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issue 30 「欲望のままに語りたい、あまりに饒舌なマークレー展所感」 by ivy

語りたくなる展示か、そうでないか。

これは作品の性質にもよるし、何よりも見る側の興味や日常体験に大きく左右される。念のために断っておくと、美術鑑賞の専門教育を受けていない人(例えば私)についての話だ。

東京現代美術館(以下 MOT)で開催中のクリスチャン・マークレー展、『トランスレーティング〜翻訳する〜』について、私は語りたくなった。2月23日までの会期だから、もし興味を持った方はぜひ、足を運んで欲しい。マンボウ明けにでも、くっちゃべりながら酒を呑もう。

クリスチャン・マークレーは、70年代末から NY を拠点に活動する「現代アーティスト」。ここでカギカッコをつけたのは、彼の肩書を誰にでもわかるように示すのはほぼ不可能だから。

元々は、レコードとターンテーブルを使ったサンプリングで活動を開始したが、所謂 “DJ”とは一線を画す表現だ。彼はレコードを私たちが考える『音楽』としては、必ずしも扱わない。レコードをバキバキに割ったやつを他のレコードと繋ぎ合わせてターンテーブルに載せたり、レコード自体をモノとして使って音を鳴らしたり …。特定の楽曲が原型を留めないくらい、解体し、再構築する。

それはまるで、工場に集められた廃材が溶解炉にぶち込まれ、鉄屑になって出てくるかのようだ。

そんな彼のサンプリングは、もはや音楽だけに留まらない。映画であり、道端の広告であり、エサ箱で見つけた中古レコードであり、通行人であり…。コラージュ、映像、印刷物、様々なジャンルを往復しながら、夜の有象無象をサンプリングする。

これは私たちが常日頃、見過ごしている無数の事象を拾い集め、脳内の疼きに従って現世に引っ張り出した、『翻訳』なのだ。

さて、私たちは案外、この『翻訳』を普段怠ってしまう。いつも通る道で好きな場所があるけれど、特に誰にでも伝わる魅力はない、とか。全然好きじゃないCMソングだけど、イントロの音色が1音だけ好きとか。そういう一瞬だけ感覚が動く瞬間を、私たちは素通りしているんじゃないか、と。

マークレーのパフォーマンスは、所謂聴きやすい音楽とはいえないし、作品のスタンスも一見歪で、とっつきずらく見える。ところが、彼の展示は溢れんばかりの大盛況!

これは、彼の『翻訳』が私たちにとって心の奥底で共感できるものだからなのかな、と。

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幼い頃、渡された手紙をすぐ折り紙にしたり破ったりして遊ぶやつがいた。紙に何が書いてあるかはどうでもよく、その紙が持つ色や形、質感が、頭の中に浮かばせた何かを、そいつは『翻訳』して私たちに見せていたんだと思う。

そんなことをする人は、この文章を読んでいる人にはいないだろうけど、私は “翻訳したい” ものを山のように抱えていると、久方ぶりに思い起こされた。

さあ、あなたは何を『翻訳』したい?
ぜひ清澄白河へ向かおう。
帰ってきたら、語ろう。


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ivy(アイビー)
会社員で物書き、サブカルクソメガネ。
自己満 ZINE 製作や某 WEB メディアでのライターとしても活動。
創り手と語り手、受け手の壁をなくし、ご近所付き合いのように交流するイベント「NEIGHBORS」主催。
日々出会ったヒト・モノ・コトが持つ意味やその物語を勝手に紐解いて、タラタラと書いています。日常の中の非日常、私にとっての非常識が常識の世界、そんな出会いが溢れる毎日に、乾杯ッ!
https://www.instagram.com/ivy.bayside

イラスト:あんずひつじ


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