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老荘思想「列子」を読む

子どもへの読み聞かせをしたいと思い、ひさしぶりに「列子」を読んだ。

ディズニー映画でおなじみの"道"(み、つぃー)とか"ありのまま"とかの考え方といえば、中国の諸子百家のひとつ、老荘思想。

老子は「上善水如」など"持つ者は叩かれないように生きること"、荘子は「無用の用」など"上がれなかった者はその道を受け入れること"と、ちょっと視点が異なる。

諸子百家の時代は、学者達が諸国の王にうまく取り入るという側面があるので、それぞれの学者のサクセスストーリーのようなものもあるのかと思う。

で、その並びで列子はというと、"道化"のような存在で、より一般化が進んでいるというか、話の物語としての完成度が高いと思う。
この人物が本当に存在したのかも議論があるらしい。

「列子」は、その国であまり目立つこともなかった列先生が引っ越しをする時に語ったことには...と始まる。
荘子と同じく権力サイドではなく庶民派であり、親近感があるというか...。

話の軸はいくつかあるが、おもしろいのは、「道半ばの列先生」と「名人への道」。

前者は、列先生が師匠とのやり取りで自分の未熟さを諭されるというもので、だいたい数年間家に引きこもる。

後者は、弓や楽器を習う者、いろいろな目利きの者が、達人の域、その先の名人の域に達するというもので、本質的なものは目に見えるものではなく、やがて自然に到達するとかそんな感じ。

「名人への道」と書いて気付くと思うけど、中島敦の「名人伝」は、この列子をうまく編集した話だといっても、本人は文句をいえないと思う。
hiphopライクでいうならサンプリングだyo

いくつか寓話もあるが、3つほど紹介すると以下。

▽朝三暮四
飼っていた猿達が食事について「朝に3つ、夕方に4つじゃ少ない」というので、「朝に4つ、夕方に3つにしよう」と提案したらおさまったというもの。
要は、いいくるめられているのである。

▽夢で鹿を捕まえた者
ある者(A)が鹿を捕まえて隠しておいたが、それを別の者(B)がみつけてしまう。裁判となり、Bは夢で捕まえたと思ったら本当にみつかったという、Aは捕まえけどそこになくなっていて夢かと思ったという。結局、判決はよく分からないから半分にすることとなり、まとめとしては裁判官がそう決めたならそうするしかないというもの。
有名な「胡蝶の夢」を進めたような話で、さらに納得感がなくなっていて物語としては難解。

▽先立つ子供を悲しまない親
ある子煩悩の親がいたが、その子供が亡くなった際にちっとも悲しまない様子。聞くと、いなかったときと比べたらは状況は変わらないのだから、悲しむ理由もないと語ったというもの。
いいくるめな気もするが、そういう思想なのだろうなという感じ。「騙されて偽の故郷を懐かしむ話」というのもあるので、併せて読むと少しは分からなくもないような...。
ちなみに、荘子も妻が亡くなった際に同様の態度をとったといわれている。

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