持たざる者から持つ者になった者として

こんなツイートを見た。

https://twitter.com/fudge_2002/status/1452647974668886020?s=20

これは、共感の気持ちもある反面、愛を使わずに物語を綺麗にまとめる難しさも分かる。
「恋愛」だけならば最近はアンチテーゼ的に存在する作品もあるわけだが、このツイートはそれと分離して「他者から愛されること」まで入ってしまっているから難度が高い。

「アナと雪の女王」はプリンセス物で「恋愛」に解決を求めなかった革新的な作品だが、「エルサは国民の役に立って受け入れられる道に行くしかなかったのか? 引き籠もったまま幸せにはなれなかったのか?」と疑問を持たれていたことを思い出す。(そういう記事を読んだことがあって、貼りたかったけど見つからなかった。見つけ次第貼る)
まだ、エンタメ作品は異性恋愛から脱却しつつある(同性恋愛エンドとかも珍しくなくなってきたわけだし)過程くらいであって、
愛されENDまでやめるのは遠い道なのかもしれない。

でも、一人のままで幸せになれるタイプの作品、たしかにエンタメとなるとないけど「文学」にはあるよな、と思う。
分かりやすいのが芥川賞作品だと思う。芥川賞作品や芥川賞作家作品、ノミネート作品には生きづらさを抱えてるような人がいっぱい出てくるからね。
で、安直なハッピーエンドにはいかないことが多い。ほんのり希望が見えるくらい。そこが安心する。

と、いうことで、愛され要素を避けたい気分の時は、純文学作品を読んだり、もしくは書いたりすると良い。


ここからは自分の話。

私はおそらく発達障害があり、幼少期は友達もおらずコンプレックスに苛まれていたタイプの人間だった。でも、現在はいわゆる「理解のある彼くん」である夫を手に入れた。
つまり、「恋愛」で解決してしまったのである。(恋愛か?と疑問になるのは置いといて)

持たざる者から持つ者にクラスチェンジしてしまったわけだ。

で、その夫とブルーピリオドのアニメを見た。美大受験のアニメだ。
世田介くんというキャラがリア充風の主人公に対して、

「何でも持ってる人がこっちにくんなよ。美術じゃなくても良かったくせに」
という台詞を吐く。

持たざる側の気持ちだ。私は、その気持ちが痛いほど分かってしまう。
この時、世田介くんは母親と芸大祭に来ていたのに、主人公は友達と一緒だった。私はその惨めさに近い苦々しさを知っている……。

ブルーピリオドは、各キャラクターそれぞれの闇も描いていて、今後も楽しみな作品である。今期一番心に来るアニメだ。

さて、私は自分の創作人生を思い返す。
かつて持たざる者だった時に持っていて、今、持つ者になったことで失った感性がある、という自覚がある。薄暗いところから生み出される活力があった。
後になってからだが、その「持たざる者」としての感性は、磨けばそれはそれでモノになったのではないか、と自負する。孤独でなければ創れない領域は確かにあった、と。

もちろん、持つ者になって得たものもある。たとえば過去の恥を素直に作品に生かす勇気であるとかね。
持つ者になった後も、私の創作人生はこれからである――。

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