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ヒルデガルト・フォン・ビンゲン/ ディジボーデンベルク in (ドイツ) & 中島敦「セトナ皇子」 & アカシックレコード・・ヨーロッパ放浪記(30)

リューデスハイムからフェリーで、ライン川対岸のビンゲンに渡りました。
ビンゲンの、ライン川河畔にあるヒルデガルトの薬草植物園と、ヒルデガルトミュージアムを見た後、列車を乗り継いで、山奥のStaudernheim駅に着きました。小さな無人駅。印象的だったのは、駅で、若いドイツ人男女が楽しげに写真撮影をしていたこと。
Google mapを頼りに、人気(ひとけ)がなく活気のない街、市街地を歩きました。途中、教会の塔が目に付きました。

Staudernheim

自動車が通る舗装道から山道に入りました。不安になりました。道に迷ったと思っていたら、ベンチにひとりの女性が座ってました。ディジボーデンベルクは何処か訊ねたら、わざわざ連れて行ってくれました。

Staudernheim

最近できた小さな教会に着きました。そこで、故臼田夜半氏も一緒に記帳し、祭壇に祈りました。

実は、ホントに遺跡で、誰もいない荒れた野原かもしれないと覚悟して来たのですが、意外にも、ヨーロッパ各地から少なくない方が訪れていました。ヒルデガルトは、日本では知るひとぞ知るですが、ヨーロッパではかなりメジャーになっているようです。

遺跡で気になったところは、奈良の石舞台古墳に似た場所。石臼のような、何かを加工処理したと思われる場所でした。薬草を処理していたのかもしれません。ふと、ヘンプ?と思いました。

Disibodenberg

ヒルデガルトは、故臼田夜半氏の訳本で読んだのですが、その時、ふと、ブラバツキーのSecret Doctrineを思い出しました。
Secret Doctrineは、今英文訳で読んでますが、昔、故小杉智氏に借りた日本語翻訳で読んだのが初めてでした。Secret Doctrineは、厖大な書ですが、翻訳は半分だけでした。

時間的には、ブラバツキーが後なので、ブラバツキーがヒルデガルトの影響を受けたのかも知れませんし、以前noteで、クノッソスに関する記事でも書いたように、ふたりとも、アカシックレコードにアクセスしたのかもしれません。

少し脱線しますが、中島敦の「セトナ皇子(仮題)」から引用します。

「古書を拡げている中に、ひょいと或る不安が彼の心を掠めた。・・
彼はたしか、最初の神ラーの未だ生まれない以前のことを読み、且つ考えていた。

ラーは何処から生まれたか?
ラーは太初の渾沌ヌーから生まれた。
ヌーとは、光も影もない、一面のどろどろである。
それではヌーは何から生まれたか。
何からも生まれはせぬ。
初めから在ったのである。・・
初めにヌーが何故あったのか?
無くても一向差支えなかったのではないか。・・

この考えが浮んだ時、奇怪な不安の翳が、心を掠めたのである。・・・

何故在ったか。
無くても良かったろうに。
何故在るか、無くても良いだろうに。・・

以降、王子は何事もいわず、何事も行わず、臘の木偶のようになって一生を終った。
死ぬ迄の間に彼のしたことは、たった一つ。・・
その書物をネフェルカプラーの墓所へ返しに行ったことである。・・
墓所の入口の扉を閉めた時、彼は、後の世の人々がこの書物によって再び、不幸に陥ることがあってはいけないと思った。」

多分、ヒルデガルトも、ブラバツキーも、中島敦も、パルメニデスも、タレスも、ニーチェも、ヴィトゲンシュタインも、「セトナ皇子」と同じ疑問を持ったのだと思います。ネフェルカプラーの墓所の入口の扉を開けてしまったのだと思います。

「何故在ったか」
「無くても一向差支えなかったのではないか」
「何故在るか、無くても良いだろうに。」

その自分なりの答えを「文字」で書こうとすると、多分同じ「アカシックレコード」にアクセスせざるを得ないのかも知れません。
その影響は、「セトナ皇子」のように「臘の木偶」になるのか、精神に異常を来すのか、詩人、哲学者になるのか。

私の場合・・分かりません。かぎりなく「臘の木偶」に近いですが・・ジタバタしている最中です、未だに。

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