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窓際から今日も #07 | 2023年3月11日 | 阿部朋未

明け方前。微かな、けれど確かな揺れでうっすら目覚める。いつもの癖でスマホの画面を見てみると地震速報の通知が入っていた。東京で地震を感じたのはいつ振りだろうか。しかもよりによって今日という日に。寝ぼけたままで上手く動かない頭の中にどんよりとした気持ちが流れ込んでいくのがわかる。その流れで Twitter を開いてみると PARK GALLERY の加藤さんが今まさに私が思っていたことをそのまま呟いていた。代弁してくれた嬉しさよりも、普段独りを感じてしまう時間帯に知っている誰かが画面越しにいることになんだか安堵した。思えばここ数年は3月11日が近づくと大きな地震が起こっていた。今年もまた起きてしまうのかな、とまた不安になってしまって、どうか起きないでくださいと切に祈りながら再び眠りについた。

昨晩設定したスマホのアラームで起こされる。さっきの地震のせいでどうもあんまり眠れた心地がしない。母親から「東京でもちゃんと黙祷してね」と LINE が入っていて、当たり前ですよと心の中で独り言ちながら差し障りのないスタンプを送った。

さてと、今日の格好は何にしようか。この前まで居た東北とは全く違う東京の気候に頭を悩ませている。その上、今日は華美な格好は避けたい。色々と考えあぐねた結果、新宿の ZARA で買ったジャケットに先週行ったライブイベントの Tシャツを合わせた。無地の生地にイベントの出演アーティストのバンドロゴとネコのキャラクターの刺繍が左胸にピンポイントで入っていて、その中には私が愛するバンドの名前もある。この日はささやかな夢が叶ったような特別な夜で、その夜のことも含めて今日を無事に生き抜く為のお守り代わりとして袖を通した。

Twitter を見ながらメイクしていると、一昨日観に来てくださった恩師がフォロワーからの「東京でオススメのスポット」の質問に対して私の個展を挙げてくれていた。思わず「まじで」の一言が口から飛び出て、誤投稿ではないかと何度も画面を更新する。幾度もスクロールしては表示される同じツイート。添付されていた写真には大好きなその人の撮影による、嬉しそうに笑う私が写っていた。改めて見ると我ながら良い表情でちょっと笑う。

もはや東京生活においてデフォルトの朝食となったうどんを食べた後、秋葉原の人混みを縫うように歩いてギャラリーへ出勤。すでに在廊しオープン準備をするスタッフのあかねさんと普段と何ら変わらない会話を交わしながら私も少しずつ準備をする。会期中、ギャラリー内で流れている音楽は私が作ったプレイリストによるもので、2011年から現在に至るまで、その当時の私自身がリアルタイムで聴いていた楽曲を並べている。そのプレイリストを再生したのと同時に、男性2人がオープンしたギャラリーに入ってきた。じっと作品群を鑑賞している中、ふと一人が私に「今流れているこの曲って何ですか?」と尋ねた。「BUMP OF CHICKENの『メロディーフラッグ』という曲です。2002年の曲で、バンプがブレイクしたきっかけの『天体観測』と同じアルバムに入っているんですよ」その曲は震災発生から4日目の夜、いつも聴いていたラジオ番組のオープニングで流れた曲だった。リリースはそれよりも以前だが、このプレイリストでは1曲目に選んだ。正真正銘、震災があってから初めて聴いた曲である。その旨を説明すると、続けてその人は私に尋ねた。

「その曲を聴いた時、どう思いました?」

「…… 助けが来た、と思いました。いや、病院という安全な場所で被災して家族もみんな無事だったし身体は大丈夫だったんですけど。でも、心は全然大丈夫じゃなくて。一刻でも早く誰か助けてほしいとずっと思っていました。だから、ラジオからパーソナリティー達によるいつもの声が聴こえてこの曲が流れた時、"ようやく助けが来てくれた"って思ったんですよ。しかも第一声が"待たせたな"って」

なるべく暗くならないように努めて穏やかな口調で説明すると、その人はひとつ大きな深呼吸をした後、染み入るように言葉を紡いでくれた。

「なんか、作品を見ていたらこの曲が耳にすっと流れ込んできて、なんだか胸がいっぱいになっちゃって」

そう話す相手の両目は潤んでいた。受け取った言葉の感触を確かめながら、私は静かに相槌を打つことしかできなかった。

腕時計を見る度に確実に近づいてくる時刻。やってくる人はまばらで、心許なくギャラリーの中をふわふわと歩いたり外に出て景色を眺めていたりしていた。この連載にも書いたけれど、12年前のあの日から3月11日という日をどう過ごせばいいかわからずにいる。心の持ちようだけでなく、この日が近づくにつれてメンタルの調子がどんどん崩れていくのだ。幸か不幸か、今年は個展のお陰で少しは気を紛らわせられているのかもしれない。この前個展に来てくださった、京都で出会ったお姉さんが「私の周りにも被災した子がいるんだけど、やっぱり3月11日付近は不安定になってしまう」と教えてくださった。私だけでなく他の人にもやはり内在する不安で、それらは今もなお根深く存在しているらしい。その間にもお客さんはやってきて笑顔で対応してみるものの、内側では目に見えない色のマーブルがうねるように渦を巻いていた。今すぐにでも逃げ出したかった。どこに逃げ出せば良いのかもわからないまま。

迷走していた意識が現実世界へひっぱり戻されるように、スマホのアラームが鳴った。画面の時刻は午後2時45分を指している。あ、と思った刹那、衝動に駆られて足早に外へ飛び出した。どこでもいい、どこかへ行きたかった。とはいえ遠くにも行ける訳でもなく、気づけば隣接する公園の中心に立っていた。もう一度時計を見ると時刻は午後2時46分丁度。ゆっくりと目を閉じて、天を仰いだ。何も見えないけれど瞼越しに伝わる太陽の眩しさと、子供達が遊び回る楽しげな声。灰色の空から音もなく牡丹雪が落ちてきていた12年前が嘘のようで、それでもそれからの日々を生きてきた私が確かにここに立っている。目を閉じても過去を思い出すこともない、今いる世界の音と匂いと暖かさだけがそこにある。しばらくしてゆっくりと目を開けてみると、視界いっぱいに雲一つない青空が広がっていた。永遠にさえ感じられたあの長い長いサイレンは、もう聞こえなかった。

あっという間に夕方も過ぎ、気づけばクローズの時間近くになっていた。学生時代から仲の良い、先述のラジオ番組のリスナー友達が滑り込みでやって来てくれて、作品を鑑賞した後そのまま一緒にご飯を食べに行った。いつも中央線沿線を中心に遊んでいるものの、今回は秋葉原ということで駅近くにある中華屋さんへ。噂に違わず美味しさで、次々に運ばれてくる麻婆豆腐や油淋鶏を口にしては「めっちゃ美味しい」のオンパレード。お互いの都合が合う日はたまたまこの日しかなかったが、今日このタイミングに会うことを友達は案じてくれていた。私にとってはむしろありがたいタイミングで、誰かと話さなければどうにかなっていたかもしれないとも思う。なにより、こうやってお互いの近況や好きなものを話しながら笑い合えることがとても幸せだった。しんどさは変わらないけれど、毎年に比べればこんなに笑っていられている3月11日も奇跡的だ。奇跡的だとはいえ、目の前の友達や個展に来てくれた人含め、いつも見守っていてくれている人達のおかげでここまで生きてこれたのは紛れもない事実で、感謝してもしきれない。恩返しの人生になるだろうなぁ、とその嬉しさを噛み締めながら帰路に着いた。

震災って何だったんだろうか。何年経ってもわからなくて、きっと死ぬまでわからないのかもしれない。これだけ沢山の人の人生をめちゃくちゃにして、今でも影響が続いていて、誰に責任を問うことも押し付けることもできない。波に攫われた後輩も、塾の先生も、隣のおばさん夫婦もみな仏様になって帰ってきた。家も何もかも流されて、生活どころか明日の命すらわからなかった当時を経て、生きている今日までの日々。宿までの帰り道、気づいたら涙が止まらなくなっていた。泣いていて、スマホのカメラロールに並んだ今回の東京滞在での楽しい写真を見返しては、笑っている。どんな心情か、と自分で突っ込みたくなるけど本当のことなのだから仕方ない。「12年、なんとかここまで生きたよね」と自らを労わったらまた涙が止めどなく溢れた。生きたよね、本当に。

阿部朋未


阿部朋未(アベトモミ)
1994年宮城県石巻市生まれ。尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。
https://www.instagram.com/tm_amks
https://twitter.com/abtm08

先日開催されていた、阿部朋未・個展『ゆるやかな走馬灯』の図録は
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