『急がば回れ』ど人は近道したくなるもの
彼の著作『弁術論』によれば、本当の富は善行にのみ成り立っている
-『税金の世界史』P43-
現在、『税金の世界史』という本を読んでいるのですが、その中のなんとなく気になった一文です。
「弁術論」は古代ギリシャのアリストテレスが書いたものなのですが、上の一文は、そこでで書かれている内容の事のようです。
なぜこの一文が気になったのかというと、
「本当の富は善行にのみ成り立っている」というよりも、
「本当の善行は富により成り立っている」の方が正しいのでは?と感じたからです。
例えば、先進国と発展途上国の格差問題に焦点を当ててみるとします。
日本で、少しチョコレートが食べたくなってコンビニに入ると、安い普通のチョコレートとフェアトレードの少し割高なチョコレートがありますよね。
もしあなたが現地の、カカオ豆がどんなものになるか知らないまま安い賃金で収穫をしている人々の事を考えてフェアトレードのチョコレートを買うなら、あなたの善行は富によって成り立っていると言えますよね。
他にも、マクドナルドやコカ・コーラのような大企業は環境問題に対する様々な取り組みに、ものすごいお金をかけていたりもします。
これも善行は富によって成り立っていると言えますね。
では、アリストテレスの「本当の富は善行によって成り立っている」について考えてみます。
古代ギリシャのアリストテレスの時代、現代でいうところの公共政策は、すべて個人の公共奉仕によって成り立っていたのです。アリストテレスは、施しをしたり、高価な贈り物をしたり、他人が生きていけるような手助けをするこ「を勧めました。また「医学の父」であるヒポクラテスも、報酬なしで困窮している他人を診察することも全力でするという善行を進めています。
そしてそうした社会的責任を奉仕できる人こそ、よりお金を持っている人でした。町のインフラ整備が必要だったり、戦争がはじまりそうで軍事費が必要だったり、祝祭が始まるとき。こういった時に、お金持ちが自ら資金提供をし、その監督責任を負ったりしました。
元々お金を持っているからこそ、そういった社会奉仕を行い、そしてそれが結局自分自身の評判になるのです。また戦争の結果でしか「英雄」になれなかったのも、後に、社会奉仕を最もしたものも「英雄」になれるように奈多のです。
つまり自ら所有する富によって善行を行うことで、自分に富や、それとは異なる形の何かで戻ってくることから、「本当の富は善行によって成り立っている」という考えになったのかもしれません。
つまり目的の手段の違いになりますね。
アリストテレスの「本当の富は善行にのみ成り立っている」は、
実は「富を得るという目的」があって、その「手段が善行」だっただけ。
そして私が思った「本当の善行は富により成り立っている」は、
「善行をするという目的」のために、「富という手段」を使っただけ。
手段と目的がそれぞれ異なれど、結果は同じですよね。むしろ、現代ビジネスに本当に必要とされているのは、社会的責任を果たしながらお金を稼ぐという前者の考えじゃないでしょうか。
さらに、自分に帰ってくるのは富だけじゃなく、意外なものとして自分に帰ってくるかもしれませんよね。
自分にお金が無かったり、時間が無かったり、余裕が無かったりすると、自分の事しか考えられなくなるものです。
その状況から早く脱出したくて、周りに迷惑をかけてでも自分の事を優先してしまいたくなることもあるはず。
そんな時こそ、一回落ちついて、近道よりも『急がば回れ』と自分に言い聞かせたいですね。
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