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十善戒の隣人愛的解釈【モーセの十戒】

十善戒はなかなか難しい。

モーセの十戒ではないですが、「〜するな」と言われると、なんだか窮屈に感じる人もいるかもしれない。
江戸時代のとある解釈書(『十善法語』)で、「不邪淫戒は男女の理(ことわり)を表すのじゃ〜」と書いてある。「はあ。」と、なんだか引いてしまう。

そもそも、「盗むな」、と言われても、現代において、大抵の人は盗みを働かない。
今とは時代背景が異なるのだろう。

Wikipedia「十善戒」
身業
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
口業
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
意業
不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
不瞋恚(ふしんに[2]) 激しい怒りをいだかない。
不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解[3]を持たない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%96%84%E6%88%92

それでもお四国のときには何度も唱える。
そんななか、お遍路仲間の一人に、一つの解釈文をご教示いただいた。
なかなか、ハッとさせられました。

とくに、次の解釈文。

「不偸盗 他人のものを尊重しよう
不邪淫 お互いを尊敬しあおう」

まさにこれだ。
結婚や、形だけの同意があることが、不邪淫なのではない。
相手をモノ扱いしたり、性奴隷のように扱えば、それは邪婬であり、偸盗でしょうと。(これは、私の解釈も入っています。)

現代的な、でありながら、宗教的な核心もついているような読み直しです。

これは、イエスの隣人愛にもつながりそうです。「互いを愛せ」、って、互いを尊重しようということでしょう。

少し調べたところ、高尾山で掲げられているようですね。
忘れないように、以下の文を引用させていただきます。横田南嶺さんの文章です。

2019.08.29
今日の言葉
高尾山の十善戒
高尾山にお参りすると
その参道に、十善戒を大きく画かれた
看板がありました。
さらに奥に入っていくと
掲示板にも十善戒が書かれていました。

こういう大勢の方の目につくところに
大事な教えを掲げているところに
感心しました。
通りすがりながらも
目に触れるだけでも心に何かが
残るかと思いました。

「戒」とはいましめというよりも心の「良き習慣」
というのが本来の意味であります。

高尾山に掲げられてた十善戒の訳も
その点を考慮されてか、
「何々するな」という
禁止事項として訳されているのではなく、

「不殺生」を「あらゆる生命を尊重しよう」というように
こころの良き習慣となるような
意訳になっていて、これもまた
感服したところでありました。

十善戒

不殺生 あらゆる生命を尊重しよう
不偸盗 他人のものを尊重しよう
不邪淫 お互いを尊敬しあおう
不妄語 正直に話そう
不綺語 よく考えて話をしよう
不悪口 優しいことばを使おう
不両舌 思いやりのあることばを話そう
不慳貪 惜しみなく施しをしよう
不瞋恚 にこやかに暮らそう
不邪見 正しく判断しよう

横田南嶺

高尾山の十善戒

https://www.engakuji.or.jp/blog/27324/

隣人を愛そう。

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