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個人的な推し記事

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個人的におすすめしたい記事です。
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記事一覧

演じている。自分が見ている。#本とエッセイ『舞台』

そろそろ気合いを入れ直しときましょう。 どうも、コーシです。 ”10代の頃”と言う言葉を使えるようになったので、使ってみる。 10代の頃、というか思春期の頃、自分の声がとても嫌いだった。それは声質や、声の高さではない。自分の声の変幻自在さが嫌いだった。 特に声変わりをしてきた時はとても聴いていられなかった。 家族といる時は、少し高い声が出る。 友人といる時の声は、まぁうるさく無い程度の声。 先生と話す時は、ちょっと透き通ったような声。 好きな人や気になっている人と話す時

雨と人混みに紛れながら。

春宣言(本格的)。 どうも、コーシです。 なんと完璧などしゃ降りだろうか。今日から新年度が始まるというのに実に現実的な天候だ。 正直、私は別に良い。もう20年も”ここぞで雨男”でやってきた。節目の雨には慣れている。雨に対して感じるストレスも段々と少なくなってきた。これは心のが平穏さを得たのか、それとも以前に比べて外に出ることが少ない生活に慣れて、雨による弊害が最小限になったからだろうか。 多分後者な気がして悲しくなりそうなので、考えるのをやめた。ブーツを履けるから、という

地元のラーメン。後編

最近地元の話多い?気のせいかな。 どうも、コーシです。 突然、ハタチの誕生日にどうしても地元のラーメンを食べたくなった私。 なぜこんなことを突然思ったのか理解できないまま、車は秩父市へと走る。彼女は突然の秩父行きの提案に驚いていたが快く「いいじゃん」と言ってくれた。 運転しながら、なぜどうしても地元のラーメンを、しかも誕生日に食べたくなったのか考えた。 自分のハタチ誕生日は特に特別視してないが、今日がハタチの誕生日じゃ無かったら地元のラーメンを食べたいなどと思わなかった

地元のラーメン。前編

また4月が来たよ。 どうも、コーシです。 毎年この3月の終わりから4月の初めにかけての感情というのはまさに異様だ。 年度が変わって新生活が始まることに素直にワクワクする気持ちと、どんなに充実していてもどこかやりきれないまま新年度を迎えてしまう気持ち、季節の変わり目、心が不安定になりやすいこの時期である。 そして私の場合、誕生日がある。4月2日。ハタチになった。この誕生日と言うものの存在感はメンタル的に厄介なのだ。祝ってもらえることはめちゃくちゃ嬉しい。 嬉しさを表すリアク

ただ、ピカピカにしたいだけ。

春服の出番。 どうも、コーシです。 洗うとか、磨くとか、そういったことを始めると沼にハマる性格だ。 私は黒板を綺麗にするのが大好きだ。大学生になった今、なかなか黒板消しを用いる機会は無いが、小学校、中学校、高校と暇さえあれば教室の黒板を消していた。 小学2年生の頃、いろいろな係を決める話し合いの時、”お花に水あげ係”とか”金魚飼育係”とか色々ある中、”黒板消し係”に立候補した。そして何人かいる”黒板消し係”の自分以外全員をほぼクビ状態にしてまで黒板消しをしていた。それに

人生をほじくり返す。

 冬なんだか、春なんだか  どうも、コーシです。  寝れないシリーズ。時刻は午前2時。イヤホンから音を流すのも気分じゃないし、かといって無音にさらされ続けると、自分と対峙させられて気まずい。  明日は3月の初日。月の始まりぐらいスッキリとした目覚めで迎えたい。しかし、ここ2、3年のできれば思い出したく無いような、後悔してもどうにもならない出来事がフラッシュバックして眠れない。  寝たい。切実に。  そういえばオードリーのラジオで若林が、寝れない日に”走馬灯に出てこない

写真に写ること。#プチエッセイ

 なんで、「はい”チーズ”」なのか問題。  どうも、コーシです。  写真。2004年生まれの私の人生には、生まれた時から当たり前のようにある。なので正直、ここ最近まで写真に映るということに対する想いというか、特別感というか、そんなものはなかった。  写真を撮られることが特別好きというわけでも、特別嫌いというわけでもなかった。  ただ、レンズの視線には何をしたら良いのか分からなることが多かった。今見ると、「なんて不機嫌な顔をしているんだ、コイツは。」というような写真は多い。

オードリーANN東京ドーム。

 どうも、平日の夕方コーシ。ひとつよしなに。  忘れたい事って生活の中に山ほどある。もちろん、忘れたくない瞬間は人生にたくさんあるけど。  頭の中でネチネチネチネチ反芻しては嫌になって、全然寝れなくて、いつの間にか頭痛と共に目が覚めて、頭が”それ”でいっぱいだから足の小指とかぶつけて、その日1日を諦めて、ネチネチネチネチ、、、。  正直ほぼ自分のこと。「あの発言が、」「あの行動が、」  たまに自分以外にも矛先が向いたり。「こんな日に限って、」「なんで、」  ごくたまに世の

孫のアイデンティティ。

 落ち気味の投稿頻度を横目に。  どうも、コーシです。  先日、一泊だけ帰郷し、祖父母家に泊まった。数年ほど学校からここに帰って過ごしていた時代もあったので、とてもとても落ち着く空間なのだ。  故郷・秩父は変わらない。  地元に帰った時というのは、カッコつけたいのかわからないが、「こここんな建物できたの?!」とか「このお店なくなっちゃったんだ、、」とか言いたい。何故か。言いたい。  でも秩父はそれを言わせない。無いものは無いし、あるものはある。もう無いかもな、と思ったも

”まだ”雪で楽しむ人。#プチエッセイ

 髭を剃る理由が無い定期。  どうも、コーシです。  窓に目をやると、雪が降っていた。  ”しんしん”と降っている、と言う感じでは全くない。もはや”降っている”って感じでも無い。横殴りも横殴りで”迫り上がっている”と言っても過言ではない。  そんな轟々と迫り上がる雪を横目に、今日も家で過ごす。ちょっと英語を勉強して、予定を立ててみたり。ずっとやりたいと思っていたことを、この春休みにここぞとばかりにやっている。  昔であれば、雪が降っていたらなりふり構わず即座に外に飛び

好きな歌詞を語りたいのだ。

  多分好きな歌詞って、その人の性格とかすごい現れる様な気がするので、これを読んでもらって少し私を知ってもらって、日々のエッセイをもう少し楽しんでもらえたりしたらとても良い。嬉しい。おしゃれ。気持ちが良い。ありがたい。  どうも、コーシです。  これまであまり、歌詞に集中して音楽を聴いたことが無かった。どちらかというとどれだけ心躍るかで音楽と向き合っていた。  そんな私だが、ここへ来て改めて歌詞を楽しんでいる。  文章を遊び半分で書く様になってから、耳に入る歌詞に対してと

バランスボールと闘う。-後編-

 後編だよ!!  どうも、コーシです。  さぁ、人生初のバランスボールが我が部屋にやってきた。辛く長いテスト期間から抜け出し、清々しい気持ちのまま、Amazonの袋を破る。  するとなんだか普通に普段使いできそうなくらいおしゃれな布製の袋にが出てきた。そしてその中には空気の入っていないバランスボール、布製のカバー、空気入れが入っていた。おいおいワクワクさせてくれるじゃねぇかぁおい!  エンタメ性も二重丸である。  もはや部屋中に広がるゴムの匂いすらも愛おしく感じてくる。

バランスボールと闘う。-前編-

 この記事はバランスボールの上からお届けしています。  どうも、コーシです。  ようやく、長い長い激動のテスト期間に別れを告げた。  気分的にはようやく2024年を実感している。清々しい気分である。  そんなこんなで、昨年末からかなりの時間を作業机に大人しくしていた私。私はある課題を見つけていた。腰痛である。  恥ずかしながら私は幼い頃から腰痛持ちである。少年野球でキャッチャーをしていたことが原因と考えられる。しかし、正直19歳という年齢で腰痛に過度に気を使うのも癪にさわ

誰かの日常になる。

 新年あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。  どうも、コーシです。  新年から胸が締め付けられる。とても不安な気持ちに駆られている。自分の想像力ではとても追いつかないことが起こっている。常に胸が締め付けられている。  こういった時に、いつも自分の無力さを痛感してしまう。何もできないことを、認めざるを得ない。ただ、祈る。少しでも、と思いながら募金をして、祈る。そして考える。想像をする。  おそらく、多くの一人ひとりの”自分”にできることは、日常