自粛生活で”どうかして”わかったこと。(仲口)

コロナのこととか、情勢のこと

そういった話題には直接は触れないでいようと思ってたんですけども

それは認識が甘かったみたいです。


ウイルスは怖いです。

当たり前みたいなことを書きますけども怖いです。

ただ今回はそういう話ではなくて、(そもそも論じられすぎてるし、僕ごときではわからないことが多すぎる)僕自身身をもって感じている恐怖の話。

とはいえ月並みではあるので、ブラウザバックしていただいて構いません。


大げさな言い方をたくさんするかもしれませんが、

あくまで今回は僕の視点で感じたことを書いていきます。

どうかお付き合いください。


さて、僕が怖いのは心の話です。


僕自身がこの「どうかしている」状態にあることで、

周りに迷惑をかけた…というか自分自身がその人のストレス因子になってしまった(しまっている)と感じることが出てきたんです。


その人も十分辛い、苦しいはずなのに。


人にも会えず、自由も利かず、常に生きるか死ぬかを突き付けられる禅問答みたいな日常を、世界中の人達が嫌でも強いられている。

まぁこういう風に言うととても大きな話に思えてしまいますが、

こればかりは実際そうだと思う。

しかも、その辛さは、この状況によるものだけとは限らない。

こういった状況になる以前から、

それぞれが何かしらのしんどい課題を抱えていたりしたはずで。

だからすごく月並みなんですけど、

僕だけじゃないんですよね。キツイの。

わかっちゃいるつもりでも、そこに寄り添う余裕もなくしてしまった。

申し訳ないばかり。

(これは今回の論旨とは切り離して自分事としてです。僕個人として周りの方、申し訳ない。)


話の軸がぼやけてきましたね。すみません。

僕の母はかなりあっけらかんとした明るい人なんですが、

今のこういった状況について

「お母さんは、また仕事先にみんながきて常連さんたちが戻ってきて。みんなで『大変やったねー!』って言い合う時、みんなすごいパーっとしてると思うねん。そのときのこととか、旅行いけるようになったときのこと考えてるよ。」と、それこそとてもあっけらかんと明るく話してくれました。

で、思い出したんですが

僕もたったの数日前まで、収束後の世界に周りの人達とした約束を頼りに過ごしていたんです。(お前悲観的だな…と引いてるあなたは正解です。)

僕自身、考えすぎによる対処と杞憂を繰り返してきた類だと思っています。

「落ち着いたら会おう。」「落ち着いたらどこどこに行こう」

「落ち着いたらまた〇〇やりましょう。」

これの大切さを再確認しているんです。

だからこそ、こんな悲観論者から言われるまでもないとは思います

自分のためにここで書いて残しておきたい。


今は夜です。

夜はうちにいましょう。

夜は外は危ないから

今は夜です。

夜明けを迎えたらやりたいこと、考えましょう。

誰かとした約束を。約束したその人を、できるだけ、できるだけでいいです

大事にしよう。

今は夜です。

夜中に大切な決断をするのは危ないから。

朝になってからまだ気になるなら、ゆっくり考えませんか。

今このみんながみんなどうかしている状態で、失ってしまったら。

生活や日常が戻ってきたときに、

ぽっかりと欠けた何かだけは失ったままになってしまうかもしれない。

僕は今、それが怖いです。


強さはそれぞれで、ペースもそれぞれで。

それでもいいから、今だけはできるだけ


つながっていきたいです。

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