中国語代名詞。聞き手を直示しない「你」についての覚え書き。
(この記事は長いです。最後に紹介している論文を読んでいただければ基本的に問題が解決すると思います。対象レベルはHSK5級以上かなと思います。が、レベル関係なく文法大好きマンにはお勧めです。)
先日、HSK6級のリスニング模擬問題をやっていたところ、「ん?」となるものに出会いました。
※HSK速成强化教程 六级 のリスニング問題を全くの初見で解きたい方は、以下見ないほうがいいです。
※個人の勝手な備忘録なので間違いもあると思います。ご指摘歓迎です。
これで会話は終わりです。「是不是有个女同学在注意你。」の意味が読み取れたでしょうか。リスニングが終わった時、私はこう思いました。
「は?終わった?最後【你】で終わった?対象は聞き手のインタビュアーの女性?でも、【女同学在注意】なら、目的語は男性が普通か。いや、そういうやつ?でも【那时候(あの時)】でしょ?うーん、ノリで考えたら監督自身だと思うけど……全編聞き間違えてた?」
代名詞というのは転用現象がよく見られるし、確かに「你」で話し手自身を指し示す用法はあるのかもしれない。でも、理屈が分からん。少なくとも外大で習った記憶はないし、一般的な学習参考教材でしっかり扱っているような気もしない。※1
そこで、「你」の探検に出ることにしました。
※1:『实用现代汉语语法(增订本)』(2001年)とかには載ってるんだな、これが。
「你」について身の回りのネイティブに聞いてみる
ひとまずこの衝撃をネイティブに伝えたいという思いが勝り、ひとまず先に信頼できるネイティブ数名に「これはどうして "你" なのか。 "我" や "自己" ではいけないのか。」を聞いてみました。
その中で、ある優秀なネイティブ友達からもらった例文が大きなヒントとなりました。それがこれ。
なるほど。これなら、(メインとしては話し手自身を指しているように見えるが、)「そういう境遇にあることを意識した・させた仲間一般」に対して「你」を使っているような感じがする!しかも、「你」を使うことで聞き手をその話の中に巻き込んでいる感じがする!※一般論を装った体験談を示す際の「你」だと言えそうです。
そして、この例文は先日ツイッター(現:X)に投げたアンケートと同一のものでございます。結論としては、「どちらでも成り立つ」、そして「相手を引き込みたいなら、你 を使う」ということになります。「一緒になって愚痴を言っている」ことを想定場面として明記したのは、後者を想像しやすくするためです。(実際、一部のネイティブの方からは 「この状況では、你が自然」 とまで回答をいただきました。)いずれにせよ、日本語の感覚では「你」は選べないので、その面白さを共有したく投稿した次第です。何かの思考材料になっていれば幸いです。(アンケート回答ありがとうございました。)
話をもどします。この例の「你」の感覚が何となく理解ができると、「你」に対するぐっと理解が深まります。いろんなネイティブに聞いて、原文のHSK模擬の文章について、自分なりにまとめたのが、以下です。
※さきほどの会社での愚痴の例とは少々ことなり、HSK模擬の方は「你」が「(聞き手を絶対に含むわけが無い)自分に対して使用されている」ことに注意。
ほうほうほう!いいところまで来た気がする!しかも……
巻き込んでいる状況だから、「那时候」であってもいいし、「女同学在注意你」でも問題ないわけですね!
次に、一般に意見を求めるために、Hellotalkに投げ込んでみました。
「你」についてHellotalkで聞いてみる
聞いた内容は、ツイッターの質問と基本的に同じ内容です。加えて、「なぜそうなのか」も聞きました。すると、どうでしょうか。
面白いことに「你はおかしい」とか「普通は 我 」とか「この場合はもっと良い言い方がある」といった意見が飛んできました。
更に面白いのは、私の方で「你 には 自己 のような意味があるんじゃないか?」と聞いたり説明を進めると、「確かにアンタの言う通りや。ここで 你 ?いけるね。」と返ってきたことです。ネイティブであっても「你」にその意味を見出すのは、苦労のいる作業である可能性があるということですね。
なるほど。それで、また別の信頼出来る友達のネイティブにぶつけてみたところ、「咱们を使った別の表現がいいたくなる」「你 もわかるけどさ……」といった回答が得られた。話を聞いてみると、「ここで "你" を使いたくなるかは、地域差とか個人差だと思うなぁ」とのことだった。
(ただ、咱们をよく使う地域の人でも、1人は「你」を使いたいと言って、もうひとりは「你」よりもハッキリした別の表現を使いたくなる、とのことだった。)
それで、これまでを踏まえてネイティブの感覚を中国語で整理すると以下の通り。
「你」について辞書を見てみる
何となく見えてきたところで辞書をひくことにした。早くひけよって話ですよね。まず、kotobankを利用して、中日辞典 第3版 (小学館) の説明を見てみました。すると、どうでしょうか……
ちゃんと、載っていました。
基礎語ほど、ちゃんと調べないとダメだって本当に思わされるし、でもだいたい基礎語って古い活用が残ってたり、色んな意味が入ってて産出できるレベルまでに調べきれなかったり……先に考えつくってから見ないと項目区別に騙されることあるし……(ブツブツ)
一応、もう一個のネット辞書でも調べてみました。weblioを活用して、白水社 中国語辞典 の記述を探します。ありました。
もっと詳しく載っているし、さきほど考察してきた内容と一致する!特に「自分の境遇・経験を相手の身の上に置き換え,相手の支持・同情などを得ようとして」なんてピッタリじゃないか。ということで、自分に自信が出てきました。
そうすると、张(2014) という論文で述べられている以下の例も理解しやすくなります。
この例では、確実に自身の経験について話しているわけで、「你」がインタビュアーを指すわけがありません。王佳芬自身のことを、自分で「你」と言っていることが分かります。今までの議論を読んでくださった方は、ここに「我」で終わらせたくないというネイティブらしい感覚が理解できるのではないでしょうか!
あとは、学術的な議論をさらっと見ておこう。
「你」について論文を見てみる
一番納得のいく記述が多かったものを見つけました。
それが、森 宏子(2010)「虚構的指示における二人称代名詞”你”」流通科学大学論集 人間・社会・自然編, 第23巻 第1号(2010年7月号), 流通科学大学 でした。もう、これ読んでもらえば今回の話はおしまいです。
認知的なメカニズムに関する科学的な言及や先行研究との対照・比較は少なく、紀要論文であることから、科学的な価値は判断できかねるのですが、個人的にこれまでの考察から納得がいったものです。特に、日本語で書かれていて、引用されている例文も非常にわかりやすいという良さもあります。
※関連して、王(2008),张(2014), 儲(2021)も読んでみましたが、今回の内容としてはこちらがぴったりだと思います。
これまでの考察から一致している点を引用。
途中の「というか」がめっちゃ気になるけど、めっちゃ分かる。
その他、とりわけ共感発生の理由の「視点」について述べている箇所が、教育を想定したときにすごく興味深かったです。
まず、「你」には「人一般」を表す機能が確かにあります。それで、単純な聞き手指示の「你」と、話し手指示の( "咱们" の視点による)「你」との過渡期に、「人一般の你」があるという感覚の提示です。私はこれを見て、「人一般」の機能がさきに出てきて、それから「話し手指示の 你 」生まれたと考えられないか、と思いました。歴史的にはどうなんでしょうか。(詳しい方教えてください。)この、聞き手指示から話し手指示に至る過程で説明されると、凄く理解しやすいなと思いました。読者の方はいかがでしょうか。(ちなみに、およそ本記事はこのような順序になっています。)
※あくまで語用論的なふるまいのなかで使用できるものであって、いつでも適当に使えるもんじゃないよ、という点も含めて、詳細は本文ご確認ください。
結論
中国語の「你」には聞き手以外を示す用法がある。
「我」と交代できる環境での使用は、聞き手を引っ張りこむような機能を持つ。
人一般を表す「你」を意識すると、話し手を示す用法が理解しやすくなるかも。
いつでも使えるわけではない。
HSK模擬を侮ることなかれ。学べることは無限にある!
といったところでしょうか。一点目については、王(2008),张(2014)に詳しく書かれていますので、ご興味あれば。
コメントシート的な感想:私の知る限りこの所謂 二人称代名詞(※2) をこのように転用できる用法は日本語にはありません。(開いた語類であって、文法範疇としての確立がされていない点が大きいてしょうか。)「ぼく、どこいくの?(你要去哪里?)」とか(反対に「咱们不要哭了(ぼく、泣かないで)」といった)転用はあるんですけどね。日本語脳では出てこない表現だからこそ、見聞きしたらしっかりとキャッチしたいし、いつかは自分でも使えるようになりたいなぁなんて思いました。それから、日本語脳の私としては当初、自分対して「你」を使うときに、何かキャラクタを立てて(声色を変えたりして)発話している(役割語,キャラクタ:金水[2003],定延[2011])のではないかという考えがあったのですが、必ずしもそういうことではないようです。これも一つ記しておこうと思います。
終わり!
※2:えー、詳しい方すみませんが、この表現でお許しください。
言及した文献について (辞典以外)
儲 叶明 (2021)「中国語母語話者の雑談における人称代名詞の機能:聞き手を指示しない二人称代名詞『你(Ni)』の使用について」『ことば』,42 巻, p. 163-180.
金水 敏 (2003) 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店.
刘 超英・龙 清涛・金舒年・蔡云凌 编著(2013)『HSK速成强化教程 六级』 北京语言大学出版社.
刘 月华・潘 文娱・故 桦 (2001)《实用现代汉语语法・增订本》,商务印书馆.
定延 利之 (2011) 『日本語社会 のぞきキャラくり-顔つき・カラダつき・ことばつき-』三省堂.
森 宏子(2010)「虚構的指示における二人称代名詞”你”」流通科学大学論集 人間・社会・自然編, 第23巻 第1号(2010年7月号), 流通科学大学.
王 红梅 (2008) 第二人称代词“你”的临时指代功能,《汉语学习》第4期.
张 磊 (2014) 口语中“你”的移指用法及其话语功能的浮现 《世界汉语教学》第28卷 2014年 第1期.
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