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波瑠ちゃんファンによる映画『アナログ』ネタバレ感想①

2023年10月6日。いよいよ映画『アナログ』が公開されました。
自分は完成披露試写会に行くことが叶い、いち早く本作を観る機会を頂けたので、勝手に「アナログ親善大使」のような心持ちでいました。なので、本作が広く世の人々に届いたこのタイミングで、自分の感想を実況スタイルでまとめてみようと思います公開2週目ぐらいで公開しようと思ってたのに、気付けばもう東京ではほぼ上映終わってた怠惰野郎(もう年末を迎えた超怠惰野郎))。なお、ネタバレあり(原作含む)です。また、筆者は波瑠ちゃんのファンなので、贔屓目が凄い上に、4回しか観ていないため、記憶違いで、台詞が間違っていたり、シーンが前後しているおそれしかないです。
思いのほか長くなってしまったので、この記事では、悟とみゆきさんが木曜日に会う約束をするまでについて書いていこうと思います。

完成披露試写会

冒頭シーン

さて始まりました、アナログ!\ワー!/\8888/\ドンドンパフパフ~!/
まずは悟がみゆきさんと出会うまでの冒頭シーンについて振り返っていきます。

打ち寄せる波とバイオリンの女性の謎

綺麗な砂浜。打ち寄せる波。そして人のいないホールでバイオリンを弾く1人の女性。
果たして、このシーンの意味は…?実は、最後の最後でまたこの女性が登場します。この華奢ながら芯の通ったお背中は…ワクワク。

アナログな悟

続いて、場面はある男の日常へ移ります。土鍋で米を炊き、朝食の魚や納豆を頬張る。彼を取り囲む青基調の部屋には、パソコンのないデスク、壁際にぎっしりデザイン関係の本、木板とコンクリブロックで作られたお手製の本棚。よく見たらテーブルも物置きも全部ハンドメイド。これで、あらすじにもあった「手作り模型や手描きのイラストにこだわるデザイナーの悟」のアナログな人となりが分かりました。ニッパーやはさみ、のこぎりが壁に飾られてたのは拷問部屋感がありましたが…笑。
そして、悟は職場へ出勤。原作にもあった清水デザイン研究所での一幕です。カタカナ部長のカタカナトークを遮るように悟の携帯からPPAPが鳴ったかと思えば、部屋中に響く部長を揶揄する高木の大声。高木が「またカタカナ部長の」と言っていたことから、悟と高木の悪友ぶりが伺えますね。
ちなみに、原作では着信音は「東京五輪音頭」でした。この違い、結構絶妙な気がするんですよね。東京五輪音頭は、昭和を代表する一大イベントである第1回東京五輪のテーマソング。2010年代(おそらく。原作が刊行されたのが2017年ですし、作中にLINEについて言及がある)にあって、これをあえて着信音に設定しているのは、昔ながらなものを好む悟の嗜好が伺えますし、ともすれば、今の時代から意識的に距離を置こうとしている姿勢も垣間見えます。一方、PPAPは2016年の流行ソング。原作と違って、今の時代の文化も進んで受容していることが分かります。もっとも、この場面は2021年のことなので(後で出てくるコンサートのチケットに2021年と記載あり(FFさんから教えてもらった))、PPAPを着信音にしているのはやっぱり時代遅れ感はありますよね…笑。今の時代の流行にもついていこうとする姿勢はあるけど、アップデートは遅い。そこに原作とは異なる悟のアナログ趣味の在り方が伺えます。

ゴースト?で奴隷?な悟

そんな悟、実は自身のデザインを上司の岩本の手柄にされていました。同僚曰く、岩本の「ゴースト」であり、「奴隷」。しかし、当の本人は、怒るでもなく、ただ「いいよいいよ」というだけ。良くいえば人が良くて、悪くいえば情けない。二宮さんのフェイスが絶妙にそんな悟に馴染んでいました。
一方、原作の悟は、(冗談じゃない!俺たちがやったのに全部自分の手柄にしてしまいやがって)という風に、確かな憤りを覚えていました。ここにも違いがありますね。

みゆきさんとの出会い

悟の人となりが見えたところで、いよいよ皆さんお待ちかねのみゆきさんが登場します!!

はやみん・洸稀さんと来てのみゆきさん

覚えていますか?
一番最初に公開されたティザー・ビジュアル。カフェ・ピアノの一画でニノと笑みをたたえながら話す横顔美人。おしとやかでミステリアスな雰囲気漂う波瑠ちゃんが久々で新鮮でした。お召し物の雰囲気もありますが、明らかにはやみんや洸稀さんとは違うんですよね。いや、俳優さんだったら役に入り込むのは当然なんですよ?けど、波瑠ちゃんは演じる幅が明らかに大きい。はやみんと洸稀さんは似てるように見えてミクロな違いがありましたが、エネルギッシュでしごデキ愛されキャラのはやみん・洸稀さんと、どこか陰があって儚げな(某主役の言葉を引用)みゆきさんは正反対と言っていいほどマクロな違いがありました。ここでも、様々な役に芯から染まり切れる波瑠ちゃんの凄さを見ました。

ビジュで無双するみゆきさん

それにしても、ピアノで雑誌を読む悟の背後から現れたみゆきさん、ビジュ最強すぎません?本作は4回観たんですけど、4回目が一番お美しかった。同じ作品の中でも進化を続ける女優。それが我が推しなんですね。
まず、前髪が印象的でした。はやみんも洸稀さんも、どちらかというとおでこが見えるほどさっぱりしていたので、しっかり前髪に質量感のある波瑠ちゃんは久々でした。おそらく『恋おち』以来じゃないかな…?何となくの感覚ですけど、陰のある女性であればあるほど波瑠ちゃんの前髪の質量感が増す気がする。これを波瑠前髪質量保存の法則といいます。テストに出ます。
あと、みゆきさんめっちゃ細くない…?華奢すぎて、後の場面で浜辺に行った時、風で折れちゃわないか心配でした。公開翌日にHMV SHIBUYAの衣装展示観に行ったのですが、そこで、みゆきさんの細さを目の当たりにしました。こんな細い衣装着れるなんて、やっぱ波瑠ちゃんは凄いわ。ちなみに、渋谷の展示は、桟橋のシーンの2人の衣装から、場面写真やあらすじ・人物紹介、グッズ売り場まで、とても内容が充実していて楽しめました。隣の売り場に波瑠ちゃんのインタビューが載ったダ・ヴィンチがあったのも沸いた。

きっと写真ではまだ伝わってない、この細さ

ピアノの思い出

2人が出会ったのは、カフェ・ピアノ。所々に音楽の意匠が凝らされた世界観のあるカフェでしたが、ロケ地は実際に広尾にあるNem Coffee & Espressoで、訪れるとピアノの雰囲気を直に味わえます。私は2回訪れましたが、いずれもみゆきさんの座っていた席に座ることが叶って、お尻から波瑠ちゃんの温もりを感じていました。作中では採算採れてるか不安になっちゃうぐらいお客さんがいませんでしたが、実際のお店は平日の昼間もお客さんで賑わっています。特に、近隣に大使館があったりするからか、外国出身のお客さんが多かったです。店員さんは、一見の私にも優しく接してくださいました。そして、XのFFさんによると、たまたま波瑠ちゃんファンの方とお店で遭遇したそうです。聖地化待ったなしですね。

Nem Coffee&Espressoさんは写真撮影NG

2人の出会い

と、長い前振りを終えて、2人の初めての出会いについて見ていきますね。
ここでは、雑誌をきっかけに、悟とみゆきさんが意気投合して、互いに名前を教え合うまでが描かれます。これは原作にもあるシーンですが、2人が意気投合するまでの経緯が異なります。映画では、マスターの「うちのデザインは岩本じゃなくて全部水島君だから」というナイスフォローをきっかけに、窓留めやトイレ、そしてみゆきさんのバッグについてオタクな話をして、互いに自己紹介しています。一方、原作では、マスターのフォローを待たずに悟がそれとなくピアノの内装を手掛けたのは自分だと伝えて、そのまま岩本の失敗談で盛り上がり、みゆきさんに名前を訊いています。これも、悟の描かれ方の違いですね。映画の悟には、昔ながらで手間暇かけられたものが好きというアナログ趣味を共有して女性と仲良くなる物腰柔らかさが伺えますが、原作では、自身の仕事振りで女性を感心させようとするマッチョな面(筋骨隆々という意味ではなく、いわゆる(昔ながらな)男らしさ)が垣間見えます。
先ほど述べた着信音の件も含めて、どうやら映画と原作では、悟の描かれ方が異なっているのかもしれません。

「運命の出会い…だよな?ニコツ」

その後、高木と山下と共に居酒屋へ場所を映した悟。高木と山下がいつものように他愛もない話で盛り上がっていても、悟はその隣で上の空。山下が突っ込むと、ニッコリ笑って…
「運命の出会い…だよな?」
初恋男子高校生かな?え、何、悟くん。めちゃくちゃ初心じゃん。まぁ、確かに、自分の仕事でのこだわりに気付いてくれたり、使い込まれたバッグを良いと思うアナログ趣味をあんな素敵な女性と共有できたら、浮かれ上がっちゃうよね。分かる。ちなみに、原作の悟はもうちょっとクールで、こんな台詞も口にしなければ、高木と山下にのぼせ上ってるのを悟られることもありませんでした。

悟の周りの人間

ところで、本作を観てから初めて原作を読まれた方は、きっとこんなことを感じるのではないでしょうか?
「え、何か映画と違って下品だな……」
そう。原作は結構下品なんです。映画だけ観た人は「これがたけし原作か……?」と感じると思うんですけど、原作を読むと十中八九「これはたけし作だな……」となるはずです。際どい下ネタのオンパレードと、某ニュース番組で見たことあるような世間へのボヤき。それでいてみゆきさん周りは妙に文化レベルが高い。このコテコテの世俗感と、文化人らしいハイソさが1冊に同居しているのは、まさに下町出身の芸人ながら世界的にも名高い映画監督でもあるたけしそのもののような気がします。
それはともかくとして、原作の下品さを先陣を切って牽引しているのは、悟の幼馴染である高木と山下、そして後に出てくる大阪の悟の同僚である島田です。高木と山下は悟がみゆきさんと会ってるのを知るとすぐに「ヤッたのか?」って聞いてくるような奴らですし、島田についていえば、悟の泊まってる部屋にデリヘル呼ぶような、とてもアイドルに演じさせて良いような男ではないのです。
映画では、彼らのゲスさは綺麗さっぱりなくなっています。悟と高木、山下の会話も男子校レベルにまで微笑ましく仕上げられてますし、島田もただ悟をリスペクトする好青年になっています。この違いには何か理由があるのでしょうか?

満更でもないみゆきさん

悟が運命を感じている一方、みゆきさんも、ピアノで鞄を褒められたことをお姉さんに報告していました。どうやら満更でもない様子…?
初見の時は、この段階で視点がみゆきさんに移って、悟に好印象を抱いているっぽいのを明かすのが意外でした。あらすじだけ読んでいると、本作のお話の肝は急に消えたみゆきさんの謎にあるっぽかったので、その真相と共にみゆきさんの悟に対する気持ちが明かされるのかなとか勝手に思っていました。実際、原作は終始悟視点ですしね。みゆきさん視点の場面を差し込んだのには、何か理由があるのでしょうか…?

木曜日の約束

悟母「結婚しな」

そして、場面は悟の母が入院している病院に移ります。お母さん、ちょっと女性と話したと報告してきた息子に「結婚しな」と言うなかなかファンキーな方でしたね。きっと、悟がみゆきさんのことを嬉しそうに報告するのを見て、すぐにお似合いの女性だと見抜いたのかもしれませんね。
その後の「そうやって日が暮れるまで毎日喋るといいよ」という台詞も印象的でした。後のシーンでの悟の台詞によると、悟の母は工場と弁当屋の仕事を掛け持ちしていたということで、悟を育てるためになかなか多忙な日々を過ごしていたようです。もしかしたら、学校から帰ってきた悟とゆっくりおしゃべりする時間もなかなかとれなかったのではないでしょうか(実際、原作では母は一日中働きづめで、悟は一人でよくマンガを読んだりプラモをしていたと書かれています)。そう考えると、「そうやって日が暮れるまで毎日喋るといいよ」というのは、自分が悟の子どもの頃にしてやれなかったことを余命幾ばくの身になってみゆきさんに託すような、そんな切なさを感じました

日本橋のイタリアン

日は明けて、再び場面は悟のお仕事風景に。この日は、日本橋のイタリアンのお店に赴いて、オーナーの抱える問題を汲み取り、昼と夜に合わせてインテリアを変えてみたらと提案していました。それが容れられて、本来担当だったはずの岩本に半ば仕事を押し付けられる形で徹夜コースに。この時の「はいっ…」っていう反応からも、悟の人の良さ(情けなさ)が伺えますね。ちなみに、原作では、悟がオーナーの容姿や発言を馬鹿にしながらその提案をしており、やはりマッチョな感じがしますね。
そして、悟はデザイン画作業に取り掛かります。画用紙に向かって、鉛筆でインテリアのアイデアを興していく。悟の同僚じゃないですけど、やっぱり鉛筆は温かい感じがします。鉛筆使ってると、小学生の頃遊んでいた商店街から見た夕焼けが思い浮かんできますよね(観客の脳内に溢れ出した存在しない記憶)。また、BGMの「東京手仕事」がとても良い。音楽の内澤さんって、andropのボーカルの方だったんですね。andropは「Koi」が好きで、メロディーの柔らかさに通じるところがあるかもと感じました。

ひげを剃った悟

徹夜明け、ピアノに訪れると、奥の席に座って本を読んでいるみゆきさんを見つけます。そのまま中に入ろうとしますが、そういえば徹夜明けで身なりがみっともなかった。そこで、悟は、急遽ローソンへ行きシェイバーを買って髭を剃ってから、みゆきさんの前に現れました。そんな悟を見たみゆきさんが一言。「雨…?」このユーモアセンス大好きですし、この後「僕だけ土砂降りで」って返す悟の物腰柔らかさもいい。そりゃお母さん「結婚しな」って言うわ。
この髭を剃ったはいいものの洗顔して顔も前髪もビショビショという悟は、原作では見られません。原作の悟は、徹夜明けの格好のままみゆきさんの前に現れます。いや、どっちもちゃんと身なり整えてから来いよって感じなんですが、ここはそんな悟とでもご飯に行くみゆきさんの女神具合を出したかったのかな。ただ、原作の悟の場合は徹夜明けだから身なりが汚いのであって、しかもその徹夜の内容がインテリアのデザインを一人で任されたといういかにもデキる男のそれなので、どこか格好良さがありますよね。一方、映画の悟は、みゆきさんに会う前に髭を剃ってから出直してきたという恋愛初心者っぽさがありますし、それでびしょびしょになってみゆきさんの前に現れるのも絶妙にダサいですよね……笑。映画が原作よりも悟を格好悪く描いているのが伺えます

新じゃが悟

そして、新じゃがっぽい悟の顔を見たみゆきさんがお腹が空いてしまったというので、悟は「じゃがいも食べに行きませんか?」とみゆきさんをご飯に誘います。ここの「よく新じゃがっぽいて言われるんです」っていう悟に対して「確かに」って返すみゆきさんのお茶目さ大好き。
こうして、一緒にジャーマンポテトを食べに行く2人。悟が「ドイツ人はいつもこんなの食べられて良いですね」と言うと、みゆきさんが「ドイツの料理じゃないんですよ」と返します。これ、最初はただの他愛のない会話なのかなと思ってたら、みゆきさんドイツにいたんですよね…そりゃドイツにジャーマンポテトがないことぐらい知ってるよね…

ふたりの帰り道

楽しい時間はあっという間。2人は帰路に着きます。別れ際、悟はみゆきさんに連絡先を尋ねますが、みゆきさんは携帯を持っていませんでした。現代の恋愛ではスマホ(≒LINE等のSNS)は必須ですが、悟は、みゆきさんの「お互いに会いたい気持ちがあれば会えますよ」という言葉通り、それらのない状態(アナログな状態)でのスタートを切ることとなりました。
アナログな恋とデジタルな恋って何が違うんでしょうか。これはおそらく、直接会う以外に関係を深める手段があるか否かなのかなと考えました。そもそも、アナログとデジタルの違いは、状態の変化を連続したデータで示すか、それを段階的に切り取ったデータで示すかにあります。例えば、1時から2時までの時の動きを示す場合。アナログ時計は、ずっと動き続ける針の連続した動きで時間の経過を示します。一方、デジタル時計は、その連続した時間の経過を60に区切って、1分が経過したら急に「01:00」が「01:01」となり、2分経過したら急に「01:01」が「01:02」になり…というように、数字で段階的に表示していきます(どうでもいい豆知識なんですけど、この定義でいくと、珠を弾いて段階的に数字を計算していくそろばんは実はデジタル機器なんですよね)。つまり、アナログは連続性が、デジタルは断続性が、それぞれの特徴であるといえそうです
この特徴、恋愛にも当てはめることができそうです。
まず、上記の定義に従えば、デジタルな恋とは、ずっと連続していなくても断続的で良いので、一度途切れてもなお関係を築くことのできる恋を指すものといえます。それを実現するためには、直接会う以外のコミュニケーションをとるツール、つまりスマホやLINE等のSNSが必要となってきます。例えば、学校を卒業して直接会わなくなり、一度は関係が途切れてしまっても、LINEがあれば、どちらか一方が連絡してやり取りすれば、再び関係性を復活させることができます。この途切れ途切れでも関係を築いていくことができるのが、デジタルな恋であるといえます。
これに対して、アナログな恋とは、ずっと連続していないといけないので、一度途切れたら関係が終わってしまう恋を指すものといえます。これは、直接会う以外関係を深める手段がないことが前提となりそうです。なぜなら、スマホやLINEがあれば、一度関係が途切れても関係を復活させることができ、デジタルな恋になってしまいますので。また、途切れたら駄目なので、アナログな恋の当事者は、双方が常に互いのことを想っている必要がありますね。どちらか一方しか相手のことを想っていなかったら、直接会うこともできませんし。これ、「お互いに会いたい気持ちがあれば会えますよ」というみゆきさんの台詞に繋がる気がしませんか?2人の恋は連続性が求められるから、お互いに会いたいと思わなかったら終わってしまうんですよね。この連続性については、パンフレットの倉本さおりさんのコラムに詳しいので、ぜひご覧ください。
さて、悟は毎週木曜日、みゆきさんに会うことができるのでしょうか?
ちなみに、この場面で流れてる「ふたりの帰り道」が、アナログのサントラの中で一番好きです。また、この場面で特に2人に強くピントが合わされて背景がぼやけている演出も、この世界には今2人しかいないというような感じがして、好きです。

ちょっとまとめ

今回はここまで。
色々散らかっちゃいましたけど、次回へ持ち越す疑問はこんな感じです。
・映画と原作で悟の描かれ方が違うのでは?
・冒頭のバイオリンを弾く女性のシーンの意味は?
・みゆきさん視点のシーンがある意味は?
第2回はこちらからどうぞ。

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