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9 カンディンスキーまたはクレーまたは河原温の絵・・・#実験小説 #あまりにもあいまいな

「その絵が私の心をとらえ、しかも記憶に消しがたい印象をとどめて、いつもまったく思いがけぬときに、その細部にいたるまでありありと眼の前にうかんでくるのに気づいたとき、私は驚きもし、また当惑もした。」カンディンスキー『芸術における精神的なもの』

 河原温という画家がいる。

初めて河原温の「浴室」シリーズをテレビ番組で見た時、「あっ!」これ見たことある!と思った。絵ではなく、その描かれた「もの」をである。実際には、それも単にイメージだけ、と言うか、想像の中だけではあるが。

 巧が実際に見て、描いたのは、カンディンスキーまたはクレーの、ある種の絵を思わせるものだ。当然、カンディンスキーもクレーも知らないし、カンディンスキーやクレーとは違うが、あんな雰囲気の、当然もっとずっとシンプルで拙い絵を幼児の頃描いた記憶が鮮明に残っている。
たぶん、生まれて初めて描いた絵だと思う。その初めての絵の細部にいたるまで、しっかり記憶に残っている。だから、カンディンスキーやクレーの、ある種の絵を見た時、デジャブというか、懐かしい感じがした。

 それは・・描かれているものを、実際に見たのである。

炭住の裏通りの方の家の近くでである。湿った、暗い雰囲気の場所を通っていたら何か不思議なものが落ちていた。それを描いただけである。
魚の骨なのか、内蔵なのか、とにかく、奇妙な、不思議なカタチのものだった。
だから、幼児は、絵に描いた・・。
ただ、それが落ちていた場所がとても湿った、ジメジメした感じと、暗い感じがした。
炭住の一角である。ひとりで歩いていたのか、誰か同じくらいの幼児と一緒だったのか思い出せないのだけれど、多分、ひとりで歩いていたのだと思う。

 後に、大人たちの話で、ひとりの炭鉱労働者が解雇されて、家にずっと閉じこもっていたけど、奥さんを殺して食べたというのを聞いた。労働運動に参加していたわけではなかったので、三池炭婦協もまったく接触していなかったのだろう。
その時、何故か、ふと、あの絵を思い出した。
そして、河原温の「浴室」に描かれたような光景が眼に浮かんで、戦慄した。

こども、幼児というのは、大人が思う程、なにも聞いていないわけではない。むしろ、しっかり大人の話を聞いているのである。そして、時には、その話をずっと、数十年~一生記憶に残していることもあるのである。
そして、その話がこどもの一生を少しずつ蝕むこともあるのである。
巧の場合がそうであった。

 「浴室」シリーズを描いた河原温も、心の奥底に何か得体の知れない闇を抱えていたのかもしれない。そう思える程、あの 「浴室」シリーズは、リアルだ。少なくとも、巧にとっては。しかも、不思議なのは、時期がほぼ同じである点である。河原温と巧は、同じ光景を眼にしたかの如く。いや、同じ光景を眼にしたのだ。

* 河原温(1932年- 2014年)コンセプチュアル・アートの第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けており、日本出身の現代美術家のなかで世界的にもっとも著名な1人。1950年代には日本で活躍した。河原が注目を集めたのは、1953年の第1回ニッポン展(東京都美術館)に出品した鉛筆素描のグロテスクな『浴室』シリーズ(連作)(1953 - 1954)であった。タイル貼りの閉鎖的な空間(浴室)に妊婦を含む人物が立ち、断片化した人間(あるいは人形?)の胴体、手足、首などが重力を無視して浮遊するという不気味な光景が描かれているが、人物が半ば戯画化されているため、凄惨さは抑えられている。)「浴室」シリーズ(東京国立近代美術館) (ウィキペディア)

(絵は カンディンスキー コレクション 春) 

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