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#227 レオジーニョ先生

今回は、レオジーニョこと、レオナルド・ヴィレイラさんの話をしてみました。

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こんにちは中井祐樹です。
レターを頂いています。
先日、来訪されたレオジーニョの話を聞かせてください。
プライベートだと聞いていたのですが、ある筋からプライベートレッスンで1時間程道場を貸してくれないかとのことだったんです。
いつぶりだったんでしょうか?…よく覚えていませんが相当久しぶりでした。
今はONEの要職についている事は聞いているんですが、詳しくは知りません。
レオジーニョさんは一般的にはMMAには上がらなかったADCC2連覇の人ですよね。2003年と2005年のチャンピオンだったと記憶しています。
ムンジアルは以外にも1998年の1回だけの優勝なんですよね。
僕が目の前で見たのは1997年と1999年で、その時僕はまだ紫帯で、ブラジルデビュー戦ということで、 その前に体重最後一絞りするって言って、 アリアンスの確か…ちょっと場所覚えてないですよね。
最後行ったんですよ。
もう一絞りするって言って。
その時はもう一番フラフラで、疲れ果てて。 それで青帯のおっさんとかにボッコボコでやられてたんですよ。
その時に最後にレオジーニョがいて、なんだこれっていう感じだったんですね。
そしたらその日の様子を撮ってる人がいて、 それが市販されたっていう、ちょっとオチがついてるんですけど。
この世のどこかに映像があるはずなんですよね。
家にもあったかな?
ちょっと忘れましたけど。
その時には多分ホイラーとやるよって言ってたんですよ。
フェザー級でホイラーとやるよって言ってたら、 なぜか出たのはライト級で、マーシオ・フェイトーザ にテイクダウンされてホールド戦術で負けたんですよ。
まだルーチの反則が出来る前で。
あれでホールドの反則が出来たんですよね。
出来てたら多分全然変わってるんですけど、そういうことでしたね。
99年は決勝まで行ってホイラー・グレイシーとやって、 ホイラーの4連覇を許すってことになりました。
なぜかホイラーになると、あまり普段の力を出せてない感じがしましたね。 やっぱりその経緯があったのかなと思いました。
レオジーニョとホイラーが唯一の対戦です。
それは私は会場で見てます、 というか同じカテゴリーで出てましたってことですよ。
99年は世界選手権です。 私がフェザー級で黒帯で最初に出た大会ですね。 黒帯になって初めて出た大会。
その大会は結構勢ぞろいしていて、 ホイラー、レオジーニョ、レオナルド・サントス、 バルボーザー、ジョン・ホーキ、ソネカ、ソッカ、 みんな揃ってたんですね。
私もいて。
私が多分弱い方にアウベスもいて、 パンピーニャもフェザー級に上げていて…そういった大会でしたね。
ほとんど強豪は揃っていて、 16人以上にパンパンに入っていて、18人か20人近くであったんですよ。
そういうトーナメントですね。
初戦でフレイサン・アウベスに2対4で負けてしまったんですけど、バルボーザーも途中でレオに負けて、 レオが決勝に行って、レオナルド・サントスがホイラーに勝ちそうだったんですけど、 なぜか逆転を許してホイラーとレオが決勝だったという大会ですね。
それで私が行かなかった年の98年にライト級で優勝している。
その1回の優勝はありますね。
ADCCにレオが連覇する2003年、2005年の間のプロフェッショナル柔術リーグで、 私とレオジーニョの試合がメインイベントとしてマッチアップされて、 私も本当に好調で勝つつもりでやったんですけど、 結果的にはあれほど疲れた試合がないという感じで、 あんなにヘロヘロになるような試合はなくて、 本当に全力でやって、全力で疲れたという感じの試合だったですね。
後にも先にもあれが一番疲れた試合ですね。
あれから比べたらシャオリンとかはそんなに普通なんですよね。
本当にすごい才能と力を持った選手だったと思います。
その後ADCC、わりと世界選手権が賞金出ないじゃんという問題が勃発していた頃でコパドムンドができたりとかして、 賞金を出す世界選手権があるならそっちを行く。
アリアンスの分裂にもかかることだったんですけど、そこからどちらかというと自活することを考えなければいけなくなったんでしょうね。
それで賞金マッチというふうにシフトしていった。
それが世界柔術選手権の優勝回数が少ないということにつながっていると思うんですけど、 そこからは賞金取りじゃないですけど、そういったところがあって、 アリアンスの分裂があったりして、 やっぱりビッグチームを率いるのはこりごりだという発言が インタビューであったりとかして、 いろいろ優しい感じにはなってました。
もちろん指導者としては厳しい人だと思うんですけど、 昔よりは全然鋭さというより柔和な人間的な膨らみを感じるような感じになっていましたね。 でも見た目は、割とガッチリしたとは思うんですけど、 見た感じは昔と変わっていなくて、旧交を温めることができましたね。
大変彼も喜んでくれてよかったと思います。
こうやって、僕がライバルというのはおこがましいのですが、僕が黒帯になった時って29歳だったんで、 5歳から10歳くらい下の人たちがライバルって感じだったんですよ。
当時もシャオリンとかも10歳くらい下ですし、そういう人たちがいる中で、 レオナドサントスなんて一人だけ飛び抜けて若くて18歳だったんですけど、 そういう中では、その世代の人たちが今も指導者として残ったりとか、 良い選手を育成していたりとか、 良い仕事をしているのを見るのは非常に良いなと思いました。
願わくば我が国の指導者もいろんなタイプの人たちがいるんですけど。重みを加えてもらってですね、良い影響を与えてもらって、この格闘技界、柔術界を盛り上げてほしいなと思いました。
レオジーニョさんに関してはこういったことを考えております。
彼の実績というか、意外とグラップリング界とか柔術界なので、知らない人は知らないというふうになっちゃうと思うんですけど、 世代的には非常にスーパースターといったところがあった選手で、 戦うことができてよかったというふうに思っています。
今日は先日来訪されたレオジーニョこと、レオナルド・ヴィレイラさんの話をしてみました。
またお会いしましょう。
ありがとうございました。

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