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4 炭住の共同浴場・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな

 「われわれはただそこに自由な開かれた世界の反映を見るだけなのだ、
 しかもわれわれ自身の影でうすぐらくなってゑる反映を。」
                     リルケ「第八の悲歌」

父大塚巧は、あの「事件」(巧の「実存」を根本的に揺らがしたPTSD)故「早熟」でもあった。
炭住では共同浴場/ 銭湯だった。
入れ墨の男も少なからず目にした。

多分2-3歳頃だったので、母親と一緒に母親☆☆に連れられて女風呂に入った。
普通なら、何の不思議もない光景なのだろうが、父巧は少し違った。森の中で見た光景のせいもあるのかもしれないが、「性」に敏感だった。
母親☆☆に連れられて入った女風呂で見た数シーンが目に焼き付いている。

未だ二十歳そこそこの母親の白い肌・・豊かな乳房・・
前を手拭いで隠しながら湯船にはいる母・・
近所の女学生たちの白い裸体・・湯に濡れた艶やかな肌と、そんな肌に張り付いた髪の毛・えり足と、うぶ毛と、膨らみかけた胸・乳首・・・

勿論、大人の男が持つであろう欲情に満ちた感情とは全く違った何か・・である。同世代の幼児の男の子が持つかもしれない感情とも全く違っていた。しかし、確実に『女』性という、自分とは全く違った『性』故の感情である。

  ************* 

 
ある日、遊んでいると、大人たちが走って共同浴場に向かった。
巧も走って行った。
中年の、どす黒い顔のおじさんが横たわっていた。銭湯の高い煙突掃除中に落ちたとのこと。
人混みをかき分けて、そのおじさんの直ぐ横に立った。
担架に乗せられたおじさんの顔が少し動いた気がした、私の方に。

その瞬間・・「時間」が止まった。
世界が、そのおじさんと巧のふたりきりになった。
おじさんが、じーっと巧を見つめている。
もう既に、生きた「人間」ではなかったのだろう。かといって死者の目でもなかった、確実に。
しっかり瞼を開けて、独特の、どんよりした目で自分を、巧をしっかり見つめている。
恐ろしさも驚きも(未だ)ない。「死」すら未だ理解していないのだから当然である。
ただ、ひとりのおじさんと、ひとりの自分が無言で、みつめ合っている。
そんな時間が、ずーっと続いている。
時間がずーっと止まり続けている。今でも、あのおじさんとみつめ合っている。

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