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【答えのない時代……?】

電車の広告で、こんな言葉を見つけました

『答えのない時代だからこそ…』

答えの“ない”というところに引っかかったので、この言葉を考えてみます



『答えがあった時代』とは

おそらく先の広告は
「昔はこんな正解があった」
…を、前提にしているのだと思うのです。

・曰く「昔は結婚出産が正解だったが、いまは独身でも良いし、シングル親も多い」

とか

・曰く「昔は正社員として一つの会社で働き抜くのが正しい姿だったが、今はフリーランスもあれば自営するのもなんでもあり」

などでしょうか。

昔は、ほとんどの人がこう生きる…みたいな『正解』があった…という前提で、その広告はできているように感じます。

ところが、その前提にやや「ズレ」を感じまして…


いつの時代だって答えはない?

現代でも過去でも未来でも、人の生きる道に『答え』は無いはずなのです。

人を殺すとか、騙すとか、社会生活を乱すことなり犯罪なりは、同じ種族が安全に生きていくにあたってやってはいけない『不正解』でしょうが、不正解はあっても『正解』はないのではないかと考えるのです。

では、なぜ『正解』があったように見えるのか

答えは、人が『枠』を作って過ごしてきたからでしょうか。
上の例のように「これが正解」という概念を人が“勝手に”枠として作っていたように見えます。

本来、犯罪でもない限り、どのように生きたって良いのですよね。


これからはこういう時代

冒頭の広告をちょっと修正。
これからの時代を形容すると、こうなると思うのです。

『答えがないことを理解していく』時代

答えのあった時代からない時代に移ってしまった喪失感を覚えるよりは、そもそもないものを探していた自分たちを悟る方が建設的だと思いませんか。w

そもそも答えがないと理解する方が、いっそ吹っ切れる気もします。

「多様性」理解の潮流が激化している昨今、正解が無くて惑うことも増えたはず。
そして、答えが無くてさらに混乱したはず。
ところが、そもそもが答えなんて「ない」のですから、過去の幻影を手放して、現実受け止めのフェーズに入っても良いのかな…なんて考えるのでした。



ぱれぱれ