猫背で小声 | 第22話 | 続 ・ ひき こもりの おじちゃま
ぼくは何十年もの間、引きこもっていました。
部屋の中にいても希望はなく、このまま死んでいくんだろうな、と諦めの気持ちが身体と脳みそに侵食していくこともありました。
でもそんなぼくを変えてくれたこと。
当時、半径3メーターの景色しか見えない悲しいぼくでしたが、半径1メーター内で「ぼくを変えてくれたこと」を紹介します。
( 前回のつづきです )
最後にパークギャラリー。
学校に行けないころ、ぼくの母親は、ことあるごとに
「まなぶは絵が上手いんだから描いてみなよ」と言っていました。
不登校で自信の無くなっていたぼくはその言葉を「きっと本心で言っていないや」と受け入れませんでした。
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約30年後。
知人の話で、江戸川区の『平井』というところにギャラリーがオープンすると聞きました。
なじみのない総武線の平井駅という場所。
そのギャラリーがパークギャラリーでした。
母の言葉に疑いを持ちながらも絵を描いてみようと思いました。
なんでもいいから一歩を踏み出すために。
ギャラリーがどういう場所なんだろう?という興味一心で絵を描きました。
自分でも作業に集中できる時間が好きだし、没頭できている自分が好きでした。
オープンした直後、パークギャラリーに向かいました。
描いた絵を持って。
店内に入ると店主がいました。
おとなしそうな店主です。
寒い季節でした。
店内の石油ストーブに石油を入れました。
これがパークギャラリーでの初仕事でした。
何回か店に通い、初めて絵を見せました。
店主に褒められました。
お世辞でも嬉しい。
不登校以前の素直な自分がいました。
褒められて自信を持てたぼくはギャラリーに何度も通いました。
しばらくしてギャラリーでのグループ展に参加できることになりました。
あの引きこもりがギャラリーで絵を飾ってもらうのです。
母親の言葉を受け入れなかったぼくが。
どんなに辛い状況でも、人の言葉に耳を傾けられない時でも、拾うべき言葉はあります。
すべての言葉を受け入れる必要はありませんが、一番近くで見ていてくれる人からの言葉であれば、その言葉を活かしてみようと思ったできごとでした。
総武線の中でも降りたことが少ない平井駅でしたが、その場所に集まってくる人たちがいい意味でおもしろく、みんなすごい経歴の人たちばかりだったので、最初は臆することもありましたが、次第に閉じこもっていた頃の自分を思い切り発散できるような大切な場所になりました。
現在『パークギャラリーに居るひと』で連載中の たむらはやと とはギャラリーで知り合いました。年下なのにことあるごとに引っ張ってくれる彼が、たくましく「これからも仲良くしてね」と、ぼくなんかが言えるはずもない言葉を言ってくれて、それを胸に抱えながら過ごしています。大切な友達です。
ここで知り合ったみんなの活躍がうれしく、時には焦りも覚えますが、今後もゆかいで奇怪な仲間たちといろんなことを発信していきたいです。
大事な場所と大切な言葉がある環境に感謝して。
さて、前回から紹介した、「姪っ子」「バス旅」「パーク」、この3つのすべてをひっくるめて「なにかをする」「なにかをしている」という姿を、姪っ子に見せたいと思いました。
生きてくことは苦しく、楽しいことばかりではないと身をもって体験してきたので、姪っ子に、少しでもいいから「楽しそうにしている叔父さん」というものを近くで感じてほしかったのです。
将来への<悲観>よりも<希望>をもって暮らしてほしい。
それが姪っ子に対するぼくの気持ちです。
上のお嬢が二十歳になり成人式を迎えたらサプライズでお姫様抱っこをすることを秘密裏に計画しています。
これくらい姪っ子が大好き。
どうもワタスが変な叔父さんです。
これからも変な叔父さんで。
近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
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