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波瑠ちゃんファンによる映画『アナログ』ネタバレ感想②

波瑠ちゃんファン目線でお送りしている『アナログ』ネタバレ感想。第2回は、悟の初めての大阪出張から、みゆきさんとのコンサートデートまでを見て行こうと思います。起承転結の承に当たる部分ですね。悟とみゆきさんの関係が進展していき、高木と山下とのコミカルなやり取りも見れる本作の妙味とでもいうべきパートでしょうか。僕はここで本作に引き込まれましたね。早速見ていきましょう。
第1回はこちらからどうぞ。


悟の大阪出張

みゆきさんと毎週木曜日に会う約束をした翌週、悟は大阪へ出張することとなります。
ここでは、アナログな恋の難しさが描かれましたね。みゆきさんに会うためにはまずこちらの仕事を木曜日までに終わらせることが大前提だし、仮に終わらせられたとしても、みゆきさんの都合がつかなかったら結局会えないという。アナログな恋は、仕事の締め切りを伝え忘れたり、書類を落として模型を壊してしまったりといった同僚の些細なミスで終わってしまう脆いものなんですね。だからこそ、それを続けようとする悟のみゆきさんへの強い想いが伝わってきました。
ちなみに、みゆきさんがピアノで悟を待っているシーンも挟まれてましたね。

焼き鳥デート

悪友2人

結局、大阪出張の週は木曜日までに東京に帰れず…週が明けるのを待って、悟はpianoに訪れることとなりました。ですが、そこにいたのは高木と山下。どうやら、悟とみゆきさんの様子を野次馬しにきた様子。
ここの一連のやり取り、めちゃくちゃ面白いですよね。完成披露試写会の挨拶で、悟と高木、山下のやり取りはほぼアドリブで、しかも監督がなかなかOKを出さなかったので長回しになったとの証言があったので、ここのシーンも二宮さんや桐谷さん、ハマケンさんが即興でやってるんだと思って、笑っちゃいました。役になり切りながらあんなアドリブコントやるの凄いよ、本当。
あと、3人が不毛なやり取りを長いことしていたのをぶつ切りにして見せる演出も良かったです。あまり他の映画では見たことないです。まるで、フィルムの一部分を切り取って繋げたのを見ているようで、アナログな時間経過を感じました。この演出、3人のやり取りに加え、ある場面でも用いられています。どこだか覚えていますか?

初めての焼き鳥屋さん

3人がああだこうだ言い合っていると、遂にみゆきさんがやってきました。悟は先週ピアノに来れなかったことを詫びますが、みゆきさんは「そういう約束ですから」と気にしていない様子。
そして、流れでみゆきさんを焼き鳥屋に誘う悟。しかし、みゆきさんはやや戸惑ったような表情を浮かべます。悟は焦って、そのお誘いをなかったことにしようとしますが、実は、みゆきさんは焼き鳥を食べに行ったことがないことが判明します。この時の戸惑った感じのみゆきさんのお顔、可愛い…ですが、みゆきさんは勇気を出して、焼き鳥屋に行くことにします。
しかし、行った先の焼き鳥屋では、既に高木と山下が出来上がっており…「客層が悪すぎる」と悟はその場を後にしようとしますが、結局2人に見つかり、4人で飲むことに。悟はしきりに2人に「帰って」「マジで帰って」と促しますが、何だかんだ盛り上がります。落語の一節披露するみゆきさん、マジで良かった。あんな清楚な感じでお茶目なの最強すぎるぞ?
ちなみに、この焼き鳥屋のロケ地となったお店マルギンは、新橋のガード下のコリドー街にあります。豚トロと角ハイがめちゃ旨いのでぜひ。ただ、女性だけで行くと十中八九ナンパされますので、そこはお気を付けて。

ちなみに筆者は風よけ頼まれた女性客がおじさん6人にナンパされてるのを見ていた

急に悟にハグするみゆきさん

焼き鳥屋で楽しい一時を過ごし、悟とみゆきさんは帰路につきます。完成披露試写会にて、筆者はジャニヲタの波瑠ちゃんのイメージを損なわないように良識ある波瑠ヲタでいようと思っていたのですが、ここで、いよいよ「ヤバ……」と声を漏らしてしまいました。

「悟さん、ありがとう。今日は本当に楽しかった」
ギュッ…

いや、あのさ、そういうことするなら事前に言ってくれませんか?そういうこと急にされたら心臓がもたないんですよ、こっちは!!!
このシーンは破壊力エグかったですね。それまで悟との関係ではどこか受け身だったみゆきさんが、初めて積極性を見せた場面でした。この時の思いは、きっと悟と完全同期してた。「みゆきぃ…キリッ」って言いたかったもん。
波瑠ちゃんって、恋愛面では受動的というか、押される方に回る役が結構多いと思うんですよね。山本くんに押すに押されてたはやみんしかり、理人に果敢に迫られてた也映ちゃんしかり。そんな波瑠ちゃんが、一転して急に積極的に相手にアプローチするのに弱いんですよ…!山本君にハグされずに自分からハグしようとするはやみん(お嫁くん第7話)とか、カラオケ入って急に理人にキスする也映ちゃん(G線第9話)とか…!!ここからしか得られない栄養素がありますね…必須アミノ酸とかと同じで、定期的に摂取しないと。しかも、これドイツにいた頃の癖なんですって。え、みゆきさんドイツだとめちゃくちゃ陽キャ?
そんなみゆきさんですが、原作では頬にキスしてたりします。ハグより進んだ愛情表現な訳ですが、不思議と、映画みたいにグッとは来なかったんですよね…思うに、原作のみゆきさんは、映画のみゆきさんと違って、どちらかというと悟との関係に積極的なんですよね。だから、まぁ、原作のみゆきさんならキスもするかってなるし、映画みたいに、あのみゆきさんが急に積極的に…!みたいな衝撃もなかったんだと思います。
え?原作と映画でみゆきさんが違うってどうして分かるかって?うーん。そんなに確信をもって言えはしないんですけど、これは原作と映画における悟の描かれ方の違いにも繋がるのかなと思っています。これについては後で触れますね。

2人の日々

悟の母の気遣い

再びお母さんのお見舞いに来た悟。この前はお母さんに「結婚しな」って言われて面食らってたのに、今では「今度連れてくるよ」と宣言しちゃうほど。
しかし、お母さんは、こんな母親がいるって分かったら逃げられちゃうよと言って拒否します。これ、言わなきゃバレないってことですから、もう自分は死ぬ気でいるんですよね。そんなお母さんの言う「人には自分だけの幸せの形がある。それを信じて貫きな」っていう言葉も、もう何かジーンと来ました。

Googleマップのない冒険

それから、毎週木曜日ピアノで落ち合い、2人で様々な場所へ出かけるようになった悟とみゆきさん。ある日、悟はみゆきさんを蕎麦打ち体験に誘います。しかし、目的のお店までの行き方をGoogleマップで表示していたスマホの電源が切れてしまいました。分かる。Googleマップずっと観ながら歩いてるとすぐ電源切れるよね…
そこで、みゆきさんの提案により、2人はスマホを見ずに目的のお店へ向けて歩く冒険をすることになりました。お蕎麦屋さんのロケ地は東上野にあるそうですが、そのためか、路地は下町っぽい雰囲気。道路にチョークで円描いてケンケンパしてる子たちなんてなかなか見られないもん。世界観の構築に抜かりがないよ。

♪おたまじゃくしがいっぱいの館♪

さて、その翌週。悟は、今度はみゆきさんをコンサートに行かないかと誘います。
「おたまじゃくしがいっぱいの館~♪」
「コンサートですね」
ここ好き。みゆきさんのコミカルさもありますが、悟が「クラシック聞きに行きませんか?」みたいにダイレクトに誘わなかったのが完全に解釈一致で。何というか、好きな人とデートに行くためにその人が好きなもので誘うのって、えげつない下心見透かされそうで、気恥ずかしさがありませんか?少なくとも筆者はそうなので、会社でチケット回ってきたって(おそらく)嘘をついて、「おたまじゃくしがいっぱいの館~♪」とそれとなく誘うのも、分かる!ってなりました笑。好きな人をデートに誘う側になる者の辛い宿命ですね。

原作ではみゆきさんがチケットを渡した

原作の悟は、「おたまじゃくしがいっぱいの館~♪」なんておかしな誘い方はしません。
てか、誘いもしません。
なぜかって?
「今からコンサートに行きませんか?」
それは、みゆきさんから誘われるからだよ!!!!!!!
何だよみゆきさんからデートに誘われるって。原作の悟はどんだけ徳積んだんだよ。バカリズムさん、僕がみゆきさんからデートに誘われる人生にお導きください。
そんな冗談はさておき、チケットを渡す方が反対というのは、原作と映画における悟とみゆきさんの違いを考える上で、結構重要な違いなような気がします。では、これまでボカしてきましたが、ここで映画と原作における悟とみゆきさんの描かれ方の違いについて考えてみようと思います。

悟の描かれ方の違い

まず悟の方からいくと、映画の悟は、憧れの女性を一途に追いかける冴えない男子ですが、原作の悟は、仕事も女性も勝手に寄ってくるナルシズム系男なのです!
「なのです!って、そんな断定しちゃって大丈夫…?」と思われた方もいらっしゃるかもしれないので、論より証拠を示しましょう。
①悟の女性関係
まず、映画の悟は、みゆきさんと出会うまでの恋愛遍歴が明かされません。まぁ、しごできな上にニノのビジュですからモテたとは思いますが、映画は、あくまで1人の女性に心を奪われたちょっと間抜けな男子として悟を描いています。波瑠ちゃんファン&ドラマファンに伝わりやすいように言うと、『こっち向いてよ、向井くん』の向井くんのようなキャラクターだったと思います。
一方、原作の悟は、みゆきさん以外にも女性の影がチラチラと……。まずは勤めている会社の後輩。昔付き合ってて、こっちの都合で別れたけど、今も気のある素振りをしてくる……。ん?何か何とも言えずウザいぞ?このウザさは、悟の行きつけの定食屋でも。主人の一人娘がやたら明るく優しく接してくるが、あれは俺にこの店を継がせたいからだ。どういう思考?え、イケメンって皆こう考えるの?とにかく原作の悟は、こっちには何の気もないのに女が寄ってきて困るとでも言いたげな雰囲気で、映画の悟ほど愛せません笑。映画ではこの2つのエピソードは丸々カットされていますが、1人の男性が1人の女性に恋をするというお話では、それが正解だったのかなと思います。単純にそっちの方が応援できますしね!!(←重要)
②悟の仕事への向き合い方
悟は、映画と原作で仕事への向き合い方も若干違うような気がしました。
例えば、上司の岩本に自身のデザインを持っていかれたという件。映画の悟は、「まぁ、いいよいいよ」みたいな感じで、あまりそこにこだわってはいない様子。一方、原作の悟は、デザインをある意味で盗まれたことに、(冗談じゃない!俺たちがやったのに全部自分の手柄にしてしまいやがって)という風に、確かな憤りを覚えていました。この違いも、何となく悟の女性関係の違いに繋がるような感じがするんですよね。だって向井君が環田さんに手柄持ってかれても絶対怒らないし……笑。けど、原作の悟であれば、しっかり怒るんですよね。
③悟の周りの人間の違いの答え
ここまで来ると、悟の周りの人間の描かれ方に前の記事で述べたような違いがあるのにも納得がいきます。つまり、原作は、悟を格好良くするために周りを俗っぽくして下げてる節があるんですよね。一方、映画ではそうする必要がないので、悟の恋の応援部隊としての側面が前面に押し出されていました。
④アナログ趣味の違い
また、前の記事で、映画と原作で悟のアナログ趣味に違いがあると触れました。軽くおさらいすると、原作の悟は、今の時代から意識的に距離を置く結果としてアナログ趣味がある(ように思えた)のに対し、映画の悟は、今の時代の文化も進んで受容しながらアナログ趣味を楽しんでいました。
原作の悟が今の時代≒デジタルをある意味疎んでいるようにみえるのも、彼の周りの人間の描かれ方と通じるものがあるのかなと思えます。やっぱり周りと違うというのは格好良く見えますから。大量生産即消費の現代に違和感を覚えているというみゆきさんの話も共感していましたしね。一方、映画の悟は、先ほど述べた通り、どこか情けない男性として描かれていますので、そういったある種の鋭さは希釈されたのかなと思います。ただ、今の時代の文化を進んで受容しているといっても、2021年で着信音はPPAPですからね。更新は遅いみたいです。そういうダサさもある。
⑤コンサートのチケットを渡す方
そして、コンサートのチケットを渡す方が逆転しているのも、映画と原作での2人の描かれ方が違うことの反映なような気もします。だって、冴えない男子代表の悟くんと全男子の憧れ代表のみゆきさんであれば、チケットを渡すのは、憧れの女性に一歩でも近付きたい悟ですし。そして、望んでもないのに女が勝手に寄ってくるぜ系男の悟であれば、みゆきさんが悟にチケットを渡すのも整合的です。まぁ、それ以前に悟の方からコンサート誘ってくださいよっていうアクションはかましてたんですけどね。それでも、お世辞で終わらせないのが原作の悟の魅力。
⑥まとめ
ということで、まずは自分の考える悟の描かれ方の違いを見てきました。端的に言うと、原作の悟は格好良く描かれてて、映画の悟はダサく描かれてます。どちらにも良さはありますけど、本当に個人的な感想を述べさせてもらうと、本作はある種のボーイ・ミーツ・ガール的なお話だと思ってまして、そういった作品では、女性と出会ったことによる男性側の変化が大きな見所の1つになってきます。なので、原作のように初めから格好良く描かれている悟よりも、映画のようにどこか情けなく描かれている悟の方が、みゆきさんと出会ったことによる変化が映えるかなと感じました。「運命の出会い…だよな?」なんて言葉を吐いて違和感ないのは映画の悟の方ですしね。

みゆきさんの描かれ方の違い

次に、みゆきさんの描かれ方の違いについて見ていきますが、これは悟の描かれ方の違いに対応しているような気がします。
まず、原作の悟は、先ほど述べた通り、望んでもないのに勝手に男が寄ってくるぜ系男ですので、悟からみゆきさんに対するベクトルと同じくらい、みゆきさんから悟に対するベクトルの強さも感じます。チケットをみゆきさんの方から渡したり、悟の頬にキスしたり。映画みたいにみゆきさんが一人称視点の描写はないですけど、割と序盤から悟のことが好きなんだなというのが伺えます。
一方、映画の悟は、先ほど述べた通り冴えない男子代表ですので、それに対応して、みゆきさんは、そんな冴えない男子でもお付き合いしたいと思ってしまうような全男子の憧れ代表として描かれています。圧倒的な美しさと清楚さ。それでいて落語の一節も披露しちゃう茶目っ気もユーモアもある。とんでもなく最強。パンフレットには、こんな記述があります。

脚本は『あゝ、荒野』(17)、『とんび』(22)などを手がける港岳彦。監督や製作陣と共に丁寧に練り上げられていった脚本は、決定稿まで33稿を数えた。特に波瑠演じるみゆきのキャラクター造形は、女性スタッフの意見を積極的に取り入れながら緻密に構築。原作のみゆきのミステリアスさ、いい意味でのスノッブさは残しつつ、より映画の“ヒロイン感”を押し出し、より多くの観客の共感を得ることを意識した。

『アナログ』パンフレット Production Notesより

原作のみゆきさんにも圧倒的な美しさと清楚さはあるので、ここでいう「より映画の"ヒロイン感"を押し出し」というのは、おそらく茶目っ気とユーモアの付け足しにあるのではないでしょうか。そして、ヒロインですから、悟からみゆきさんに対するベクトルが強い感じがします。では、みゆきさんから悟へのベクトルの強さはどうかというと、この段階ではよく分からないです。コンサートに誘われた時も戸惑うような素振りを見せましたし、悟と関係を進めることに何かしらの躊躇がある様子…?みゆきさんから悟に対するベクトルについては、この後でも触れますね。

悟を襲った悲劇

コンサートでの異変

さて、コンサート会場にやってきた2人。慣れない場所で(おそらく)眠らないように頑張る悟でしたが、突然みゆきさんは席を後にします。
みゆきさんを追いかける悟。ようやく追いついた彼女の目には涙が…涙目すら美しい…
それ以来、みゆきさんはピアノに訪れなくなりました。はたして、みゆきさんに何があったのでしょうか?

お母さんの死

そして、悟をもう1つの悲劇が襲います…お母さんが亡くなってしまったのです。
後のシーンで判明することですが、この時、みゆきさんがコンサートの日から3週間ぶりにピアノを訪れていました。そこで、高木から悟のお母さんが亡くなったことを知らされます。これ、先ほどお母さんはみゆきさんに悟を託したって書いたと思うんですけど、3週間ぶりにみゆきさんが悟に会いに来た日がお母さんの命日と重なったというのは、何か意味を感じますね。1人になってしまった悟を励ましてほしいって、お母さんが呼んだのかな…?

ちょっとまとめ

今回はここまで。
色々散らかっちゃいましたけど、ひとまず、
・映画と原作で悟の描かれ方が違うのでは?
についてはこちらで触れることができました!
次回へ持ち越す疑問はこんな感じです。
・冒頭のバイオリンを弾く女性のシーンの意味は?
・みゆきさん視点のシーンがある意味は?
・みゆきさんから悟に対する気持ちはどうだったの?
第3回はこちらからどうぞ。

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