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広島へ

1日目

早起きは出来ず、7時くらいにふらっと家を出る。
寝ぼけ眼の母はマスクを渡して、ふわっと手を振って見送ってくれた。

通勤ラッシュよりほんの少しだけ早い電車は、その分だけ呼吸が楽にできるほどの余裕があった。
席に座れた幸運なサラリーマンの小さないびきが聞こえる。
動物にぶつかったらしく遅れている電車。本当にここは東京なのかと笑い合う声が響く。



東京駅に着く。工事中の構内を彷徨いつつ、東海道新幹線の乗り場前へ。
事前にスマホから登録しておいたICパスをタッチすれば、あっさりとホームへの侵入が許されてしまった。
近頃は本当に便利になったものだ、ひとりで新幹線に乗るのは初めてではあるのだが。

どこの席が良いのか、セオリーもマナーも分からず、でもキョロキョロするのもなんだか癪に触るので適当な窓際の席にそっと腰を下ろす。
少ない荷物は足元に、コートは膝掛けに。
前には慣れていそうなお姉さんが2席分を荷物で陣取っているが、その勇気はない。
そういえば朝ご飯をホームで買おうとしていたのに忘れてしまった。
自由席まで車内販売は来るのだろうか。でも別に、対してお腹は空いていない。
「平日だし、自由席でも東京始発ならまあ座れますよ」と夕飯を引き換えに情報をくれたバイトの子に感謝しつつ、隣にはどんな人がくるのかなぁと思う。
ピアスを忘れたことに気がついた。観光地に土地柄のものが売っていたら買おう。

品川でサラリーマンと思しきお兄さんが隣に乗ってきた。
ずっと動画を見ている。彼はどこへ行くのだろう。なにをするのだろう。顔は見ない。
ずっと脚を開いていることを生涯忘れない気がするし、旅先であっさり忘れてしまうのかもしれない。

目を閉じて、次に開けたらそこは名古屋だった。
隣のお兄さんはごそごそと準備し、やがて足早に降りて行った。
名古屋で一気に車内が賑やかになる。
次はどんな人がくるのかとドキドキしていたが、ここで誰かが隣に座ることはなかった。

寝ている間に車内販売が通り過ぎてしまったらしかった。
少しお高めのサンドイッチとスゴイカタイというアイスはお預けになった。
前の席を陣取っていたお姉さんの隣には同行者が増えていた。
感染症予防にとしていたマスクは息苦しくて外した。
車内販売、もう一周してきてくれないだろうか。

隣の席はまだがらんどうだ。
車内販売のお姉さんが回ってきたので、サンドイッチを買おうとしたが売り切れていた。
仕方がないので期間限定のお弁当を買う。少しお高めなのでカタイアイスはやめておいた。
お弁当は何が期間限定なのかよく分からない味がした。コンビニの弁当よりは美味しい、それくらい。
それでも特急に乗るたびにお弁当を購入してしまうのは、旅に浮かれている証拠か、幼い頃からメディアと広告代理店によって刻まれた無意識下の行動だろうか。

京都、新大阪と人の乗り降りが激しく行われた。隣に人はこない。
新神戸を通り過ぎる。
偶然にも今日はかの大震災の日だった。
こんな日にこの街を、窓越しとはいえ見下ろすことになるとは思わなかった。
まだ生まれてもいなかった何十年も前の今日に思いを馳せていると「こんな日にそっちに行くのもなにか意味があるのでしょう」と母からLINEが入り、何故か無性に泣きたくなってしまった。

うたた寝の最中、耳慣れた曲のワンフレーズと、目的地を告げるアナウンスが流れる。
慌ててコートを着ながら、東京から、リュックひとつでこんな遠いところまで来てしまったとニヤニヤした。



ホームで駅看板の写真を撮り、上司にLINEで送った。程なく、「おおお!!!ついに!!!」と何をもってついにと感じたのか分からない一文が返ってきた。
何をするか全く決めてない、と送ると「そういう旅めっちゃいいと思う」と、美味しいご飯やオススメの観光地を教えてくれるボスは優しい人だ。
オススメされるものは彼と彼の彼女との思い出であろうことは明白で、これらが惚気であることをわたしはよく知っている。
ボスがオススメしてくれたしまなみ海道ドライブもいつかやってみたいものだ。

Twitterにも駅看板の写真を載せ、フォロワーからのいいねがついたのを見届けて、まずは出口で街を見渡す。
後で歩くだろう街並みを少しだけ眺め、引き返してJRの改札へ向かった。
本当は広電の路面電車に乗りたかったが、少し時間が足りない気がした。また明日乗れたらいいだろう。

こんなに遠くまで来てもSuicaが使えることに感動する。
山陽本線の岩国行きに乗り込む。
ボックス席タイプに慣れなさすぎて挙動不振になる。ドアが広い。
3両編成、1両目にトイレがあるとアナウンスがあった。まるで埼京線みたいなので行ってみたくなったが、いく理由が見当たらなかったのでドア脇にそのまま立っていた。
目の前では女子高生がスマホを弄っている。
知らない街の高校生を見るのはなんだか少しくすぐったい。
彼女は何年生だろう。大きい鞄は部活用だとしたら高1か2だろうか。もしも高3なら、明日のセンター試験の準備は大丈夫だろうか。
彼女はこれからもずっとこの街で暮らしていくのだろうか。

目の前のカップルが、宮島口駅に着いた瞬間に改札へ飛び出していった。
宮島口駅すぐのところに美味しい穴子弁当の店があるのだとネットで知っていたが、店の目の前で逡巡してしまい結局何も買わなかった。
ひとりというハードルと謎のプライドがこんなところでわたしの旅の邪魔をする。
きっと帰りにはもう売り切れている。
運が良ければまだ残っているかもしれない。また帰りに寄ってみることにする。

フェリー乗り場へ地下道を通って向かう。
乗り場が2つあり、よく分からなくてうろうろし、とりあえずJRのフェリーの方が時間が早かったのでそちらに乗り込んだ。
昨晩よく眠れなくて布団の中で読んだ短編小説には、フェリーの甲板にはあまり人がいないと描写されていた。
確かに、暖かい客室に人々は吸い込まれていき、はしゃぐ子供連れの観光客と、海を撮影しているおじさんだけが展望デッキにいた。季節柄もあるかもしれない。
デッキは風が強く、シュシュが飛ばされそうになって慌てて押さえる。
重低音が寝不足の脳味噌を揺さぶる。何でもないようなフリをしてInstagram用の動画を撮った。

宮島の大鳥居は工事中だと風の噂で聞いていたが、本当に大鳥居は囲いで覆われていた。
海に佇む赤い鳥居はさぞかし綺麗だったろうと、タイミングの悪さに笑いながら、白っぽい囲いの写真を撮って弟にLINEした。



島が近づき、フェリーの降り口を間違えてドタバタの上陸になった。
「歓迎」の二文字と英中韓の文字が踊る電光掲示板を見て、ああ、観光地なんだなと当たり前のことを思った。
降りて早々、鹿に遭遇しギョッとする。鹿が沢山いるとは聞いていたがそんなすぐに出会うとは。

鹿にファイティングポーズを取ろうとした時、制服を着た女の子に話しかけられた。
眼鏡をかけた快活そうな子だが、緊張しているのか声が震えている。
後ろには喋るのが苦手そうな男の子が控えていた。
「私たち○○小学校の6年生で、いま宮島の未来についての調べ学習をしています。お話を聞いてもよろしいですか?」
この手のインタビューは大好きだが、果たして上陸3分の東京OLに相手は務まるのだろうか。
「宮島に、大型商業施設ができるのはどう思いますか?」
どうやら務まらなさそうだ。正直にいま初めて来たと答えると、女の子はしまったという顔をした。
よく考えなくてもリュックひとつでふらついている大人の女など地元民にしか見えないだろう。
申し訳なさから雰囲気には合わなそうだよねと追加で伝えた。

インタビューはまだあるらしい。
「ゴミ箱をもっと増やすべき…って今来たばかりだから分からないですよね、すみません」
気を遣わせてしまってこちらこそすみません。
ゴミ箱は少ないんですか?と逆に聞くと「私たちはそう思ってて…ありがとうございました!」と去っていってしまった。
このインタビューは記事に使われるのか否か、知る術は永遠に来ないだろう。
インタビューされているところを先生と思しき男の人が写真に収めていて、どこか存ぜぬ小学校の学年通信にデビューしてしまう可能性に少しおかしくなった。

観光マップは手に取ったが、そもそもこの島に何があるのかも、マップもよく分からず、まずは大勢の観光客の流れに身を任せることにした。
海岸沿いの道を歩く。鹿が寝ている。
あまり店がないな、上司のオススメはどこにあるんだろうとマップを見たらもう一本隣の道に商店街があるらしい。
下調べって大事だな…フェリーの中で調べた牡蠣のお店もそこにある。
まずは先に見えてきた厳島神社を回ることにした。



昇殿料を納め、赤を潜る。
鮮やかな朱に、ゆらゆらと水面が揺れて光っている。
ゆったりと歩き、写真を撮り、本殿で手を合わせる。
何かを祈ろうとして、祈るものが思いつかない自分自身に呆れた。
逡巡の後、みんな幸せになりますように、と幼子のような願いをかけた。
これは普遍的な願いであっても、わたしの祈りではない。それでも神様は受け取ってくれるのだろうか。

御守りを買おうとしたが、お返しできないかもしれないと思い、やめて足を進める。
絵馬を納める場所への小さな案内が目に留まり、足を踏み入れる。
祈りが沢山風に揺れていた。
その先に、見つけづらいからか誰もいない小さな拝殿があった。
ここに導かれたのも何かの縁だろうと、名も知らぬ神様に手を合わせる。
祈る言葉はここでも見つからなかった。
名も知らぬくせに罰当たりと咎を食らうか、取るに足らぬと無視をされるか、これも何かの縁とご利益を賜るか。
さても分からないなぁ、と順路に戻った。

境内は人が多い。
自撮りをする女性2人組と、ツアーの外国人観光客集団に囲まれながら、紅の写真を撮る。
自撮りしなければ、ここに来たという証拠は何も残らないなと考えて、ついぞ自撮りをすることはなかった。

出口を最初左に行き、何かあったなとネットで調べ、右に大願寺があると分かり慌てて引き返した。人力車のお兄さんの横を気まずげに通り過ぎる。
お寺の入口では、顔出しパネルでカップルが笑っていた。

寺の作法はまるで分からないが、柏手を打ってはいけないことだけは知っている。
お賽銭とも呼ばないのかもしれないが、じゃあ果たしてなんて言うのかしらん、と賽銭箱?の前で顔を上げると、不動明王が睨みをきかせていた。
睨み返そうとして怯み、息を吐いて、吸って、呪文のような念仏のような何かを、唱えよと書かれていた言葉通りに口に出して手を合わせる。

弁財天を祀る本殿へ向かった。
30円を納め線香を手に取ってマッチで火をつけたが、風で上手くいかず、100円を収めてろうそくをいただき火をつけた。
作法が合っているのかまるで自信はなく、かといってネットで調べることもなく、口で吹き消してはならんのだっけ、と線香の火を扇いで消した。
煙が立つ。手を合わせる。わたしの祈りはここでも思いつかなかった。



そそくさと商店街の方へ向かおうとしたが、その前にもみじまんじゅうの店があった。
お兄さんの集団がお店の人と買う買わないの交渉をしているようだ。
「暖かいもみじまんじゅうですよ」の一言に足が止まり、つぶあんをひとつ買って椅子に腰を下ろした。
暖かいお茶が染みる。
お兄さんたちは「大鳥居もお色直しをしていて、逆にレアなタイミングですわぁ」と話している。
お色直しか、なるほどそれは素敵な表現だとそれをそのまま弟にLINEした。

この後どうするか何も考えてなかったと、もみじまんじゅうを片手に脳内作戦会議に洒落込む。
ネコだらけの何かがあったような…?と調べてみれば、ここから往復3時間程度の山の上のようだった。
弥山には時間的にはいけなくもないが、商店街は夕方には閉まってしまうと同じ記事に書いてあり、今回は商店街を優先させる作戦に決定した。
山にはいつかまた縁があるやもしれないし、今後一生ないかもしれない。
店の人たちはすでに去った先程のお兄さんたちの話題を出している。
「もっと買ってもらえたのでは?」「美味しいと思うものを美味しいと買ってもらえることの幸せよ」と議論を盛りにしている。
なんだか普段の職場で上司と語るビジネス論に近いような気がして、少しおもしろい。

商店街に向かおうかというところで、弟からお色直し中の大鳥居の写真にLINEで返信があった。
「今昔が良い感じに混じっててかっこいい」と、弟の感性が好ましい。
鹿には会ったかと問われ、シカいっぱいいんじゃんと答えれば可愛げのある絵文字と共に「それな」と返ってきた。

商店街に足を踏み入れる。賑やかだ。
程なくして揚げまんじゅうの看板を見つけた。上司のおすすめのひとつ。
迷いなく食券を購入し、揚るのを待つ。
ボス曰くカロリーの暴力とはよく言ったもので、そりゃ揚げればなんだって美味しい、とコメントをつけてInstagramに写真をあげた。
隣の店ではお土産用のもみじまんじゅうを沢山購入した。
明日の新幹線前はドタバタするだろうと買ったのだが、初日にして荷物が増えることを想定していないところが如何にも旅行初心者だと、購入してから気がついた。
またその隣のアクセサリー屋さんで瀬戸内海ブルーというとんぼ玉のアクセサリーを発見した。
まるくて濃い青を耳から下げたら可愛いだろう、リングタイプのピアスを購入する。

フェリーで調べた牡蠣のお店に行ってみたが、もう時間が遅く閉まっていた。
自分の事前リサーチがあまりにも不足していて笑ってしまう。
匂いに釣られて、まだ開いていた焼き牡蠣のお店に入店した。
1月中旬、ラストオーダー近くの平日のせいか席はそれなりに空いていて、中央の大テーブルに通された。
周りはカップルや友人同士のようで、笑顔に囲まれて一人旅の気まずさがまた頭をもたげたが、なんとか堪えて牡蠣飯と焼き牡蠣4個、地酒の辛口日本酒を小瓶で注文した。
先に牡蠣飯がくる。牡蠣の味がご飯に染みていた。
日本酒は思ったより甘く、これは飲みきれないかもしれないと思う。一杯で少しクラクラとして、水をもらった。
焼き牡蠣がきた。4個と書かれていたが、皿には5個乗っていた。
何故なのか聞きそびれてしまったが、斜め前の女性の皿にも5個乗っていたのでそういうことなのだろうか?とひとり納得した。
レモンを絞り、貝殻ごと口元に近づけ、牡蠣の身をすする。
焼き立ては熱く、口の中で暴れて、しまった半分に齧ればよかったかもしらんと思ったが、牡蠣はひとつを丸ごと啜ってなんぼなのだ。そこは譲れない。
大振りの牡蠣は、昔祖母の家で必ず出たレンチン蒸し牡蠣を思い出させる。
ただ、牡蠣飯に大振りの牡蠣5個は腹にきつかった。
なんとか牡蠣を食べ切り、次は2個くらいでいいかもしれない、当たらないといいなと独りごちる。
飲みきれなかった日本酒をぷちぷちにくるんでもらい、普段の一食には到底払わない金額を支払って外に出た。



弟に「宮島は夕焼けが綺麗だった」と言われたことを思い出したが、夕焼けを見るにはまだ早い時間だ。
それにこのままフェリーに乗ったら吐くかもしれないし、と商店街をぶらついた。
宮島土産のお店はまだちらほらと開いている。いいなぁと思いつつ買うのはやめた。もみじまんじゅうと酒で片手が埋まっている。
思い立った様に歩きながらピアスをつけた。
鏡がないので分からないが、夕陽に瀬戸内の青が光っているだろう。

徐々にあたりが暗くなり始める。
厳島神社へ向かう海岸線で、波打ち際ギリギリを歩きながら海にスマホのカメラを向けた。
薄暗くなってきたところで、海の水が引いていることに気がついた。
男性2人組が浅瀬を歩いていた。
今日は小潮なので引きが小さいのだろうか、ベールを被った大鳥居は水浸しのままだ。
夕焼けが辺りを包み、暗くなるまで待っていようと寒空に首を竦めながらその時を待つ。
ぼんぼりにあかりが灯されていく。
厳島神社をライトアップする強力な電気もついた。
暗がりに浮かぶ神社の写真を撮る。
新しくしたばかりのスマホのカメラは高性能すぎてらなんだか昼間のように写ってしまう。写真は難しい。
夕闇にも朱はよく映えていたのに、フォルダの中の鳥居は輝くばかりだ。

黄昏時はとうに超え、店はほとんど閉まっていると踏んだ商店街を帰り道に選んだ。
案の定シャッターはほとんど下されていたが、そこに赤い提灯が下がっていて、どこかでみたことのある映画の世界に迷い込んだような気持ちにさせられた。
こんなに綺麗なのに、ひとっこひとりいない。
丸ポストを見かけ、暗闇の中で写真を撮る。高性能のカメラは丸ポストを鮮やかに写しとった。
鹿が飯はないかと擦り寄っては離れていく。

やがて宮島桟橋に辿り着いた。フェリーを待つ。
帰りはJRではないフェリーに乗ることにした。JRの5分後に出航する便。
どちらが先に就航したのだろうと考える。
調べれば簡単に分かるが、分からないままで良いだろうとフェリーに乗り込んだ。
もう暗闇だからか、はたまた寒いからか、展望デッキには最早誰もいなかった。
微かに声を上げながら風を浴びる。
身体の芯まで冷えていったが、不思議とあまり寒いとは感じなかった。
振り向くと電話をしているスーツのおじさんが1人だけ展望デッキにいた。
このひとは何故この時間に宮島から戻るのだろう。何をしているひとなのだろう。
時間が経ち、暗さによる景色の変わらなさと寒さに耐えかねて暖かい客室に引っ込んだ。
テレビがローカルニュースで、広島大学のセンター試験準備の様子を報じている。
今年でセンター試験は最後なのです、とアナウンサーに言われて、東京に置いてきた自分の生徒を案じた。



やがてフェリーは宮島口に着き、穴子弁当の店へいそいそと向かったが、やはり売り切れで本日の営業は終了していた。
そういうところだぞ、と言い聞かせながら広電宮島口駅へ歩みを進めた。
ホテルは広島駅からは離れていて、広電の路面電車が最寄りだということに気がついたからだった。
少し時間はかかるが、元々路面電車には乗るつもりだったのだ。少し浮足立ちながら駅構内に入った。
ここでもSuicaが使えるのかと思い、昨日1万円をチャージした自分に感謝した。

路面電車はバスと電車のあいのこのようなフォルムと内装で、あまり人は乗っていない。
車掌さんが車両の真ん中にいるのが面白かった。
走り出す。少しずつ乗客が増えていく。地元の人の多さに、お土産袋を抱えた観光客は異質に思えた。
隣のサラリーマンは船を漕いでいて、東京とは少し違うファッションの男女が会話している。
市内に入る。車のすぐ脇を、街の中を縫うように走る。
記事で見た地名を路線図の中に見つけ泣きそうになった。最近は涙脆くて仕方がない。
原爆ドームの横を通った様だが、暗闇に溶けていてまるで見えなかった。

路面電車を乗り換え、ホテルの最寄りに着く。
この大通りは街の中心部なのだろうか。
ホテルはすぐに見つかった。
ネットで適当に予約したので、果たしてちゃんと泊まれるのかと危惧していたが、電子サインと住所の記入で簡単にルームキーを渡されて、心配は杞憂に終わった。
部屋はなんとダブルベッドで、ソファーもひとり誰かが寝られる大きさだ。
ひとりで泊まるような宿なのだろうか。普通に予約を間違えたのだろうか。
判断を下すには旅の経験にあまりにも乏しく、帰ってから、旅のことを教えてくれたバイトの子に判断を仰ぐ事にした。
シャワーを浴び、ダブルベッドに飛び込んだ。
無音がふいにおそろしくなりテレビをつける。Eテレの短い番組。何を食べたらこんな発想が生まれるのかといつも疑問に思う番組だった。
睡魔が襲う。1人で寝るには広すぎるベッドで無闇に寝返りを打った。


2日目

目覚ましがなる。止める。寝返りを打つ。
漫画通りのあと5分…を繰り返していたらあっという間にチェックアウト15分前になっていた。
慌てて飛び起き、朝の支度をする。
最低限外に出られる格好だけし、マフラーを巻いてフロントへ鍵を返した。

昨日の夜、目星をつけておいた喫茶店へ歩く。
徒歩10分位の道のりには、大通りを選んだ。
路面電車が走っていくのを写真に撮る。気持ちの良い冬晴れの朝だった。
喫茶店は、焼きたてのパンの香りがした。
相席でもよろしいですか?と聞かれ一瞬逡巡したが、テーブルが広く、隣との距離は東京の別席と同じくらいだったので頷いて席についた。
モーニングのサンドセットを頼む。
注文が忘れられているのか、来るのに時間はかかったが、急ぐ旅路でもないので今日のスケジュールの下調べをする。
量が多めのサンドイッチと濃いコーヒー(紅茶を頼んだがそれはそれ)、小さな蜜柑が甘くて美味しかった。
レジのおばちゃんは、前のお客さんに「お釣り渡したっけ!?」と聞いていた。
「ごめんなさいねぇ、最近ボケちゃってもう」
いえいえ大丈夫ですよと笑い、久々にちゃんと声を出したな、と思った。



来た道を戻る。
ここまで歩いてきた大通りは鯉城通りというらしい。
そういえば広島城も気になるが、いく余裕はないだろう。いつも時間管理が下手すぎる。今回の旅もそればかりだ。
歩いている途中でNHK広島の前を通った。
何か呼び込みをしていたが何なのかはうまく聞き取れなかった。
壁広告には駅伝大会と書かれている。そういえば、昨晩のホテルも駅伝関係者が泊まっていたようだった。よく部屋が空いていたものだ。
NHKの建物の隅に、小さな小さな"ヒロシマの火"が静かに燃えていた。

橋を渡った。
元安川にかかる平和大橋。つくる、という形だという。
橋の上から、遠くに丸い鉄骨が見えた。

平和記念公園へ足を踏み入れる。
まず目に飛び込んできたのは広島平和記念資料館だ。中は暖かい。
入場の仕組みが分からず館内をうろうろし、受付で入館料を慌てて払った。そのまま常設展示に入る。

展示の情報量は膨大だったのに、食い入るように見つめたはずなのに、思い返そうとしてもぼんやりとしか思い出せない。

廃墟のパノラマ、ボロボロで血の滲む子供服、火傷の写真、原爆症の血の斑点、ねじ曲がった鉄骨、階段の影、叫び、ストーリー、家族の物語。約20万の命。そのひとつひとつに確かな人生があった。一瞬の出来事。ただただ、意味がわからないと思った。
爆心地近くを写し取ったパノラマに、もし自分がこの場に立っていたらどうだったかと幻視して目眩がした。

カラーの写真があった。原爆の写真は白黒しか見たことがなかったので、その生々しさが鮮明だった。
無性に泣きたくなった。その場は混んでいて、人前で涙を流したくないという、本当にくだらないプライドだけがあった。

たくさんの名前が刻まれている場所があった。犠牲者の名前なのだと思う。暗い空間だった。ただ怖いと感じた。怖い。怖かった。

供養塔があった。身元不明の遺骨が納められているのだという。
街中の何万柱もの遺骨が、誰にもわかられることのない最期で、こんな小山に収まってしまう。
明日突然、あの小山にみんな入ってしまうかもしれない。
家族も友達も、ここまでの旅で見てきた、名も知らぬたくさんのひとたちも、そんな「みんな」になるかもしれない。
どうしたらそうならずに済むのか、わからない。
もし、そうなりそうになってしまった時、自分にできることはないのかもしれない、そんな諦めが、いつもある。
それでも、これからは誰もそうならずに生きていけたらよいのに、と祈らずにはいられない。
もし、宮島より先にこちらに来ていたら、厳島神社へこの祈りを捧げられたのかもしれなかった。
せめてもと、供養塔に祈る。

冬の高く澄んだ青空の下に、原爆ドームがあった。
教科書で、テレビで、インターネットで見た通りの剥き出しの鉄骨。保存のための支えも見えた。
おそろしいからと、すべてをさっぱり片付けてしまうこともできたはず。
でも、誰かが残せば、話せば、伝えれば、あの時がここに存在し続ける。その意志と祈りが、込められている。

柵の向こうに、猫がいた。
崩れそうな壁のすぐ横で、日向ぼっこをしていた。

平和記念公園を離れる。
広電に乗った。
広島電鉄の路面電車は、市内全線が不通となるも、8/9には一部区間の運転を再開したという。
いまでも、被爆した車両が広島市内を走っている。

広島が気になり出したきっかけは、広電の被爆電車特別運行プロジェクトについて、記事を読んだことだった。
はだしのゲンも全部読んでいたし、毎年の原爆特集も見ていた。被爆体験も聞いたことがあった。
でも、たった3日で走り出した路面電車のことは、知らなかった。だから、気になった。

それでも広島を訪れようとは思わなかった。
仕事がある、お金もそんなにない、そんなちっぽけな理由で来ていいのかわからない、ここはわたしから遠いもの。
記事を読んでから、すでに1年以上が経っていた。

「マジで突然広島行ったから頭おかしくなったのかと思ったけど、もしかして神社に呼ばれたんじゃない?」と友人からTwitterのDMが来ていた。
なんの関係もない土地に、今まで何も思っていなかった土地に、突然呼ばれることがあるのだ、というInstagramのスピリチュアル投稿のリンクが一緒に送られてきた。
流石にそれはないな。
ないが、呼ばれる、という言葉に少しの納得感を覚えた。

そう、妙な焦燥感に駆られて、そのまま行ってしまったのだから。
出発の2日前に、まだ行きの予約も、宿の予約もしていないのに、帰りの新幹線の切符だけを購入して、「広島へ行く」と突然Twitterで宣言して。

「西の方に呼ばれちゃったのなら、それは行かないといけなかったね」
行きの新幹線で、神戸を過ぎたあたりに届いていた母からのLINEには、そう続いていた。

きっと呼ばれたのだ。厳島神社にか、供養塔になのか、それは分からないけれど。

誰かに「休みだし家で寝てたでしょ?」と言われたら、そうだったかも?と答えてしまいそうになるほどには現実味がない旅。
生々しい幻覚や夢だったとしてもそれを否定することができない。
広島にいた証拠を残すため、見たもの、感じたもの、やったことを断片的に、ほんの少しの誇張を混ぜてSNSに放流する。
もちろん投稿のはじまりは、最初に帰りの新幹線のチケットを取ってしまったことから。
投稿を編集しながら、ふと思う。
こんなおかしな旅を笑い、飲みの場で見知らぬ誰かに、こんな馬鹿なやつがいてね、と誰かが話してほしい。そうしてはじめて、この旅がこの世に存在したことになるような気がした。

お腹が空いたな、と不意に思った。空腹という感覚を酷く久しぶりに掴んだ気がする。
そういえば、広島でお好み焼きを食べていなかった。帰りの新幹線の時間は近い。慌ててお好み焼き屋を探す。広島駅に有名店があるらしい。
広電の駅を飛び出して、店に駆け込み注文をする。
焼きたてのお好み焼きは熱くて、ソースと青のりの風味に麺が絡んだ香ばしい生地に、空きっ腹のスパイスが効いていた。

ホームに駆け込んだのは、新幹線が出発する3分前だった。あまりにもギリギリすぎて、息を切らしながら笑いが込み上げてきた。
昨日もみじまんじゅうをお土産に買っておいてよかった。
最後まで、酒の肴にふさわしいドタバタの旅だ。

新幹線は東京に向けて走る。
行きと同じ自由席。車内にはまばらにひとがいる。隣には最後まで誰も来なかった。
時速300キロに揺られながら、1日目から順を追って、ゆっくりとスマホのメモ帳に旅路を書き連ねていく。
冒険者よ、大志を抱けと、旅の終わりを告げるチャイムが鳴った。
明日からまた、日常が始まる。
そんな明日がいつまでも続くようにと、広島へ祈る。

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