16. 「薬はありませんか」・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな

  「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めにくらく、
      死に死に死に死んで死の終りにくらし。」
              弘法大師空海『秘蔵法鑰』 

せっかく、「炭住」から、「労働運動」から「解放」された母俊子であったが、今度は、父の「報復」の「放蕩」と極限までもの「貧乏」に苦しまされた。
母の惨めさは限界だった。
実家の両親のところに行った。
「離婚したか。つらい。」
当時は、女手一人で子どもを育てるのは至難の業だった・・と、母は思っていた。
泣きじゃくる母に、両親は、
「巧を父親に渡すんだったら戻って来てもよか!」
と言って、子連れの離婚「出戻り」には頑として反対した。
しかし、両親も内心心配でたまらなかった。よっぽど、
「よかよ。巧ば、連れて帰って来んね。」
と、やさしく言ってやりたかった・・。
自分達が高齢であること、農家の暮らしは現実にはとてもたいへんであること、母である末娘の「農家嫌い」の性格を熟知していること、なによりも、巧の未来にとって町で育つ方がいいと、百姓のあまりの辛さ・農村の息苦しさを熟知している老夫婦は判断した。それとて、ギリギリの判断であった。
「巧を父親に渡すんだったら戻って来てもよか!」
・・・母俊子に、そんなことができる筈もなかった。

母俊子は、最後の頼みを失って、失意のもとに白川の社宅に戻った。

巧の脳裏に焼き付いている記憶がある。

冬の寒い、曇った日だった。母俊子は、幼児巧の手を引いて、歩いて薬局を廻った。
母と子は、黙ったまま、何時間も歩き続けた。
母は、涙ぐんでいた。
薬局に行って、印鑑を押して何かの薬を買った。また、別の薬局に行って薬を同じようにして買った。何件もの薬局に行った。
巧の記憶にあるのは、この風景だけである。
まだ、幼稚園前、3-4歳くらいの頃だろうか。

・・ずっと後になって、分かった気がする。
母は、死のうとしていた。幼児の巧を連れて。
母は、多分一生を通じて、よく睡眠薬を愛用していた。その時も、恐らく大量の睡眠薬を買い漁ったのだろう。
母の思いは、実行されず、お陰で、今、これを書いている。
何故自殺を思い留まったのかは、巧には知る術もないが。
多分、明確な理由なんてなかったのだろう。母の気分がもう少し落ち込んでいたら、もう少し違っていたら、なにかがほんの少し違っていたら、決行されたのだろう。
そしたら、今、こんな文も書いてないが・・。

「薬はありませんか」
「薬はありませんか」
寒くて、どんより曇った空の下
母に手を繋がれて
ふたり黙ったまま
黙々と歩いた
薬局を渡り歩いた
「薬はありませんか」
「薬はありませんか」
「わたしたちふたりを楽にしてくれる薬はありませんか」
・・・
母と子

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