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猫背で小声 season2 | 第4話 | すきをともに

あなたの趣味は?と聞かれたらなんと答えますか。

強いて挙げるなら、ぼくの趣味は文章を書くことである。しかもカフェで昭和歌謡を聴きながらという条件付き。

これはそんな昭和と令和を行き来する男の「趣味」の話。

2019年の秋頃、なんとか仕事についたぼくだったが、会社の人間関係で悩みに悩み、ついに辞めようかと考えていた。この決心は固く、どうやったら会社とトラブルを起こさずに、静かに辞められるかを考えていた。そんなある日、facebook のメッセージでスマホがぶるると震えた。

「もしよければサウナ行かない?」

苦しいことがあるといつもメッセージをくれる友人からの、短いメッセージだった。

しかしぼくにとってのサウナのイメージはあまり良くなかった。熱いし、苦しいし、そもそも裸を見せ合うのがあまり好きじゃないのである。それ以外にも、ぼくは肌が弱く、汗をかくと背中やお尻が酷く痒くなり、パニックになってしまうような症状を持っているというのも決定的な理由だった。

理不尽な神様のいたずらだ。逃れられない。

そう思ったぼくはサウナの誘いを断ろうとしたのだが、今のぼくの「ツラい状況」を聞いてくれるというので、サウナのイメージより、その人と一緒に居られるならという理由で誘いを受け入れた。

「どこのサウナ行くんですか?」と返信した。

「静岡のしきじだよ」との答え。

その友人はサウナが好きで、休みができるとサウナに通うサウナーなのだ。

静岡か、遠いな、ダルいな、とも思ったけど、その「しきじ」はサウナおじさん曰く全国のサウナを代表する名店で別名「サウナの聖地」らしい。

さて行くべ。

乗り気じゃないけど乗り気で。

案の定、体調が悪い中、東京駅から静岡駅に向かい、駅から30分くらい歩いた。その道中も、

「仕事がツラいんです」と伝えては、
「俺もツラいんだよ」と返事。

多くは語らないが、多くを感じ取った。男同士の旅ってこんな感じなんだなと、妙な連帯感を感じた「しきじ」への道すがら。

しきじへ着くと、東京での重たい気持ちはどこに、というくらいワクワクしていた。

しきじは2階建て。思っていたより、こじんまりとした建物である。受付で住所を書いた。なんかきな臭い、あまり経験のしたことがない空気の場所だなというのが正直な感想。

2階へ上がるとソファーが30台くらい並んでいる。

このソファーで寝て、住所も知らない人たちと泊まるのである。

これもサウナなのだろうか。

見慣れぬ環境にすぐに適応できない自分の育ちを軽く恨む。

さあ浴室へ。

湯気がモクモクと湧いている。

サウナに入る前は必ず身体を洗ってから入るらしい。

サウナおじさんからの教えを乞う。

これからサウナに入るという時にも、身体は痒くならないだろうかという恐怖と戦っていた。

いざサウナ。

熱い。

背中はどうだ。

痒くない。

これがサウナとの出逢いだった。

身体がぢんぢんと熱くなり、水風呂へと足を運ぶ。

水風呂が最高だった。

この水風呂、富士山の天然水を利用していて飲める水らしい。

このまま死ぬまで水風呂から出たくない。

そんな気持ちになった。

重たくなった足取りで水風呂を出る。

次は浴室内のソファーで寝る。

脳が揺れ、目玉がグルグルと転がり出す。

今まで味わったことのない感覚。

ヤバイ。

これが「ととのう」という状態らしい。

こんなすごい場所があったのだ。

知らずに生きてきたのだ。

引きこもっている場合ではない。

これがサウナへの想い。

ある日パークに行くと、スタッフのあかねさんが、テレビ東京で放送していた「サ道」という、サウナを舞台にしたドラマの主人公の原田泰造を見て「近藤さんみたい」と思ってくれたらしい。

人の心に自分が浮かぶのもなんだかうれしい。

あかねさんからもサウナおじさんと呼ばれた。

ぼくの中でサウナは子どもにとっての遊園地みたいだ。

サウナで悶々と熱々になり、水風呂でキャッキャキャッキャと水に浸かり、ソファーでまったりと日々を顧みる。

大人になってもはしゃげる場所。

それがサウナ。

初めてのサウナが聖地「しきじ」だったのでぼくの中では今回の経験を「初出場初優勝」と呼んでいる。

サウナとの出逢いは、気持ちの切り替えが苦手なぼくに、ひとつの選択肢を与えてくれた。

仕事先の人間関係のせいで人生の秒針が狂いそうになったけれど、この日、サウナおじさんと一緒に過ごせたことがいちばんの幸せで、おかげで、狂いかけた時計の針も、少しだけ正常に動き出した。

あの人と、あの場所へ。
あの場所で、あの人と。

思い通りにいく人生ではないけれど、誰だって生きていれば思いもしない「いいこと」が降ってくるのだ。

「悪いことにも意味がある」

と解釈して、これまで通り不器用でダサくても、まっすぐ生きていこうと思った。

なにも変わらない。
なにも変えないで。


次回もお楽しみに

文 : 近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00

絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。
奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one/

近藤さんってどんな人?


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