリックス・マネージメント」
 ・「オープンマインド・ヒューマン・ネットワーキング」
 ・「コンピュータの中の日本語」
 ・「新・遺伝的アルゴリズム論」
 ・「知識社会におけるヒューマンネットワーキング経営の在り方」
 ・「人間と夢」 等

◎〈開発システム〉
 ・コンピュータにおける日本語処理機能としての
  カナ漢字置換装置・JCN〈愛(ai)〉
 ・置換アルゴリズムの応用システム「TAO/TIME認証システム」
 ・TAO時計装置

◎〈出願特許〉
 ・「カナ漢字自動置換システム」
 ・「新・遺伝的アルゴリズムによる、漢字混じり文章生成装置」
 ・「アナログ計時とディジタル計時と絶対時間を同時共時に
   計測表示できるTAO時計装置」
 ・「音符システムを活用した、新・中間言語アルゴリズム」
 ・「時間軸をキーデータとする、システム辞書の生成方法」
 ・「利用履歴データをID化した、新・ファイル管理システム」等

◎〈取得特許〉
 「TAO時計装置」(米国特許)、
 「TAO・TIME認証システム」(国際特許) 等


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