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サイダーのように言葉が湧き上がる

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす。

 都々逸で有名なこの一文が有名になったことから言えるように、元来日本人って言うのは『秘匿』こそを『美』と捉える傾向がある。直情では無く、湾曲さ。露骨ではなく、遠回しな表現。「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳す国は、行間を読み、ページの外側を読み解くことを風情と呼ぶ。俳句は、まさにこの感覚を愛でる文芸なんだと思う。限られた語句でその文字数以上の世界を描き、その物語以上の外側を想像する。

 そんな俳句の世界に魅せられた主人公、佐倉君(通称:チェリー君)のひと夏の淡い恋を描いた青春映画。不器用さと、描かれる俳句のエモさと、脚本の秀逸さと展開の完璧さに、久々に良い映画を見たな、という気持ちになった。

 真夏の日差しを感じさせるビビットで独特な背景。それとは対照的に淡く淡くぼかして進むストーリーがとても心地よくて、まさしく乾いた喉に潤いを与えるサイダーの爽快感を持つ作品でした。同時期公開のビックタイトル、竜とそばかすの姫に埋もれてしまっているのがとても勿体ない。


 以下、良かったな~、と思った箇所をつらつらと。ネタバレを含みますのでご了承くださいまし。​

あらすじ:
 人との会話が苦手だけど、俳句は好きな少年“チェリー”は、ヘッドホンで外部との接触を遮断して生きている。ある日彼は、地元のショッピングモールで、見た目のコンプレックスをマスクで隠す少女“スマイル”と出会い、SNSを通じて少しずつ言葉を交わすようになる。
 そんななか、バイト先で出会った老人フジヤマが、大切な思い出が詰まった「YAMAZAKURA」という楽曲のレコードを探し回っていることを知る。レコード探しを手伝い、急速に距離を縮めていくチェリーとスマイル。しかし、ある出来事をきっかけに2人の思いはすれ違ってしまう。

ストーリーのちっぽけさ

 この映画、誰かを救うこともなければ、ひと夏の大冒険に出ることもない。恋愛映画によくある、恋のライバルが登場しての波乱万丈も無ければ、背景に隠された深いテーマ、みたいなものも無い。
 見終わって面白かった、良かった、という人がいくらいても「ストーリーが深くて良かった」なんて人はほとんどいないと思う。舞台は片田舎のショッピングモールから飛び出さないし、作中の日付は7月から8月に動くだけ。
 バイトをして、友達と遊んで、ショッピングモールに行く。何も起こらない平凡な夏休みの日々。でも、それはSNSで好きな人からイイネが来るだけで、大冒険に変わる。フォローをしあって、イイネがついたハートマークを眺めるだけで心は跳ねるしドキドキする。そのささやかな積み重ねは間違いなく17歳とっては一大事だし、大冒険。そのスタンスで終始書かれる世界観は本当に優しくて、甘酸っぱくて、青春だった。夏!素晴らしいよ夏!

 ちょうど同時期公開の『竜とそばかすの姫』も見てきたのですが、面白いほど対照的な描かれ方をしている2作品だな、と思った。優劣を決めるわけではないのだけど、竜とそばかすの姫がイマイチだったな、って言う人にはコチラの方が刺さるかもしれない、とは思う。
 竜とそばかすの姫が世界に向けて1人を助けることを宣言する壮大なストーリーなら、誰にも知られることなく二人だけで結ばれるのが今作だと、そう思ったので。

光る演出のうまさ

 この映画、メタファーの落とし込みが上手いというか、伏線が上手いというか、さり気なさという表現力にスキル極振りしてんな、という気がしました。メタファーの上手い映画は良作、はっきりわかんだね!

 主人公のチェリーは、ヒロインと出会っている時点で既に1か月後に引っ越すことが決まっている。口下手で話すことが苦手なチェリーは、スマイルに何とかそれを伝えようとするも、タイミングが悪くていつも上手くいかない。そんなチェリーを置き去りに、引っ越しの日はどんどん近づく。早く言わないと、そう焦りだした頃、チェリーは一つの俳句と出会う。

さよならは 言わぬものなり サクラ舞う

 この俳句と自分(桜と佐倉を掛けてるのがまた憎い)を重ねたチェリーは、スマイルに引っ越しを告げるのを諦めてしまう。このマイナス方面への都合のいい変換の仕方の心情が、人間を分かりすぎていて最高。
 やりたくないこと、したくないことは、他人のせいにすると心が軽くなる。でもそれって向き合うこととは違うし、ただ楽な道に逃げただけ。
 純粋に読めば「さよならは言わないから、また会おうね」っていうポジティブな別れの俳句を「さよならなんて必要ない、言わなくてもいいんだ」っていう都合の良さに変換している。結果、その行動がスマイルを傷付け、泣かせてしまう。俳句の文字数の少なさ、好きに読めてしまう利点を逆手に取ったいい演出。湾曲的な表現は、時に間違ったことを選ばせるっていう教訓。これによってクライマックスの演出がより輝く。

 チェリーの引っ越しを知ってしまった後、ヒロインであるユキ(通称スマイル)が過失で割ってしまったレコードを深夜に直すシーンがある。
バラバラのレコードを瞬間接着剤を使って、何とか直そうと奮闘するんだけど、上手くいかない。欠片を3つ繋げれば最初の一つが崩れ、2枚繋ぎ直せばバラバラになる。三度、四度。何度試しても崩れてしまうレコードにたまらず泣き出して蹲る。
 もちろんこれは、自分がレコードを割ってしまった申し訳なさとか、上手くレコードを直せないもどかしさの表れなんだけど、割れてしまって戻らないのは、レコードだけじゃなく、自分の恋心もなんだ、っていう意味合いもひっそりと込められている。それを淡く表しているのが最高に切なくて大好き。

 もはや順番がしっちゃかめっちゃかなんだけど、もう一つだけ好きなシーンを挙げさせて欲しい!

 作中、チェリーは自分をフォローしてくれているスマイルに向けて、SNSで俳句を投稿する。

やまざくら かくしたその葉 ぼくはすき

 山桜は晩春の季語だけど、葉と花を同時に出すことから、「出っ歯」の人の俗称としても使われている。
 だからこれは、まさにその出っ歯をコンプレックスとしているスマイルに対しての、愛を込めた告白にも近い俳句。
 スマイルは、ツイートされたその俳句をいつも通りイイネしようとして、意味を噛みしめて少しだけ躊躇う。その間に、スマホがブラックアウトして自分の顔が映り込む。コンプレックスをまざまざと見せつけられて、スマホを放り投げる。
 やまざくら かくしたその葉 ぼくはすき → あなたがどれだけ好きでも私は好きじゃないもの、っていうスマイルの心情。この、一連の感情の機敏が無言のまま、演出だけで見せられるのが、繊細で切なくて、たまらない。その前後の描写はないんだけど、この後チェリーはいつも付くはずのイイネがつかないことにきっとそわつくんだよ。ページの外まで容易く補ってくれる演出の数々。あまりにも寿命に良いです。大好き

二人だけが結ばれる

 途中で書いたように、これは、誰にも知られず二人だけが結ばれるストーリー。クライマックス、未成年の主張もかくや、といわんばかりに始まる櫓上でのチェリーの告白は、始まってしまった花火によって、誰の気にも留められない。綺麗な文字ならば、綺麗な言葉ならば、わざわざ声に出す必要はない。物語中盤でそう言ったチェリーは、それとは逆に自分の声で、スマイルに大声で想いを吐き出す。

やまざくら かくしたその葉 ぼくはすき 
やまざくら かわいい笑顔 ぼくはすき
やまざくら スマイルのこと ぼくはすき

きみが好き

 淡くぼかした言葉が、背景と同じく鮮明になる瞬間。
 うわーーー、最高の映画を見たな、と素直にそう思えました。

 クリームソーダ飲みたくなった。最高をありがとう。