童話考察 はだかの王様

アンデルセン童話の「はだかの王様」といえば、"近くに正しい意見や批判をする者がいない状況"をテーマとした話ですが、それはさておき、子ども目線では単にえらい人が裸というだけでおもしろかったりします。

そんなわけで、いまどき王様が自慢の筋肉で大臣から民衆まで唸らせるという展開すらあり、それはそれでおもしろいのですが、テーマから逸脱してるといわざるをえないです。

テーマを押さえたかたちで少しのリアリティを持たせるには、と子どもと考えたのですが、はだかの総理大臣とか、区長とか、校長とかを挙げたところ、子どもにいわせれば、はだかのお父さん、あるいはお母さんが一番身近(リアル)なようでした。

わたくし的にはそれでもいいんですけど、コンプラ的に裸はダメでしょうと整理しました。

裸じゃなければ、髪型や服装、インテリア、趣味、思想など、何者かにそそのかされて盲目的に突っ走るケースはよくあるような気がします。
物語を踏まえると、よそから裸にみられても恥ずかしくないように、少なくともパンツは履いておくくらいのセーフティーネットを予め用意しておきたいものです。

で、わたくしがちょっと注目したいのが、例の"バカにはみえない"衣装を持ってきた詐欺師についてです。

彼らといえば、単に完成品を提示するのではなく、最初に"こんな布がある"などと持ちかけ、機織りを終日稼働させて作っている風を装い、大臣たちのテストを次々にパスして、御披露目の直前まで徹夜で製作するふりを続け、最終的に上着だけでなく下着まで用意するという徹底っぷりです。
完成直前のドタバタ、例えば仕様変更対応や納品チェック時の細かい要望取り込みなどがあったかと思うと、他人事とは思えません。
自分だったら、"嘘でもここまでやったなら裸でもいいじゃないか"などとつい思ってしまいます。

思うに、王様や大臣たちだけでなく、当の詐欺師たちもどこかのタイミングで衣装がみえていた(何かに騙されていた)のではと思わざるをえません。

そうなると、本質的には"バカにはみえない"のではなく、バカにはみえる衣装といってよいのかもしれません。
(もしかすると悪い意味だけでなく、それはそれで魔術的リアリズムというか、すごいことかもしれません。

まとめると、わたくしたちが接している世界は、みえるのかみえないのか曖昧なものが多いので、他人や自分を問わず、日々の行動には批判的な視点(裸になっていないか)、また裸にみられても恥ずかしくないか心がけたいところです。


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