キジトラの猫が好きだ
彼が息を引き取ったあの日に打ち立てた記録的短時間号泣の記録は、今でも不動の一位だ。
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今から26年ほど前、両親が復縁して間もない頃に、親戚が保護していた仔猫を引き取った。
キジトラ、オス、推定で3か月前後。
この子を、彼と呼ぼう。
親戚の家でその仔猫との対面を果たした母と兄、そして俺は、とても人懐っこく、整った顔立ちをしていた彼に一目惚れした。
今から思えば、物心つく前にいなくなった父親が再び家族に加わったことに対する戸惑いを和らげる意図が、母にはあったのかもしれない。
兄はともかく人見知り傾向が強かった俺にとって、長い間不在にしていた父はほとんど他人同然だった。
その場で親戚に電話を借り(当時は携帯電話が普及していなかった)、父の了承を得ると、彼は晴れて我が家の一員になった。
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両親の離婚は俺が2歳の頃で、復縁は10歳を過ぎたあたりになる。
ご多分に漏れず、兄と俺を抱えた母子家庭に余裕などあるはずもなく、母はいつもピリピリしていた記憶がある。
復縁によってそれが解消されたかといえば、当時父が創業メンバーで経営陣だった会社の経営が思わしくなく、やれ「家が抵当に入るかもしれない」だの「いつ倒産して路頭に迷ってもおかしくない」だの、不安要素は容赦なく上乗せされた。
加えて、物理的な暴力こそなかったものの父は理不尽そのもので、当時小・中学生の息子たちに対してまで社会人的規範、要はサラリーマン的であることを求め、頻繁に怒りを露わにした。
なぜこの人が父なのだろう。
なぜこの人とまた一緒に暮らすことになったのか。
母を恨みたくもなったものの、一番つらそうなのは、母だった。
青春時代は暗黒時代、後に大学を中退して家を出てからもしばらく、父は人生における恐怖の象徴であり続けた。
ちなみに、最近になって知った離婚の真の理由は、できれば語らずに墓場まで持って行ってもらいたいもので、改めて暗澹たる思いがした。
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暗い実家暮らしの中では、彼の存在が救いだった。
大学を中退して、父との対立が決定的になり実家を出た後も、たまに帰れば喉を鳴らして迎えてくれた。
俺が23歳になる少し前にブラック企業を鬱退職した後、半年働いては半年引きこもる生活を繰り返し、最終的にまったく働けなくなって実家に出戻った時も、彼は変わらず、喉を鳴らして迎えてくれた。
それから丸3年にもおよんだ実家でのニート生活の中で、常に砕ける寸前にあったヒビだらけの心が辛うじて守られたのは、間違いなく彼の存在あってのことだろう。
それが人であれ猫であれ、ただただ黙って(喉を鳴らしながら)受け止めてくれる存在がいるというだけで、どれほど心が救われることか。
実家に出戻ってから半年ほどの間、特に最初はほとんど毎日のように彼を抱きしめながら、声を押し殺して泣く日々が続いた。
宝石のような瞳に甘えた鳴き声、喉を鳴らす心地良い音、そしてやわらかな毛皮を纏った温かな体を持つ彼は、そのすべてが純粋に思えた。
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きっと、彼も寂しかったのだと思う。
高校生になる頃に飼い始めた犬があまりにもいい子で、その煽りを食う形で彼の存在感が薄くなってしまい、その犬が心臓麻痺で亡くなった後も忘れ形見の娘たちが愛を独占した。
両親はいつも犬たちを優先していたし、兄は実家を出て一人暮らしをしていたから、彼を一番の大事にしてくれる人は実家にはいなかった。
出入り自由の半家半外猫だった彼はしばしば砂まみれの体でベッドに入ってくる上に、歯槽膿漏の進んだ口は猛烈に臭かった。
ふと目が覚めれば枕が眠気も吹き飛ぶほど名状しがたい臭いを放っていることも日常茶飯事で、特に寝入ってから数時間も熟成された彼の唾液は、眩暈がするほどに強烈極まった。
加えて腎不全も患っていた彼には毎日欠かさず皮下点滴を打たなければならず、それもあって父からは厄介者扱いされていた。
そんな数々の、しかし不可抗力なハンデによって大きく地位を下げてしまった結果、まだ若く元気だった犬たちに立場を譲るほかなかった。
俺にとって彼の存在が救いで必要だったように、彼も孤独から救われるための拠り所として、俺が必要だったのかもしれない。
そうして寂しい者同士が身を寄せ合って、気づけば3年が過ぎた。
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振り返れば、あっという間に感じる。
丸3年の実家ニート生活から社会復帰を果たし、実家から2年間の通いを経て管理職に抜擢され、ついに一人暮らしを再開した。
その頃の彼は腎不全を患ってから数年になり、すっかり老いて骨ばった体とツヤを失ったバサバサの毛に、往年の活力は感じられなかった。
いつお迎えが来てもおかしくない状態の彼と離れるのは寂しかったし、不安ではあったものの、現実的にも後戻りはできない。
大丈夫、きっとまた会える。
まずは20歳まで生きてくれよ、と、そう伝えて実家を後にする。
彼のいない暮らしは丸5年ぶりだった。
都内で借りた1Kのマンションは、実家に比べると猫の額ほどに狭いはずなのに、彼がいないというだけで妙に広く、また寂しく感じられた。
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管理職になってからというもの、それまで以上に残業が続いた。
連日のデスマーチに辟易しながら夜中に翌日の予定を作っていると、珍しく母から通話の着信が入った。
彼が危篤で、たぶん今夜は越せない。
帰ってくるかどうかは任せる、そういう話だった。
電光石火の早業で作りかけの予定を仕上げ、上司に事情説明のメールを送ると、片付けもそこそこに駅まで走る。
実家の最寄り駅は私鉄で、JRよりも終電が早く乗り継ぎエラーで間に合わないリスクまで考慮すると、1本でも早く乗りたい。
母にJRの駅まで迎えを頼もうか、とも考えはしたものの、その間に彼が死んでしまうかもしれないと考えると、やはりできるだけ避けたい。
だから、それは最終手段だ。
結局終電に間に合ったかどうかは、はっきりとは覚えていない。
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ああよかった、間に合った。
リビングで毛布に包まれていた彼の目は焦点を失って、呼吸は荒く、口呼吸になっていた。
もう誰が呼びかけても揺すっても、何ら反応を返さないのだと。
そうか、もう助からないんだな……。
素人目にもそう悟らざるを得ないほど、明らかに手遅れの様相で横たわった彼の姿は、かつてないほどに痛々しいものだった。
猫が口呼吸になるのは、本当の本当に苦しいときだけだという。
もう目は見えていないけど、まだ音は聞こえるはずだから看取ってやれと獣医の兄に言われ、冷えた手で骨ばった体を撫でる。
反応は、ない。
間を置いて、震える声で名前を呼ぶ。
「 」
刹那、飛び起きて撫でる手に前足でしがみついた彼は、意外なほど大きな声で、ただ一声だけしっかりと鳴いた。
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彼が動いたのも、鳴いたのも、それが最後だった。
ああそうか、最後の最期に、力を振り絞って応えてくれたのか。
「遅いよ!」
たぶん、いやきっと、そう言いたかったんだろう。
わかるよ、待たせたときに文句を言ってくる君の鳴き方、いつもそんな感じだったからさ。
ごめんな、頑張ってくれて、間に合わせてくれてありがとうな。
20歳まで生きてくれて、ありがとう。
今までたくさん温もりをくれて、支えてくれて、救いをくれて、本当に本当にありがとう。
もっと名前を呼んでやりたいのに、鼻も喉も詰まってしまって、どうしてもまともに声が出ないんだよ。
ごめんな、もう最後なのに、今だけしか届けられないってのに。
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翌日の早朝、その後のことを母に託して出社した。
こんなときくらいは休んでいいと言われはしたものの、仕事でもしていないと耐えられそうになかった。
結局のところ、何度か無人の会議室で隠れて泣いてしまったのだから、まったくもって耐えられてはいなかったわけだが……。
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ただそこにいてくれるだけで、誰かを、何かを救うものがいる。
ロクな思い出のなかった実家暮らしの中でも、彼のいた時間のページは特別で、開くとふわりと猫の匂いがする。
きっと、生きている限り彼がくれた温度が失われることはない。
あの日のことを思い出せば、こうして今でも大粒の涙が零れてしまうのだから、まず間違いないだろう。
一人でいる時間は、よく猫の鳴き真似をしている。
何を意識するでもなく、なんとなく、猫の鳴き真似をしている。
……。
本当のことを言えば、そうすればいつかまた、ひょっこり現れた彼に会えるような気がしてしまうのだ。
もし、もう一度会えたなら、もう一度喉を鳴らしてくれたなら。
君が大好きだった鰹を、それも高知の誇る最高に美味い鰹を、もういらないといつもの声で訴えてくるほどたくさんあげよう。
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あの日、彼が息を引き取るまでの1時間、それから更に1時間で打ち立てた記録的短時間号泣の記録は、今でも不動の一位であり続けている。