「世界不安症候群」

この文を書くこと自体躊躇ってましたが、あることがきっかけで、書かなくては!と思いました。
ある女優・・・竹内結子さんのニュース速報を聞きながらハッとしました。当初「原因不明」という点と、彼女のある文章から・・。

「世界不安症候群」World Uneasy Syndrome: Welt-Angst-Syndrom:

ネットで調べても引っかからないので、多分ここで初めて使う言葉なのでしょう。
精神医学もここ数十年でかなり変化してきました。「社会不安症候群」という用語はありますが、一番近いでしょうが、本質的に違うものです。

18歳の竹内結子さんの文章「なじめない自分に対する嫌悪と、理由のよく分からない疎外感をいつも抱いていた」・・・。桜井亜美の小説『サーフ・スプラッシュ』の17歳の女子高生が「居場所が見つけられない」『私は余計な存在なんだ』と感じた点に彼女が共感したのかもしれません。「晩の賑やかな食卓の景色が、私にはガラス越しのものに見えた」と竹内結子さん。

実は、ずっと考えていて、竹内結子さんもそうかも、とも思ったのですが、少し・・かなり違うのかもしれません。

「世界不安症候群」・・
症状:自分自身になじめない→強い自己嫌悪・強い劣等感/ 漠然とした強い疎外感/ 居場所がない→世界の中に居ない/ 「世界」がガラス越しのものに感じられる→別の「世界」があり、自分はそこに居るのかもしれないという感覚になる(孤立感)・・
この辺までなら「竹内結子さん」の場合でも該当するのでしょうが・・・更に・・
「世界」が存在していること自体に強い違和感がある→自分が存在していること自体に強い違和感がある→「世界」の中に『居心地が悪い』→『居心地』をよくするために「世界」が存在する根拠・理由が知りたい/ 『居心地』をよくするために自分が存在する理由が知りたい・・・自分の「世界」を成立させている「自己と他者」の難問に躓く→人生観・世界観・倫理的とかいうレベルでなく、もっと本質的・根源的/哲学的・数学的・宇宙物理的・量子力学的・脳医学的・・トータル且つラジカルに『知りたい』。。
実は、これが、ソクラテス以前のパルメニデスの「存在の問い」に拘る本当の理由なのです。
でも、この「症状」「問い」って特殊なものでしょうか。本当は、人類に普遍的なものなのではないでしょうか。わたしたちは、未だパルメニデスを、ソクラテス以前の哲学者たちを超えていないのではないでしょうか。

「世界不安症候群」・・
症例1:間違いなくパルメニデス はそうだったのでしょう。
症例2:間違いなくヴィトゲンシュタイン はそうだったのでしょう。
症例3:無意識ですが感覚的な部分で、與謝野晶子は近い位置に居たのでしょう。あるいは、「女性」一般がそうなのかもしれません。「男性」には絶対理解不可能な部分でしょう。「女性」自身、自覚していないのかもしれません。
症例4:写真家「牛腸茂雄」の"Self and Others" の問いから、彼も「世界不安症候群」に近い患者だったのかもしれません。彼の場合、「写真」に手掛かりを求めたのでしょう。巧にとっての「写真」も此処に根拠があります。
症例5:「大塚巧」・・大塚櫻

「人間」にとって、この世に生を受けてから4-5歳迄というのは極めて重要な時期であることは間違いないでしょう。その時期に、大塚巧は、三井三池炭坑の炭住で暮らしていました。あの「革命前夜」と迄言われた「三池労働争議」の真っ只中で。あの「水俣」と同時期に、同じ有明海沿岸の、「水俣」に匹敵する程のコンビナート排水垂れ流し、24時間排煙出しっぱなしで街全体が常に匂う大牟田・荒尾で。

歴史の表舞台だった「三池闘争」の過程で、裏の労働者家族の実生活の場でも、大きな悲劇が繰り広げられていました。「私」という「実存」を根本的に揺らがす或「事件」が5歳迄に連続して発生し、そのお陰で、信じられないでしょうが、1歳頃、もしかすると0歳迄もの記憶が断片的・フラッシュ的ですが巧には強く残ってます。典型的なPTSDですが、当時はそんな概念も用語もなく、精神医療も劣悪でしたから、全くの放置です。両親も、なんらなす術もなく、オロオロと心配するだけでした。巧は、自分ひとりで克服する・耐えるしか仕様がありませんでした。
その点から判断すると、巧の生の「原点」「原風景」は病んでます。

お陰で、親離れはとても早かったです。自分離れも・・・・。

「三池労働争議」の結末は、あの1963年「三池炭坑三川鉱炭塵爆発事故」です。即死458名、一酸化炭素中毒症839名を出した惨事です。皮肉なことに、争議で「第1組合」と大乱闘までして死者までだして「職場死守」「勝利」した筈の、会社・資本・政府がでっち上げた「御用組合」第2組合員が被害者の大多数です。この中には、戦時中強制連行された朝鮮人と被差別下層労働者も含まれてました。

実は、責任があるのです。巧の家族には。
1963年、巧の家族は、東京に住んでました・・・から。

この問い直しを「小説」にしようとしてました。実は、そのプリアンブルが「歌にきけな」です。
しかし、本編を書くことは、死者に、巧の親に鞭打つことを意味するので筆がなかなか進みませんでした。関係者もまだ生存してますし。

「小説」という形式に結局はなるのかもしれませんが、なんらかのやり方で思索を表現していこうかと思います。なぜなら、前述の事柄の本質は、日本のみならず、世界の「近代化」そのものの問い直しでもあり、普遍性があるのですから。ひいては、「人間」そのものへの「問い」でもあるのですから。

ここから、『余りにも曖昧な「現実」・・』(仮題)を再再スタートすることにします。
2020.12.02/ 2023. 6.23 改題

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