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猫背で小声 season2 | 第16話 | 星となるひと

誰かを好きになると、なにかが起きる。
いや、「起こる」のが、ぼくだ。

ぼくは以前あるひとのことが好きになった。
「あるひと」もぼくと同じ “界隈” のひと。

でもそのひとはめちゃくちゃ頭がよくて、かなりいい意味で頭の切れる「頭切れ子さん」だった。

その切れ子さんとの関係はずいぶんと前に終わったのだけれど、でも切れ子さんはぼくにとって常に「いいこと」をもたらしてくれるひとで、切れ子さんの存在を知人に話したら、桑田佳祐が歌う『LADY LUCK』のような ひとだと言われた。

男に幸運をもたらす、そんな想いを抱かせる、そんな女性。それは幸運の女神。

そのような歌である。

切れ子さんはある日、こんなメールをぼくにくれた。

「東京都が育休の愛称を募集していますよ」

名コピーライターの近藤さんへ共有しますと一言メッセージ。

その日は、なにもない日だった。

そんな時にふとしたメール。

切れ子さんからのメールを読んでぼくは、

「共有します。いつかあなたと、このことを共有したいです」

と心の中で誓った。

あの時ぼく自身の中で、確かに温度はあったし、温度を感じていた。メールがきっかけとなって、なにもない日から、なにげない日へ。

その後、結果的にぼくは「育休」の新名称である「育業」の名付け親になった。

切れ子さんのおかげなのである。想い出深い。

そんな切れ子さんのことが大好き過ぎて仕方ない時に、ある本を読んだ。

この本はパークギャラリーの加藤さんから薦められた本で、向坂くじらさんという詩人の「とても小さな理解のための」という詩集だった。

知ってる人もいるかもしれないけれど、実はぼくは本が読めない。読めないというと語弊があるかもしれないけれど、本を読んでもあまり本の内容が頭の中に入ってこない。同じ行を何度も読んでしまうし、それで読むことに時間がかかって、本を読むこと自体がストレスになってしまう感じ。

そんな事情を加藤さんは知っており「本の読めないぼく」でも読みやすく、頭の中に内容が入るということで薦めてくれたのが向坂さんの詩集だったのだ。

実はぼくが好きだった切れ子さんも、以前ぼくに本を薦めてくれたひとりだった。

それも詩集だった。

若松英輔さんという作家の「美しいとき」という詩集だったが、これも読みやすかった。

多分ぼくに読みやすい本というのは「詩集」という指標ができあがったのが、切れ子さんと加藤さん、きっとふたりからの贈り物だったんだろう。

加藤さんから向坂さんの本を薦められたのは加藤さんと富士山麓でキャンプをしたときで、それが詩集だったということもあり「こんな機会はない」ということで、東京に戻るなり急いでネットでポチった。

本が届いた。

黄色い本だ。

どんな詩集だろう。

ワクワクしていた。

中身を読む。

難しい言葉が並んでいる。

詩集ということもあって余白も多く、文字の羅列はないが、正直ストレスが溜まった。

でも、こんなぼくでも感じることがあった。

なぜ向坂さんはこんな言葉づかいを、なぜこんな場面で扱えるのだろう。

これが詩人を職業にしている人の力かと。将来ひっそり「詩人になりたい」と秘めに秘めているぼくとの実力差に正直落胆したのが、その黄色い本との「付き合いはじめ」だった。

そしてその黄色い本を持ち歩き、いつも会社や社会のストレスを忘れるために通っているカフェで時間を見つけて読むことにした。カフェにいる時間はノーストレスで、無双だ。この「猫背で小声」もほぼこのカフェで書いている。それくらいカフェでの作業が生きがいだ。

この「黄色い本」を読みはじめたのが去年の12月あたり。季節も変わり、徐々に寒くなると、このひとの詩のことが日増しに好きになっていた。自分でもどうしようもないくらい。「どうしようもない」のは自分でもわかっていた。正直内容は少ししか理解できない。ある程度の内容はわかるんだけど、作者の想いを理解するのには時間がかかる。

これも「ぼく」なんだ、と、恋心のような今の気持ちと、統合失調症からくる脳の認識力の低さを少し恨んだ。それでもこの本を理解しようと努力もした。

たしか年末のある日。

仕事納めも終わり、以前連載でも書いた、会社から依頼されたリラクゼーション関係のキャッチフレーズを考えていたとき「ふと」リュックの中にある、あの黄色い本が気になった。躊躇なくリュックに手をつっこむと、当たり前だけどその黄色い本はそこに存在している。

またわかんねえかもな⋯と、諦めにも似た感情でパラパラと読んでみると、やはりまだ、あまり理解できない。「向坂さん、文章うまいなあ」と、変わらずの感想。そしてテーブルのアイスティーを口に含むと、ある考えが浮かんだ。

「この本を利き手じゃない左手で捲ってみて、止めたページを見てみよう」と。

ぼくは文字を書く時は左手なのだが、箸や歯ブラシは右利き、さらに野球のバッターとサッカーのキックは左右両方でできる。そんなゴチャ混ぜなぼくが、あえて利き手じゃない左手でその黄色い本のページを捲った。

ギコチナイ左手で捲ったページには、

愛する人を、家で待つ女性の気持ちを綴った詩が書かれていた。男女の違いはあるけれど、その詩を読んで涙が出てきた。

文章の意味などわからなかったぼくが、やっと理解できた詩との出逢いだったのだ。

この詩に出会う前、ぼくは好きだった切れ子さんのことを思い続け、気持ちが壊れそうなくらいで、こんなに苦しいのなら、この恋はもう終わってもいい、と思うくらいだった。その数秒後にこんな文章との出逢い。

なんだこの世界線。

冒頭にも書いたけれど、切れ子さんとは関係はすでに終わってしまっている。でも、この本と出逢えたことで、時空が変わったのかもしれない。いや、嘘。時空じゃなくて、名前のない「なにか」が変わったのだ。

切れ子さんとの別れと、向坂さんの詩との出逢いに、心がふらふらになる中、ふと、向坂さんのツイッターを見てみようという気持ちになった。そこには向坂さんが詩会を開催するとのツイート。こんな病みかけの時に、こんな報せがあるなんて。もともと引っ込み思案で、行くかどうか迷うぼくがいたけれど、以前、切れ子さんがぼくに言ってくれたことを思い出した。

「言うのはタダだからね」

この詩会に参加したいと思った気持ちを、迷わず向坂さんに伝えようと参加申し込みフォームに「長い」メッセージを添えて応募した。引っ込み思案だったぼくが今、こうして活動的に暮らしていて、言いたいことを言える状態になったのは、切れ子さんのこの「ことば」のおかげだと思う。

やりたいことは、やる。

逢いたい人が、逢ってくれるなら、逢いたい人には、逢いに行く。

そんな今がある。

10年前、ぼくが社会復帰した時に通っていた施設は、サラリーマンや OL がメンタルの病気を改善するために利用していて、中には日本最大級の本屋の店舗責任者の「くうさん」という人がいて、くうさんが本を読むことや、文章を書くことを親身になって教えてくれたのだが、その時掛けてくれた言葉がある。

「まなぶちゃんね、本が読めないのに文章が書けるなんて、異常だよ!!」

くうさんは忌野清志郎が大好きで、忌野清志郎の生まれ変わりのような人だったので、ずいぶんロックなこと言うな、この人、と思っていたが、

「ことば」という縁が、人よりちょっと遅すぎたけど、遠く遠く、幸運にも「しあわせ」という形で結びついているのがぼくなのかと。

不思議で、不器用だけど、自分でたぐり寄せたであろう、ことばの巡り合わせの中に、ぼくはいる。

LADY LUCK

素敵な女性。

素敵なひとたちに囲まれて。

おしまい。

文 : 近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00

絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。 奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one


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